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見えないを見る② 衣と住から探る、これからの暮らしとは?

衣・食・住・エネルギーはわたしたちの日々の暮らしを支えています。しかし、日常の一部として溶け込んでいるがゆえに、その生産・消費の現状が目に見えづらくなっています。

昨今では「サステイナブル」などの言葉がよく使われるようになっていますが、その定義は様々であり、それゆえ抽象的な議論になったり、実態が見えずに敬遠してしまったりします。

そこで今回は、「見えないを見る〜衣・食・住・エネルギーから探る、これからの暮らし〜」と題して、衣・食・住・エネルギーの分野で活躍するゲストをお招きし、この4つの視点から抽象的になりがちな「これからの暮らし」のあり方を探るシンポジウムを開催しました。

↓『見えないを見る①』のレポートはこちら↓

衣服と住環境にとって、「根ざす」とは

ファストファッションの普及や、グローバル化ーー。自分たちの身に着ける服や生活を彩るインテリアなどの選択肢が増えた一方で、社会・環境的負荷、伝統の消失といったような問題も生まれています。

どこで、誰が、どのように、どんなものを作るのか」ということが問い直されている昨今で、地域に「根ざす」とはどんな意味をもっているのでしょうか。

哲学者の鞍田崇さんと、「日本民藝館」学芸員の古屋真弓さんを迎え、地域に根ざしたものづくりや暮らしから生活のなかの"つながり"について考えます。

「民藝」をヒントに

まずは古屋さんから、民藝についての説明を。

古屋さんが学芸員を務める日本民藝館は、目黒区・駒場東大前にあります。「偉大な芸術家の作品だけでなく、生活のなかの工芸品にこそ美しさがある」と考えた思想家の柳宗悦(やなぎむねよし)によって1936年に創立されました。「民藝」とは「民衆的工藝」の略で、柳らが作り出した造語です。民藝館には、日常に用いるために作られた美しい工芸品を中心に展示されています。

展示品が美しく見えるように、建物にもこだわりがつまっているのだとか。床に大谷石(おおやいし)という石が使われていたり、自然光のもとで作品が見れるようになっていたり、壁には葛布という自然素材が使われていたりと、工夫がなされているそうです。

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近年、「民藝」や「ていねいな暮らし」など、日常生活に目を向けなおす人が増えてきているように感じます。鞍田さんは、哲学者の視点で「いまなぜ民藝か」を問うています。

食とエネルギーのトークセッションのテーマは"距離"でしたが、民藝を考える上でも"距離"は大事だと思うんですよね。民藝運動が起こった時代には、衣食住全般がどんどん産業革命に呑み込まれていって、『身の回りのものをどこで誰が作ったか分からない』状態の先駆けがすでに始まっていました。そんな中で、生活を見つめなおすということになったと思うんですよね。」

民藝運動が起こってから100年が経とうとしている今、人々は当時と同じように、改めて生活について考えているようです。
食とエネルギーのセッションで井上さんが言及していたように、「プロシューマー(生産と消費の両方を担う存在)」として自分自身が何かを創ることに価値を見出されているのもうなずけます。

そんな鞍田さんが民藝に興味を持ったきっかけは、柳宗悦の次の世代に活躍した上田恒次(うえだつねじ)という陶芸家との出会いだといいます。

上田恒次は、河井寛次郎という偉大な陶芸家のもとに「ただ陶芸をしたいだけじゃなく、このような家を建てて、このような工房で仕事がしたい」と将来まで見据えた図面を持って行き、弟子入りをすることになったのだとか。4年間の修行を経て、実際に図面通りの家を建てたそうです。

鞍田さんは、このエピソードを聞いた時に「民藝には、距離ができてしまった『生活』を自分たちの手に取り戻そうとするモチベーションがあったのでは」と感じたそう。これこそが、現代の人々が民藝に対してワクワクする大きな要因の1つではないか、といいます。

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「我が事感」を持つこと

工芸品をはじめとする文化の作り手に敬意を示す民藝運動家たちは、朝鮮の工芸文化、アイヌや台湾などの民族の伝統や沖縄の方言など、さまざまな人々の文化や権利を守るためにも尽力してきました。

時には危険な情勢の中、そこまで体を張ることができたのは、彼らが他人事ではなく「我が事感」を持って他者の文化や伝統に触れていたからだといいます。

さて、古屋さんも鞍田さんも民藝に造詣が深いことから「『衣』の話があまりできていませんでしたが」という鞍田さんですが、民藝から見出される「我が事感」の深さを再認識したのは「衣」、具体的には奥会津・昭和村の「からむし」の世界に触れたことがきっかけだったそうです。

「からむし」は布の原料となる植物の名前です。昭和村では、いまなお「からむし」を畑で育てています。そうして、そこから繊維を取り出し、その繊維から糸を紡ぎ、さらに布を織るまでの行程が、季節の歩みにあわせていとなまれています。それらすべて、始まりから終わりまで、全て手仕事です。

その膨大な時間と営みを要するプロセスに衝撃を受けた鞍田さんは、手仕事から私たちが受け取るべきことがまだまだあると感じたそう。同時に、生活を「我が事」にするとはどういうことか、さらに考えるきっかけになったといいます。

感性を磨き、暮らしと向き合う

現代は、インターネットでワンクリックすれば、どんな商品もかんたんに手に入れることができます。そんな時代が進めば進むほど、この「我が事感」は薄れてきているのではないでしょうか。

改めて自分の生活と向き合うために私たちができることを、古屋さんと鞍田さんに伺いました。

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古屋さんによると、民藝運動には「自分の生活を自分で創っていく訓練をしなければならない」という考えがあるそうです。「自分の生活の創造」は、まず風土やそこに暮らす人々を敬うことから始まります。

「創造」というと0から何かを創り上げるようですが、伝統など、すでにあるものから自らの生活を創造していくことが大切だと古屋さんは言います。

そのためには、自分で行動して経験値を重ね、感性を磨く必要があります。食べるものが人の体を作るように、見るもの、触れるものによって人の感性は養われるのです。

続いて、鞍田さんが重要だと思うことは2つ。

まずは「ノイズ」や「違和感」をうやむやにしないこと。生活のなかには手がかりはあっても、お手本があるわけではない、と鞍田さんは話します。周りの物事に関心を持ち、自分が感じる違和感に向き合って行動を起こすことが重要です。

そして、2つめは挨拶をすること。突拍子もないことのように聞こえるかもしれませんが、挨拶をするとは周囲の他者を物ではなく人として認識することだといえます。
こうして周囲を意識を向け、コミュニケーションを取ることは、1つめのノイズや違和感に気付くことにもつながると鞍田さんは言います。

私たち1人1人が感性を養い、身の回りの物事に対して「我が事感」を持つことによって、これからの暮らしはより地域に根ざしたものになるのではないでしょうか。

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