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『私立校に通う女子高生以外は、女子高生ではない』トーキョー’90クロニクル vol.1

今から30年前の1994年。わたしは17歳だった。

身に着けていたのは、ルーズソックスにチェックのミニスカート、紺色のVネックニットに私立高の男子生徒から貰った校章マーク入りのスポーツバッグ。しかし、わたしが通っていたのは自由な校風で知られる都立高校で、制服そのものが存在していなかった。したがって、身に着けているそれらはすべてフェイクだった。

 

なぜそんなフェイクで身を固めていたのか。それは「制服を着ていること」イコール「女子高生である証」であったからだ。「学校へ通うただの17歳」は高校生ではあるが、女子高生にはあらず。「女子高生」になるためには、アイコンを身につけなくてはならなかった。

ソニプラで買った『EGスミス』のルーズソックス、LAスタイルに憧れて買った『ESPRIT』のトートバック、透明なクリアケースの中には輸入物のカラフルなペン、本当は『REGAL』が欲しいけどお金がないから『HARUTA』のローファー。鞄の中にはいつ『写ルンです』。

 

いくら見た目を繕っても、所詮はフェイクだ。当時、合コンをした某私立校の生徒にこんなことを言われたことがあった。

「私立校に通う女子高生以外は女子高生ではない」

スクール内カーストどころか、スクール自体にカーストがあり、その上位に位置するのは、偏差値ではなく、雑誌に載っている有名人が在校している学校だった。当時、人気だった雑誌『東京ストリートニュース』(学習研究社、現学研パブリッシング)などに皆の憧れのスーパー高校生として登場しているのは、お坊ちゃん、お嬢さまが通うことで有名な有名私立校の生徒ばかり。例えバカ校と呼ばれていても、パリスヒルトンのごとく、裕福であり、皆の憧れるライフスタイルを提示できれば「スーパー高校生」と呼ばれる。

 

しかし、この現象はわずかの1、2年間のことであり、その後、『egg』(太陽図書)や『Cawaii!』(主婦の友社)などの台頭で、ヤンキー文化と融合。その結果、とにかく目立つ子が持て囃されるようになると、皆の憧れは、より自由な髪型や制服の着こなしのできる通信や二部、高校中退者などに移り、イケている女子高生=私立高という意識は薄れていった。

 

上履きに、朋ちゃんこと、華原朋美が「好きだ」と公言をして再流行を始めたばかりのキティちゃんや、雑誌に載っている女子高生たちが持っているブランドのマークを描き「お金があったら本物のシャネルが買えるのにね」とボヤくバカな女子高生がわたしだった。そんなわたしが住む街は、女子高生であるという資質を驚くほどに簡単にマネタイズできる街、「東京」だった。

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