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愛した瞬間はいつも、狂っている


ふと、何を書こうか迷ったとき、いつもネガティブな感情を探していた。理由は簡単で、ネガティブな感情の方が、同じ気持ちを抱いている人から共感してもらえるんじゃないかって下心があったから。だから、エッセイを書くときは、小学生の私、中学生の私、高校生の私、大学生の私、社会人になった私、いままでの人生の全ての、私を探した。心に負の感情を抱えた瞬間はいつだったかよく思い出そうとした。

小学生の頃から「大人っぽいね」と言われて調子に乗っていた私は“子ども”だった周りの皆に対して、ちょっと下に見ていたふしがあった。いま思えば、なんだお前、自分が一番ませガキじゃないかと、自分にガツンと言いたくなる。
とにかく、心の中でむっとした瞬間をあまり表に出さないように生きてきた自分は、こうして今更昔のことを振り返って文字に起こし、「あの時周囲の人たちに言いたかった不満」をできるだけ角を削りまあるい言葉にしてぶつけようとしていた。今も、そうなのかもしれないけれど。

ただ、今日は、そういう文章を書くのをやめようと思う。
心に溜め込んだ負の感情じゃなくて、人生の中に散らばっている前向きな感情を書き出したくなった。だから、そういうのが苦手だっていう人がいたら、ここで読むのをやめて欲しい。


私は、正真正銘ネガティブ人間だ。
客観的に見れば、わりと人生が上手くいっている方だと思われる。いや普通に自分でも、そう思う。ネガティブになる必要なんて全然ないのは分かっている。でもこれは生まれ持った性質だから仕方がない。
どんなに良いことがあっても、一つの「嫌なこと」に直面すればたちまち、未来が暗くなったような気分になる。これが根っからの私。

そんな自分にも最近、気づいたことがある。
自分の人生を後ろ向きにしていたのは、ほかでもない自分だ。
何かに成功しても、「でも、これが人生の絶頂なんだ。もうあとは堕ちるだけ」なんて、本当にくだらないことを思ったものだ。良い大学に進学して、良い会社に入社して活躍する。そんな模範的な人生を思い浮かべ、でも自分はそうはなれないとも知って、人生途中までは上手くいったけれど、仕事で上手くいかなくなって、ああもうだめだと、本気で落ち込んで鬱になりかけた。今だから言えるけれど、鬱って初めての経験だった。大好きだった読書をしたくなくなり、音楽を聞いても映画を見ても気が晴れない。ぼうっとする時間が増えて、読むことも書くことも減った。そんな時間が来るなんて、思いもよらなかった。ただ、今日はそんな鬱々とした気分を書き連ねたいわけじゃない。これについてはまたいつか、もう少し時が経ったら振り返ってみようと思う。

今日、考えるのは「愛した瞬間のこと」だ。


愛っていう言葉、なんて温かいんだろう。
字面も響きも、私は好きだ。
私が、今まで生きてきて(といってもまだ二十数年だが)、愛した瞬間というのがいくつもあった。忘れていた、というより正の感情であればあるほど、記憶から抜け落ちていただけだ。その瞬間について、書き留めておこうと思う。


小学校低学年の私は、本を読むのが苦手だった。何年生になっても必ずやってくる10分間の「朝の読書タイム」で開くのは、決まって流行りの小説だった。小説、と読んで良いのか分からない、アニメ化なんかもされている作品で、それさえ読んでいれば友達との会話に、かろうじてついていくことができたから。ただ「朝の10分間の読書タイム」以外に、私が本を読むことはなかった。母親は実家が本屋で、自分自身も本屋で働いていたことがあり、幼い私をしきりに図書館に連れて行った時期があった。その当時はまだ、母が読んでくれる物語を好きだと思っていた。図書館で借りてくる絵本や児童向けの小説が、私の心に響いた。

それなのにどうしてか、物心がついて自分で本を選べるようになった小学生の自分は本好きではなくなっていた。家にある本棚に並ぶ小説は、全て母が選んだものだ。いつか私や兄弟が読むんじゃないかと思って買ってくれていたもの。私は三人兄弟で兄が二人いるけれど、兄たちも私も、長いこと母が用意してくれた本を読まなかった。

そんな私に転機が訪れたのは、小学五年生のときだった。
学校でちょっと、嫌なことがあった。
授業のことだったか、友達とのことだったか、中身は全然覚えていないのだけれど、とにかく「明日学校に行くのが憂鬱だ」と思うくらいには気分が落ち込んでいた。小学生の悩みなんて、と今なら思うけれど、当時の私にとっては一大事だった。気分が晴れないというだけで、明日が来るのが怖い。
なんとかしたかった。
なんとかして、この憂鬱な気分を回避したい。
その時にたまたま目に触れたのが、家の本棚にあったとある児童書だった。
ミステリーでシリーズもの。ミステリ小説を読むのは、それが初めてのことだった。
1ページ目を開き、その本を読み始めた瞬間から、信じられない思いでいっぱいになった。

