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クリエイターの使命とは? 『浅田家!』 を見て。

「浅田家!」爽快な気分になれる映画だった。
私なりに視聴後すぐの率直な感想と思ったことを書き残してみたいと思います。

軽微なネタバレ含むかもです。各々自衛願います。


お話は2部構成で、
1部は写真を志し、プロになり評価されるまで、
2部で3.11で被害にあった東北での出来事を描いている。

私的に展開に3.11が出てくると憂鬱な気分になるんだけどこれはならなかった。

二ノ宮氏は素敵な俳優さんですね。いやこの映画に登場する俳優さん皆素敵でした。

使命とは?

「使命とは?」
私がこの映画を見て一番強く思ったのはこれでした。

主人公の二宮くんが演じる写真家の浅田政志さんは一貫して「自分にしか撮れないもの」を探しています。

それは「撮りたいものがない」とかっていうセリフにも現れているのだけど、
一般的にはちょっとお高くとまっているように聞こえるし、そんな寝言行ってないで稼いで一人前になれとか言われて聞き捨てられちゃうような言葉だと思う。

だけどこういう言葉を吐く時、クリエイターにとってそれがどれだけ深刻か、周りはなかなかわかってくれない。

生活に流されて心にもない文章を書いたり、曲を作ったり、歌ったり、絵を描いたり、心も踊らない写真を撮ったり..
そうやってプロの肩書きは得られるけど、自分は何者なのか?どうしてこれをやり始めたんだっけ...なんてことは良くあって、そうやっていつの間にか生活に足を取られ両手に荷物を抱え、動けなくなり、そして創り出すことを諦めてしまう。

浅田さんは「撮りたいものがない」と言って何年も釣りとかしながらぶらぶら過ごします。
海が近かったら私も確実に釣りしてた…
個人的に痛いほどわかる心情だった。


浅田さんは、ブラブラしながらも「自分にしかできないこと」、つまり「自分の使命を探していた」んだと思う。

そしてついに自分にしか出来ないことを思いつき、それを胸に、
その一本で挑んでいきます。
評価されなくて腐る日もあったと思うけど、でも自分の作品はとにかく面白いと思っていて信じている。
なかなか評価されず心折れそうになっても、
周りの大切な人がなんだかんだ言って彼の一番のファンであり、理解者なんです。彼の写真が面白いとただただ信じて応援してる。

これはとても羨ましいな、と思いました。
クリエイターにとって実際一番必要で大切なのは、
技術とか、いくつ賞をとってるとかじゃなく「身近な大切な人の応援や信頼、励まし(愛のムチ)」だと思うからです。

でも、これはきっと浅田さん自身がご自身でも無意識に蒔いてきた種(いい意味で)が実を結んだ結果なんだと思います。

人生最後の一枚に何を撮るか?という問いに家族写真を撮ろうとを思い浮かべた彼。
幼い頃から自然に蒔いてきた愛なんだろうなと。


そうしてやっと世の中に認められ始めたある日、大震災が起こります。


3.11を描いたものって、その当事者を主人公にしているものが多くて...なんとなく
感動を呼ぶために「観せる為に作られたもの」という気がしてしまい、途端に胃のあたりのムカつきを覚えてしまう私です。

ドキュメントにしても、ドラマにしてもどんなに感動を呼ぶ話だとしても、「観せるために作られた」というのがちょっとでも透けて見えてしまうと拒否反応が身体に起こってしまうのです。うまく説明はできませんが。
なので普段はあまり実写映画やドラマは見ません。(アニメ、漫画好きです)

珍しく見てみたいと思ったのは、ネトフリ開いたら、二宮くんがファインダーを涙目でのぞいている写真が目に飛び込んできてそれにとても惹かれたから、でした。

でも正直この展開になるとは予想もしていなくて…少しげんなりしました。

ところがこの「浅田家!」というお話は、感動をわざと作ろうするわけでもなく、泣かせるシーンを大げさに描くわけでもなく。
語弊を恐れずに言うなら、「一人のクリエイターが使命にたどり着く為の舞台」として震災が描かれているのです。

この震災に直面して、自分にしかできないことをそこに見つけ、浅田さん自身が救われていく話、なんです。



第三者が見たもの

この映画は3.11を扱った映画には珍しく、被害にあった当事者の目線でなく、いわゆる「モブ的な」目線で作られています。

彼は被災地ではカメラを握ろうとしなかった。

だけど、彼の目から見た被災の有様は事実だけを淡々と写し出していて、表立った脚色もなく、その光景を見た人(視聴者)の心に何が浮かぶか?を操作していません。
この惨状が淡々と写し出される表現方法(これを演出と呼ぶには申し訳ない気がする)が神がかっていると思いました。

本当にただ淡々と、事実だけが彼の目を通して映し出されている。
主観のない”カメラ”の目線、というか..

