発達障害で「諦めた事」が見せてくれた幸せ。
昔、雑貨が大好きだった。
ちょこちょこわざわざ雑誌で見た店まで行って買ったりして、ワクワクして。
食器類が多かったかな。
今でもそう言う、雑誌や写真を見ることは好きだけど、全く買わなくなった。欲しいと思わなくなった。
人は変わるものだ。
変化の大きな理由として、ADHDを自覚した事は大きいと思う。
見えていないものは持っていないのと同じなので、基本見える収納になり
沢山のモノを見える形で収納するには沢山のスペースが要る。
が、スペースは限られてる。
なので必然的にモノを持てなくなった。
例えばコーヒーカップ1つでも場所が決まっているので新しく買ったら何か1つ手離さないとしまえなくなる。
収納の鉄則は
「しまう時は、取り出しやすく」。
だからキツキツに仕舞い込まず7割スペースを使って、残り3割は出し入れしやすいように隙間を開けておく。
余談だけど、
さっと取り出せないものは間違いなく使わなくなる。
使おうとした時に「ああ、どこにしまったっけ?使うにはアレとあれをまずどけて、確かその奥に、、ああ、面倒くさい、寒いし(暑いし)また今度でいっか、、」
そしていつしか持っている事も忘れてしまう。
脳は”モノを探す”と言う作業をものすごくストレスに感じるらしい。
だから見えやすいように、使いやすいように、しまいやすいように、収納する。
そして基本1つしか持たない。
あちこちにしまうと、持っている全体数を把握できなくなり、まあいっか、と収納も疎かになる。
結果、「使おうとした時にナイ!」と言う事になる。
だから1つ。
1つしか持ってないから、必ずそこにしまう。
次に使う時ないと困るから、しまっておこうと思える。
そして壊れたら買う。
シンプルにすると、
頭で考えなくて良くなるので、その事を頭から出せる。
その空いた脳のスペースは他の事に使える。
そんな風にして、出来たスペースは、
いつしか”余裕”をもたらし、
今まで手付かずだった「人生の大切なモノ」
に手を伸ばしてみようと自然と思えるようになった。
脳にしまう時も7割。
3割は出し入れ可能なスペース、つまり”余裕”として絶対確保しておく。
発達障害の人は、ここに目一杯に詰め込みがち。
私もずっと、常になにか「しなきゃいけない事」「したいと思ってるけどやれずに10年経ってること」とかで頭がいっぱいだった。
根拠のない自信と自己管理の甘さで、
とにかく持ち物(物理的なモノ以外にも)
が多く、
そしていつも脳がキャパシティを超えてるので、咄嗟の事にすぐ対応できない。
何もかも上辺だけ、見掛け倒し、中途半端。
“空になった所にしかモノは入れられない”という
当たり前のことを知っているようで、身をもって知らない。気づけない。
片手をいつも空けておく。大切なモノは1つしか持てない。他は諦める。
私は、これをいつも自分に言い聞かせてる。
そこでできた余裕で、
とにかく出来の悪い自分を一回受け入れて、
出来の悪い前提で、
自分の中のちょっと手のかかるちっさい子の面倒を見る感じの眼差しで、先回りする。
「この流れは”やらかす”流れだ」
とわかるようになれば、前もって手を打つ事ができる。
諦める、とか言うと悲しい響きと捉えられてしまうかもしれないが、
私はマグカップは、ものすごい気に入って海外から取り寄せやっと手に入れた結構高価なモノを使っている。
コレクションボードに入れて眺めるレベルのものだ。それを普段使いしている。
お気に入りでやっと手に入れたものでとても満たされているので、
他に欲しいとは今のところ思わない。
一つしかなくても満たしてくれるモノを持てばいい。
実際、いくつもたくさんもっている時満たされていたかと言えば、全くそんな事はなかった。
ガチャガチャとそこそこのモノでお手軽に刹那的に満たした欲望はすぐに渇く。
私はADHDである事で、諦める事や手離す事を余儀なくされたけど、
その代わりに「1つしか持たない事」で見える愛しい景色を見せてもらった。
立ち位置、見方を変えると、当然見えるモノが変わる。
障害者だと思って一生を終えるか、新しい景色を見るかは、
自分次第だと思う。
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