見出し画像

小5の息子をセブ島スラム街の孤児院へ行かせた話(完結編) #3「ママのオムツを替えてあげる」

前回は、なんとか関空の集合場所にたどり着けたところまでお話しました。

当初一話で完結のつもりで書き始めたのに、思いがけずだらだらと長くなってしまいました。
前回の投稿の後、しばらく時間を空けてしまいました、、、もったいぶる内容でもないのに、すいません。

関空でボランティアの代表の方に息子を引き渡してからのことについては、たまに代表の方からLINEが来た時だけ状況を知れるという感じで、キッズ携帯の息子との連絡は途絶えました。

息子が何をしているのか、トラブルに巻き込まれていないか、トラブルを起こしていないか、、、常にソワソワしながら私はひたすら労働に励む毎日でした。

・出発当日の夜
入国手続きに時間がかかった(家族以外の大人と入国する為)が、無事に到着したと連絡が来ました。

・4日目の夜
参加者は大学生、社会人、育児を終えたご婦人等息子の同年齢がいない為、ただでさえ年頃で口数が少ない息子は誰とも話をしていないんだろうなと思っていましたが、代表の方から意外な連絡が、、、
同じ部屋になった大学生二人がとても面倒見が良く、三日目くらいから息子がその二人と話し始めたということでした。自由時間もその二人が行動を共にしてくれていたそうです。
大学生のお兄さん方ありがとうございます。

・7日目の夜
息子が微熱があり、活動に参加せず部屋で休んでいたそうです。一日休んだら元気になったので、明日から活動に参加するということでした。

その後、特に代表の方から連絡は無く時間は過ぎて行きました。
「便りの無いのは良い便り」
と自分に言い聞かせつつ、、息子は何してるかな、何を見て何を感じているのかな、きっと息子は貴重な経験をしているだろうとただただ想像をしていました。

息子が生まれてから約10年毎日一緒にいるのが当たり前だったので2週間も離れると、本当にまた息子に会えるのかな?なんて不思議な感覚に陥っていました。
パスポートを紛失して帰ってこれないとか、飛行機が落ちるのではとか、良からぬ想像のオンパレードでした。
再会したら息子はどんな顔をしているんだろう、私はどんな気持ちになるんだろう。

解散場所が関空だったので、飛行機に乗って迎えに行きました。
到着予定時刻より一時間ほど早く着きソワソワしながら待ちました。到着は予定より遅れ、電光掲示板が「到着」になってもなかなか息子は出てきませんでした。ボランティアの方たちのグループLINEで到着の連絡が来るとすぐに息子が現れました。

日焼けを嫌う息子は青白い顔で、長袖長ズボンに空手の先生にもらったサンダルを履いて、大きなリュックを背負って、キャリーバックを引きずって、脇にウクレレを抱えて出てきました。傍から見たら「変な子」ですが、それは愛しの我が子でした。
息子の姿を見た瞬間次から次に涙が溢れてきて視界は完全にモザイク状態でした。
これは何の涙なのか、、、
目の前の景色は涙で全く見えないけど、息子らしきものを抱きしめました。

「ママなんで泣いてるの?」

「無事に帰ってきたのが嬉しいんだよ。」

息子は不思議そうな顔をしていました。

「何食べたい?」

「ファミチキ!」

ファミチキかい。一緒に帰ってきた方たちにお礼とお別れの挨拶をして、私たちは空港内のファミマに直行しました。今日は特別に二つ買おう!
ちょうどいい時間が無かったので、関空からは新幹線で帰ることにしました。

新幹線で、セブ島での出来事を色々聞かせてもらいました。

そこらへんに野犬がたくさんいたこと
ストリートチルドレンの子たちにお菓子を配ったこと、一緒に海へ行ったこと
孤児院で子どもたちの世話をしたこと
新聞紙で兜の折り方を教えてあげたこと

息子が見たものを知りたくて、使い捨てのカメラを持たせたのですが、紛失して帰ってきました。
想定内でしたが、非常に残念でした。

でも、その後グループLINEのアルバムに皆さんが撮った写真を上げてくれたので、活動風景や向こうでの様子を知ることができました。


帰宅後
荷物の片付けをしていると、普段絶対に買ってはダメだと言っていたRed buruを購入したレシートと、英語のラブレターを発見!
見ちゃいけないものを見てしまった、、すぐに元に戻しましたが、息子と話す時ニヤニヤしてしまいました。


無事に帰宅して、その日布団に入ると反抗期全開だった息子が急に

「じいじとばあばとママが年を取ったら俺がオムツを替えてあげるから。」

と言い出しました。
たったそれだけでしたが、息子なりに何かを感じた結果出てきた言葉だったんだと思います。

離れた14日間は私も色々考えました。
自分の育児や息子への関わり方に反省することばかりでしたが、私たち親子にとって大切な時間になりました。

母子家庭だとどんな時でも二人で協力するしかないので独特な絆もありますが、どんな時でも逃げ場が無いのでぶつかり方も激しめでお互いに息苦しくなる時もあります。

異国で離れて過ごした2週間は反抗期でぶつかり合ってばかりいた私たち親子の空気をちょっとだけ入れ替えてくれた気がします。
感動の再会の余韻はその日までで、翌日には怒鳴り通常運転でしたが、、

息子が無事に帰って来れたから言えることですが、10歳でこの経験をさせて良かったと思っています。


ちなみに、、
この時から5年という歳月が経ちましたが、
15歳になった息子はまた違った難しい時期に突入。
ぶつかることも、逆切れされることも、疲れるほどバトルをすることも、、、
ただ息子が今勉強してる理由は私と祖父母の老後の面倒を見る為ということなので、あの言葉はまだ生きてそうです。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?