なんて面白いんだろう。

ページをめくる手が止まらなかった。
早く、早く。
続きが読みたい。
個性的なキャラクターに、テンポの良い会話。一人称の地の文が、教科書の文章とは違ってとても読みやすい。
気がつけば時を忘れ、その本を最後まで読み終えていた。
ミステリだったので、途中出てくる謎にわくわくして、謎が解かれてゆくのを、爽快に感じた。本を読み終わったあとの、満たされた気持ち。明日も頑張れる、と確信した瞬間。

私はあのとき初めて、物語を愛したのだ。

憂鬱だった私の心を、これほど晴れやかにしてくれる物語が愛しくてたまらなかった。
翌日から、そのシリーズの他の本を母に買ってもらい、順番に読んでいった。どの話も、期待を裏切らない面白さ。むしろ期待以上の面白さを私にくれた。

他の本も読んでみようと、学校の図書館で本を借りたり、友達と本を交換したりするようになった。そして、気付いたら自分で、物語を書くようになった。
良い意味で、私は狂っていた。
小説を書くなんて普通の人があまりやらないであろうことを、堂々とやっている。人に話すと、「え!」と必ず驚かれる。変わった趣味を持った自分が、昔は周囲から浮いているんだろうと自意識過剰に思いもしたが、いまとなっては誇らしい。

話は変わるが、今度は「人」のこと。
私が今の夫と出会ったのは、大学三回生の時だ。同じ会社でインターンシップをして働いていた先輩だった。歳は3つ上。彼はちょうど就職活動が終わったタイミングでインターンを始め、私はちょうど就職活動を始めようというときに、インターンに挑戦することになった。
自分に自信がなくて、長期のインターンシップに参加しようと思った。仕事が何なのか、会社で過ごすということが何なのか、全然分からなかったから、社会に出る前に知りたかった。社会に出る前に、これからの仕事を選ぶヒントを得たかった。そのために、自分なりに一歩踏み出して始めた仕事。初めて職場に向かったとき、オフィスの扉の前で死ぬほど緊張して、扉をノックするのが怖かった。同じ日に入社した男の子と偶然鉢合わせて、一緒に扉を開けられたのが幸いだった。

初めて訪れたオフィスの中で、彼とは軽く挨拶を交わした程度だった。何しろ、初めての出勤だったので、社員さんや他のインターン生、会う人会う人に挨拶をしていたため、その中の一人にすぎなかった彼と、それほど長く話すこともなかった。

二度目に彼と会ったのは2回目の出勤日だった。
まともに顔を見て話したのはその日が初めてだったので、実質「初めまして」と同じだった。
その人は茶髪でパーマをかけ、メガネをしていて、ちょっと怖かった。

「どこ大?」
「〇〇大学です」
「同じやな」

どうやら彼と私は同じ大学に通っているらしく、そうと分かれば少しだけ親近感は沸いたが、それでもはっきりとした口調で女子と話をするのに全く臆しない慣れた感じを見ると、やっぱりちょっと怖いなという印象があって。

その後インターンの仕事を教えてもらいながら、就職活動の相談なんかもしていた。彼は年上だったけれど、つい最近就活を終えたということで、自分に自信のない私にアドバイスをしてくれた。当時の私は就職活動で夏のインターンシップの選考をいくつか受けている最中で、そのどれもうまくいかず、就職活動に対して臆病になっていたのだ。自分に自信がない、自分が社会に出て会社の役に立っているなんて考えられない、と今思えばずいぶんウジウジと悩んだものだ。大学生が、いきなり会社で何かしらの役に立てるなんて、なかなか難しいことだから大丈夫だって今なら諦められるけれど。その当時は本当にどうしようもないくらい、自分に対する自信が一つもなかった。いまも自信はないけれど、自信がないことに対して、過剰に臆病になっていたのだ。

そんなネガティブな感情を彼にぶつけている最中、神妙な面持ちで私の話を聞いてくれていた。そして一通り吐き出してしまったあとにひとこと。

「そんな気持ちじゃどこにも行けへんよ」

ずどーん。
心のどこかで、「大丈夫だよ」という慰めの言葉を待っていた。期待しながら話していた。ここまでネガティブを吐露しておきながら。
だからこそ、この衝撃といったらなかった。
その日以降、私は彼を「厳しい人だ」と認定し、少し距離をおきつつ仕事をしていた。いや、明確に避けていたわけではないけれど、また何か厳しいことを言われたら……という臆病心からだった。

