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私が育つ、母の成長。


トイレできるまでの長い道のり
私が育てられていた

息子を抱きしめていたとき、涙が流した理由はいくつかあった。
①嬉しい涙。息子がやっと出来た!
②寂しさの涙。あ〜!また一つ成長していくのね…


親心というのはふたつの気持ちがいつも絡み合っている。成長を喜ぶ気持ちと、成長していく(少しずつ大人になり離れていく)ことの寂しい気持ち。最初に喜びがくる、後から寂しさもちゃんと追いかけてくる。そしてふたつが絡み合う。どこかでこんな気持ち味わったなあ...あっ 卒乳の時と似ている!と思った。


実はあの日泣きながら私はもう一つ感じていたことがあった。それは自分自身のこと。

③達成感の涙 だった。
よく頑張ったぞ、待てたね、私!おめでとう!

あの時思わず出た、「おめでとう!」の言葉は、もしかしたら自分へ贈りたい言葉だったのかもしれない。



「待つ」ということは、本当に難しい。なかなか待てないのです。根気も要ります。途中ため息でます。心揺れます。心の余裕も必要です。身体を緩めることも大切です。子供の成長を信じて待つのは、本当に忍耐のいることだと私は思います。

そして、子供の成長を信じることもそうですが、そもそも「私が“わたし”を信じることが出来るのか」ということにも繋がっています。


だいじょうぶ、と子を信じる
そう信じている 自分を信じる


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「母親は、少しの間だけ子どもの手を支えるが、その心は永遠に支え続ける」(作者不明)

私をお母さんにさせてくれてありがとう。
あなたから教えられることばかりです。

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2本目のろうそくが灯りました。



今日もありがとうございます。
おやすみなさい。 


最後まで読んで頂きありがとうございます!