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トーキョー’90クロニクル

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#90年代

『私立校に通う女子高生以外は、女子高生ではない』トーキョー’90クロニクル vol.1

『私立校に通う女子高生以外は、女子高生ではない』トーキョー’90クロニクル vol.1

今から30年前の1994年。わたしは17歳だった。

身に着けていたのは、ルーズソックスにチェックのミニスカート、紺色のVネックニットに私立高の男子生徒から貰った校章マーク入りのスポーツバッグ。しかし、わたしが通っていたのは自由な校風で知られる都立高校で、制服そのものが存在していなかった。したがって、身に着けているそれらはすべてフェイクだった。



なぜそんなフェイクで身を固めていたのか。それ

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『16歳のわたしが一番欲しかったもの。それはミ・ジェーンの花柄レギンスや、裾にレースのあしらわれたピンクフラミンゴのデニムショートパンツではなく』トーキョー’90クロニクル vol.2

『16歳のわたしが一番欲しかったもの。それはミ・ジェーンの花柄レギンスや、裾にレースのあしらわれたピンクフラミンゴのデニムショートパンツではなく』トーキョー’90クロニクル vol.2

16歳のわたしが一番欲しかったもの。それはミ・ジェーンの花柄レギンスや、裾にレースのあしらわれたピンクフラミンゴのデニムショートパンツではなく、もちろんトパーズの指輪や、そして彼氏でさえもなく、ポケットベル。通称ポケベルと呼ばれる小型の無線受信機でした。

まだ携帯電話は高価であり、ほとんど普及していなかった当時、東京の高校生たちが、互いに連絡を取る手段といえば家電や公衆電話、そしてポケベルしかあ

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『飯島愛がアイアイ言っている一方で、細川ふみえは、にゃんにゃん言っていた』トーキョー’90クロニクル vol.3 

『飯島愛がアイアイ言っている一方で、細川ふみえは、にゃんにゃん言っていた』トーキョー’90クロニクル vol.3 

「ね、ポケベル欲しくない?」
すぐに怪しげな誘いとすぐにわかったものの、ポケベルは欲しい、喉から手が出るくらいに欲しい。頷くわたしを、キャッチの男はすぐそばの雑居ビルへと案内してくれました。

風俗店や街金の案内表示のあるエレベーターに乗って、連れていかれた先は『ツーショットダイヤル』の事業を行っている事務所。そこでわたしは『ポケベルと交換にツーショットダイヤルのサクラ』をしないかという打診を受け

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『18歳になったらコギャルは引退、20歳になったらもうオバサン』トーキョー’90クロニクル vol.4

『18歳になったらコギャルは引退、20歳になったらもうオバサン』トーキョー’90クロニクル vol.4

同じ学区の高校に通う、ひとつ年上のHIROMIXが”女子高生カメラマン”として活躍していたあの頃。カメラ機能のついた携帯電話もなければ、デジタルカメラも普及していなかった1994年、わたしたちの鞄にもまた、レンズ付きフィルム『写ルンです』と、お気に入りの写真を差し込んだミニアルバムとが必ず入っていました。

それらを持ち歩いていた理由は二つ。ひとつには、ストリートで知り合った同じ年の女子高生たちと

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『当時、女子高生デートクラブというものが、渋谷にも新宿にも池袋にも、吉祥寺にだってありました』トーキョー’90クロニクル vol.5 

『当時、女子高生デートクラブというものが、渋谷にも新宿にも池袋にも、吉祥寺にだってありました』トーキョー’90クロニクル vol.5 

上の世代の大人たちが『バブル』と呼ばれた好景気に浮かれる姿を見てきたわたしたちは『巨大な欲望』をうちに抱え、青春を迎えました。

シャネルのサングラス、MCMのショルダーバッグ、グッチのサンダル。いま思えば16、7歳の少女が持つようなものではない。しかし、わたしたちの欲望は、メディアによって煽られるとともに、ストリートで見かける、グレーのタイトスカートが妙に大人びて見える慶応女子校や、プリーツスカ

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