しかしどういうわけか、彼はその後ほとんど私に厳しいことを言わなかった。というより、彼の強い口調は、彼の中で「普通」であって、厳しいことを言いたいわけではないのだと分かった。それに、彼は圧倒的に仕事ができる人間だった。周囲の人も皆が認めるほどに。
最初は怖かったはずの人物が、一緒に仕事をするうちに、ただただ頼れる人だと思えるようになった。

そして気づいたら好きになっていた。
好きになっていたし、交際して結婚もしていた。
本当に、気づいたら、という具合に。

今は家族として一緒にいたら安心できる存在であり、恋をしていた時とはまた違った居心地の良さを感じている。
第一印象はあれだけ怖かったのに、なぜ好きになり、結婚したのか。
本当に狂っている。
狂っているけれど、この気持ちは愛おしい。

結婚して、私は学生時代に住んでいた京都を離れ、大阪に住むことになった。彼の実家が大阪で、お義父さんが会社を営んでいるため、彼はいずれその後を継がなければならなかった。と同時に、私は大阪に永住することが決まったわけだ。

この際だから、はっきり言おう。
大阪に来た当初、私はここが苦手だった。京都という場所が大好きだった分、京都との違いに打ちのめされて気持ちが沈んだ。大阪出身の方には申し訳ないけれど、大阪に住み始めて、何度京都の鴨川や哲学の道、三条、四条を思い出して切なくなったことか。高い建物が全然なくて、散歩をすればお寺や神社に遭遇する。ふらっと立ち寄りやすい隠れ家的なカフェがある。先斗町を歩けばちょっぴり贅沢をしている気分に浸れるし、下鴨神社や知恩寺では、大好きな古本市が毎年あった。

そんな、大好きだった京都をおさらばし、大阪に来た時の、この言いようもない「ロス」気分は何なのだろう。
いまなら分かる。大阪だって、十分素敵な街だ。
かなりの都会なのに、ちゃんと緑があって、落ち着いたカフェもある。電車に乗ればどこにだって行けるし、人との距離が近すぎてびっくりすることもあるけれど、それはそれで温かい。

ただ、それは今だからこそ分かることであって、一年と少し前は分からなかったのだ。
京都への愛が、執着が、私をがんじがらめにしていた。特に、結婚して一生大阪に住む以外にないのだ、と思うと悲しかった。大袈裟かもしれないけれど。


そんな、「大阪嫌い」の私だったけれど、実を言うといま、私はかなりこの街を気に入っている。
きっかけは今年度に入ってから数ヶ月間、仕事の関係で東京に滞在したことだ。東京は、誰もが憧れる土地。いうまでもなく、お店でも会社でも何でも集まっていて不自由しない。ビジネスをするなら絶対に東京がいいだろうし、お洒落な服を着てお洒落な街を歩くなら絶対に東京だ。
ただ、どうしてか私には、合わなかった。
苦手、とか、嫌い、とかそんな単純な言葉では表現できない。「肌に合わない」というのが一番しっくりくるだろう。
人の多いところや、夜、立ち並ぶ看板のネオンの光に、頭がクラクラとさせられた。
仕事が終わって家に帰り着くと、仕事の疲れ以上に、東京という街で生活をすることへの疲れがどっと押し寄せる。
これはもうどうしようもない問題だと思っている。
私が努力したところで解決できる問題ではなかった。ただ、肌に合うか合わないか。
新しい教室で「この子と仲良くなりたい」「この子とは相容れないだろう」と思う瞬間と同じように、東京という場所に馴染むことができなかった。

しかし、そのおかげといったらなんだが、東京から大阪に帰ってきたとき、はっきりと「ここが好きだ」と感じるようになった。

見渡せば緑がある。川がある。夜景も、広々とした公園もある。
確かに、京都に比べたら、人は多いし、街並みが綺麗だというわけではない。
でも、大阪には大阪にしかない素敵なところがあった。
もちろんそれは、東京にもあるだろう。私の感性がフィットしなかっただけで、分かる人には分かる、東京の良さがあるはずだ。

とにもかくにも、東京勤務のおかげで、私はこれから永住することになるであろう、大阪という街を好きになった。あれだけ苦手だった大阪人の捲し立てるような会話も、今では耳に心地よい。つっこみのテンポにはいまだに付いていけないけれど、こういう環境で生きている彼らにとっては、人との密なコミュニケーションも、日常会話でのボケとツッコミも、当たり前のことなんだろう。

私はその当たり前を、好きになれた。

人と話すのが苦手で、ごみごみした場所が苦手で、静かで落ち着いた雰囲気の場所も、人も、好きだった私が。

まさかこんなに、この場所を好きになるなんて。


まったく、愛した瞬間はいつも、狂っている。


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