「死にたい」と「生きたい」

近頃、朝起きると「死にたい」と思うことがよくある。
自分の無力さ、他人と比べてしまう愚かさ、将来への不安
自分の中に生まれるありとあらゆる感情が自分の自尊心を蝕んでいく。

「死にたい」と思う自分を自覚すればするほど自分という人間がとても愚かであると感じる。
なぜ自分は「死にたい」と思うのだろう。
世界には必死に「生きたい」と願う人々やどうしようもない逆境にも立ち向かう人々がいるのに。
そう思えば思うほどより自分の心は病んでいく。

しかし、「死にたい」という感情はもしかすると自然なものかもしれない、人間に必要な感情かもしれない。

人間は日々生き物を食べ、利用している。
その生き物たちは死の直前まで必死に「生きたい」と思い運命にあらがおうとしていただろう。

私たちはそのような生物たちの生を奪い、生きている。
彼らは「生きたい」という願望と裏腹に死という運命に苦しんだ。

そのような生き物を食べている私たちは、「死にたい」とおもうほど「生きる」ことに苦しみながらも生き続けなければならないのではないかと思う。

すなわち、自分の無力感や社会で生きる中で感じる「死にたい」ほどの苦痛は人間という食物連鎖の頂点に立つ生物が背負う断罪であり責務なのではないかと思う。

だから「死にたい」と思うことは自然なことなのだ。
私たちは「死にたい」と思うほど生きることに苦しみ、生き続けなければならない。

そう思うとなんだか心が軽くなってきた。

今自分が置かれている苦しい状況も、何もできない無力さも、
自分の人生に必要なことなのだ。

これからも社会の理不尽や自分の無力さと闘いながら、「死にたい」という感情を抱えながら、必死に生きていこうと思う。



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