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お茶をめぐる4人のお坊さん

初めまして。ティータイム中の夢クラゲです。
『波羅蜜多WAVE』にお誘いいただき、瞑想中とさすらい中の先達お二方の記事を読みながら、(さて、私は何を書こうかな~)と考えました。
うまく頭がまとまらないときには、お茶を飲んで一息つきましょう。

お茶といったら、世界的には紅茶が一番知られていますが、日本はほかに日本茶(緑茶)や中国茶(青茶・黒茶・緑茶・紅茶・白茶・黄茶)、さらにハーブティや花茶もある、お茶天国。
種類が豊富で、バリエーションに富んでいます。

ところが日本には、初めからお茶の木が生えていたわけではありません。
お茶を最初に持ち込んだ人が誰か、ご存じですか?
それは、お坊さんだったんです。

僧侶とお茶?と、不思議に思われるかもしれませんね。
今回は、お茶をめぐる4人のお坊さんについて、お話します。

最澄(天台宗)・空海(真言宗)

中国のお茶を初めて日本に紹介したのは、遣唐使でした。
平安初期には、天台宗の開祖・伝教大師最澄(767-822)や真言宗の開祖・弘法大師空海 (774-835)が、仏典と一緒に当時のお茶、餠茶(へいちゃ)を伝えました。

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伝教大師最澄(左)         弘法大師空海(右)

お茶は僧侶や貴族階級などの限られた人々でもごくたまにしか口にすることがでない、非常に貴重なものでした。
餠茶の製法にはとても手間がかかり、その割に風味はあまりよろしくなかったようです。
そのため、日本であまり受け入れられないまま、次第に廃れていきました。

栄西(臨済宗)

いったん消滅したお茶が日本で息を吹き返すのは、それから400年後の話になります。
時は鎌倉時代。もう遣唐使は廃止され、中国は宋になっていました。

臨済宗の開祖・栄西禅師(1141-1215)は、宋から茶の種を持ち帰り、当時のお茶、碾茶(てんちゃ)を日本に伝えました。
碾茶とは、抹茶をひく前のお茶のことです。

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栄西禅師

栄西は、日本初の茶の専門書『喫茶養生記』を著して、茶の効用を説きました。
歴史書『吾妻鏡』には、深酒して二日酔いに苦しんでばかりの時の将軍・源実朝に、栄西が良薬として、お茶とその書を献上したと記されています。

飲んだくれにお茶を勧める…昔も今も、大して変わっていませんね!

お茶を広めた茶祖として知られる栄西。
彼が開山した建仁寺の参道には、大きな茶碑が立っています。

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明惠(華厳宗)

華厳中興の祖・明惠上人(1173-1232)は、交流のあった栄西禅師に勧められ、京都・栂尾(とがのお)の高山寺で茶樹の栽培を始めました。

お茶に眠りを覚ます効果があると気づいた明惠は、修行にいそしむ衆僧たちに飲むことを奨励します。
どんなお坊さんでも、眠気との闘いは避けられないんですね。

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明惠上人

また、僧侶はお酒を飲んではならないという戒律があるため、お酒の席では代わりにお茶を飲みます。

修行の前に飲むによし、宴会の時に飲むによし。
お茶が見つかってよかった!
僧侶とお茶には、このように深い関係があるのです。

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最古の茶園といわれる高山寺の茶園では、今でも茶摘みが行われています。

そして広がったお茶文化

お茶の味と効用が知られるようになるにつれ、徐々に喫茶人口が増えていきました。
僧侶が寺院の敷地内で小ぢんまりと育てていたお茶が、ニーズの高まりを受けて広範囲で栽培されるようになった結果、広く武士や民衆の口にも入るようになったのです。

そうして日本では、抹茶が緑茶文化の土台を築きました。
本場中国では廃れても、日本で独自の発展を遂げたという流れは、仏教と共通します。

日本のお茶の歴史を語るにあたり、忘れてならないのが、今回ご紹介した4人の僧侶たち。
今、私たちがおいしいお茶を飲めているのも、彼らのおかげですね。

お坊さん、ありがとうございます。ボジソワカ。


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