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とても個人的な、終着駅と始発駅のこと。

少し前の記事で「呼び込むためには、スペースを作る。」と綴りました。

さあ、準備はOKよ!と、あらかじめ呼び込みたいことのためにスペースを用意しておくのも必要ですが、そうじゃない場合だってあります。突然、終わりを告げられる、終わりが訪れてしまうこと(事柄)もある。なかにはずっと持続していくこともあるのでしょうけれど、多くの場合は終わりがあって終わりがやって来る。その終わり=終着駅はずっとずっと先にあるかもしれないし、思いのほかはやく到着してしまうかもしれないし。どちらにせよ、その時がやって来たら、こう思うようにしています。

新しい軌道に乗り換える時なのだなと。
新しい出会いのための終着なのだなと。

執着しない、とらわれないようにもしています。人生経験が浅かった頃は、やり遂げようと踏みとどまることと、単にとらわれて身動きが取れないことと、判断するのが難しかったように思います。まあ、身動きと取れずにしがみついて頑張るというのもひとつの経験なので、それはそれで必要なんですけどね。今は、滅多にしがみつかなくなりました。それは、あきらめているわけではなく、別の軌道に行きなさいよ、進みなさいよ、というサインかもしれないと思うから。

大好きな映画『セレンディピティ』にこんなのセリフがあります。

“運命のサインをどう読むかで運命は決まる”

映画「セレンディピティ」

この映画で語られているのは恋愛についてのサインですが、恋愛以外でも、仕事でも人生でもあてはまる。記憶にとどまっているセリフのひとつです。とは言っても、毎日、サインを探しているわけではなく、何かこう決断しなければならないことがあるときに、ちょっと気になるかも、ちょっとひっかかるかも──というモノや状況があったとすると、これはもしかするとサインかなのか?と。そんな感じ。決してサイン自体が変化をもたらしてくれるわけではなく、自身が思考するきっかけにになるだけ。でも、それが決断につながっていくのではないかと。

そして、年明け早々に告げられた、私にとってのひとつの終わり。今まで乗ってきた列車に「ありがとう」と感謝をつたえ、新しい列車に乗り換える準備をしているところです。終着駅は始発駅でもある。この考え方も好きです。桜木紫乃さんの小説にも「起終点駅(ターミナル)」というタイトルがあって、好きな小説です。映画にもなりましたね。

あ、新しい“時”をうごかすために、前々から欲しかった時計を新調しました。まあ、これは買い物をしてしまった言い訳ですが……。

たぶん、また明日か明後日あたりで。


↓こちらの記事でも「セレンディピティ」について書いてます。

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