それは脚色なんかしなくても十分に悲しさ、惨さ、酷さを伝えてくるし、まるでその場に自分がいるような息をのむような映像だった。


浅田さんは、そこでカメラを握ろうとせず、ひたすら津波で流された写真を洗うボランティアをします。

無力な自分。
この状況でカメラを握るという責任を自分は取れるのか?
自分に何ができるのか?
と思ったのではないかな..
せめてなんでもいいから自分にできること、役に立つことをしたい、と。

でも
そうやって写真を洗いながら
「自分の信じて進んできた道の先にあるのは、こんなにも無だったのか?
結局独りよがりだったんじゃないか?
出来ることなんて何もないじゃないか!」そんな無力感にただ写真を洗うことしかできない自分….

そんな風に見えました。

プロのクリエイターであるという資格


私は、震災当時、音楽でなんとか食べている身だったのだけど、
イベントは全てキャンセル、東京にいてもこんな時に音楽なんて、と、しばらくは全く仕事がなかった。
いつどんなきっかけで活動を再開すればいいのか誰も正解を教えてくれなかった。

夏頃になって、有志の方からお声がけいただき、避難所の方達を励まそうと企画されたイベントで歌ったけど、その時の避難者の方たちの、どこを見ているかわからないような目が忘れられない。
何が出来るのか全くわからなかった。
そして自分も、頑張ったとしても、また大きな地震が起こって全てが無になるかもしれないし…と思うと何もする気が起きなくなった。


東京で少しずつライブの店が再開し、元々予定されていた日程が迫り、
気が重かったけど、仕事と割り切って流れ作業のようにライブ会場に行き、ライブを行った。

ライブが終わって一人の女性が話しかけてきてくれ「あなたの歌に心動かされた」震災後初めて音楽を聞いて心が動いた、と涙声で言ってくれた。

その日私は頭の中は真っ白で、何を歌ったかはっきりと覚えていない。
でもいつもは歌わない日本語の歌、夜空ノムコウをカバーして歌ったのは覚えている。

あれから僕たちは何かを信じてこれたかなあ?

スガシカオ

恥ずかしながら、誰に伝えたいから歌ったわけでもなく、自分を慰めたくて歌ったような記憶がある。
でも誰かの心を動かすことができたのなら、もしかして私はまだ歌っていてもいいのかもしれない?

使命なんてたいそれたことはその時は考えなかったけど、こんな風に自分の歌が誰かの感情を動かすことができるということは大きな自信になったし、
「自分が歌う意味」と「人前で歌ってもいい資格」をやっともらったように思えた。

歌うことは写真を撮ることと似ているように思う。
被写体がなければ写真は撮れないし、被写体の心が動かなければ本物の
笑顔を引き出すことはできず、無理やり笑顔やポーズを作って撮った写真などきっと浅田さんにとっては撮る意味がないんじゃないだろうか?


歌も、聴いてくれる人がいなければ単なる鼻歌だし、聞いて心を震わせてくれる人がいなければ、そんな歌はカラオケボックスで歌うのと変わらない。

私がしたいのはきっと歌うことそのものじゃなく、誰かの心を震わせたい、歌でそれができたら最高、
だから歌いたいのだ、と気づかせてもらった。

浅田さんは、被写体に無理に笑顔を作らせない。
自然発生的に生まれた笑顔を撮る。
それにはファインダーの前で心から笑ってもらわなきゃならない。

浅田さんが悩み抜いて出した答えが実を結ぶ、静かな一瞬のクライマックスに胸が熱くなった。

誰かを救っているようで、実は自分が救われている。
自分が救われて、そのお陰で誰かを救うことができる。

こんな表現が撮れる中野量太という監督にもとても興味を持った。



3.11を描いた映画でこんなリアルな希望を見せてもらえるなんて思いもしませんでした。
他の作品もぜひ見てみたいと思いました。

月並みな表現だけど、とてもいい映画だった。

思わずこんな長文を書いてしまうくらいww


まだ観ていない方は是非観てください!
特にクリエイターの方は胸が熱くなるんじゃないかな。

『浅田家!』

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