#90年代
『16歳のわたしが一番欲しかったもの。それはミ・ジェーンの花柄レギンスや、裾にレースのあしらわれたピンクフラミンゴのデニムショートパンツではなく』トーキョー’90クロニクル vol.2
16歳のわたしが一番欲しかったもの。それはミ・ジェーンの花柄レギンスや、裾にレースのあしらわれたピンクフラミンゴのデニムショートパンツではなく、もちろんトパーズの指輪や、そして彼氏でさえもなく、ポケットベル。通称ポケベルと呼ばれる小型の無線受信機でした。
まだ携帯電話は高価であり、ほとんど普及していなかった当時、東京の高校生たちが、互いに連絡を取る手段といえば家電や公衆電話、そしてポケベルしかあ
『飯島愛がアイアイ言っている一方で、細川ふみえは、にゃんにゃん言っていた』トーキョー’90クロニクル vol.3
「ね、ポケベル欲しくない?」
すぐに怪しげな誘いとすぐにわかったものの、ポケベルは欲しい、喉から手が出るくらいに欲しい。頷くわたしを、キャッチの男はすぐそばの雑居ビルへと案内してくれました。
風俗店や街金の案内表示のあるエレベーターに乗って、連れていかれた先は『ツーショットダイヤル』の事業を行っている事務所。そこでわたしは『ポケベルと交換にツーショットダイヤルのサクラ』をしないかという打診を受け
『18歳になったらコギャルは引退、20歳になったらもうオバサン』トーキョー’90クロニクル vol.4
同じ学区の高校に通う、ひとつ年上のHIROMIXが”女子高生カメラマン”として活躍していたあの頃。カメラ機能のついた携帯電話もなければ、デジタルカメラも普及していなかった1994年、わたしたちの鞄にもまた、レンズ付きフィルム『写ルンです』と、お気に入りの写真を差し込んだミニアルバムとが必ず入っていました。
それらを持ち歩いていた理由は二つ。ひとつには、ストリートで知り合った同じ年の女子高生たちと