私の美(56)「ニューヨーク、ユニオン・スクェア北のバーンズ&ノーブルの建物」
古いからなんでも好きで良い建築物だとは思ってはいません。そこにしっかりとした建築デザイン思想があり、その建築物を多くの人々が自分の心象風景のひとつとして愛でてきたような建築物に惹かれます。ただ豪華かどうかも関係ありません。
以前、遠野を旅したときに出会った小さな祠(ほこら)のたたずまいは私を虜にしました。観光客など訪れない小さな祠でしたが、夏草のむせかえるような香りがたちこめる午後、人の気配はなく、ひっそりとたたずむ祠は、私が忘れ去った懐かしい心象風景をくすぐったようでした。それは、琵琶湖西岸にある今津という集落の里山近くにあった神社で感じたものと似ていました。私が小学低学年のころ、毎年父に連れられて一週間ほど古い藁葺き屋根の家で夏休みを楽しんでいたのですが、その家のそばにあったのがその小さな神社でした。江戸時代もしくはそれ以前から、人知れず、村人だけが手を合わせ、日々の生活言葉でお祈りしてきた歴史が積み重なっているようでした。そして、それと似たようなものが遠野の小さな神社にもありました。
先日、神宮外苑野球場でヤクルト対オリックス戦を観戦しましたが、この神宮外苑野球場もまた心に沁みる心象風景を私に与えてくれました。京都にあった西京極球場が私の野球場原体験なのですが、戦前から野球に親しんできた球児や野球ファンたちが、おそらく何万人、何十万人とその野球場に訪れ、野球というスポーツを楽しんできたのだと思うと、神宮外苑野球場もまた、私たちの庶民の文化史にとってはとても大切なものだと感じました。その数日後、村上春樹さんがラジオ番組で神宮の再開発計画に反対すると語られたようですが、私もまた同感でした。東京都が公開しているその再開発計画の資料を読んでみましたが、そこには、神宮外苑野球場が長年庶民に愛された心象風景という遺産についての検証はまったくありませんでした。神宮外苑野球場にしても西京極球場にしても、日本ハムファイターズや福岡ソフトバンクなどの豪華な野球場の施設と比べれば貧相なものかもしれませんが、そこには長年の庶民の歴史が刻まれていますし、建築デザイン思想もまた、そうした庶民の心象風景とともに、およそ百年前から息づいています。
さて、長々となりましたが、ニューヨークに行って楽しみの一つがマンハッタンの古い建築物を見ることで、私が好きな建築物の一つが写真のものです。マンハッタンのユニオン・スクェアという公園の真北にある建築物で、長年バーンズ&ノーブルという大型書店チェーンがこの下に入っています。
調べてみると、この建物はThe Centuryという名前で1931年12月に完成しました。短期宿泊ホテルでもあったようです。このアールデコのデザインの設計者はアーウィン・S・チャーニンという人物で、デベロッパーでもあり、ブロードウェイの有名な劇場…例えば、ロキシー・シアター、マジェスティック・シアター、ロイヤル・シアターや、リンカーン・ホテルなどを建てた人物です。セントラル・パークの西側沿いにあるThe Majesticという建物とこのThe Centuryの二つの建物が、アール・デコのデザインを施したものとして有名だそうです。
およそ百年前の、近代化に邁進するニューヨークのマンハッタンの勢いそのままのアール・デコ調の建物ですが、そこで営まれてきた無数の人生や、この建物を日常生活の心象風景としてとどめてきた無数の人生が塊となり、想像は膨らみ、私をワクワクさせてくれます。さて、次回ニューヨークに行けるのはいつの日になるでしょうね。中嶋雷太
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