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もらわないと決めた。

前回からの続き。

◆もらわないと決めた

心の病を抱えた人の「負のエネルギー」というのは、とても重たくどよんとしたもの。気付くと私もそちらへ引きづり込まれそうになる。それは目に見えないもので、でも確かにあるもので。すみません、「もの」と言っているけど形などはない。でも確かに、二人の間に、この部屋に、漂っている空気のような。何と表現したら良いものか、言葉にならないものが確かにそこにあった。

時々夫からそのエネルギーが、ものすごく強く発せられるときがあった。そちらへ私も吸い込まれそうになる。心がそっちへいこうとする。「待て待て、私よ落ち着け。」私は、絶対にもらわない!と強く心に言い聞かせていた。なぜならそれは、夫が感じているもの・経験しているものであって、「わたし」ではないから。同じようにそれを経験しようと、積極的に影響を受けようとする必要はなき。影響受けるか・受けないかも「自分で決めること」だと私は思った。
母が昔「乳がん患者の集い」に参加したときのことを話してくれたことがあった。母はその時のことを、後になってこんなふうに話していた。「がん患者のお友達に誘われて、当事者同志語り合う会に参加したんだけどね。行ってみたらマイナスの話ばっかりで。聞いてて気分いいものじゃなかったな。毎回ここに来ると、いろいろもらっちゃうなと思ったから、もう行くのやめた。」と。私も同じ立場ならきっと母と同じように選択していたと思う。
配偶者という立場にいるにも関わらず、まるで「当事者」だと思い込んでしまうくらい深く引き込まれてしまうことがある。それが当たり前かのように、いとも簡単にそれを引き受けてしまう。「自分の在り方と立場は、自分で守らなければならない」と私は思っている。ずるずると精神疾患を抱えた配偶者と一緒になってしまうこともできる。もう何十年もそうしいたら、それが当たり前になってしまうのかもしれない。疑いもしないだろう。しかし、私はそれを選ばなかった。その立場を引き受けるかどうかを「自分で選択している」私は、夫を受け入れると覚悟したと同時に、私は「それをもらわない」と決めたのだった。

◆夫と病気を、別々に考えるということ

わたしは夫を「うつ病の人」としてずっと見ていた。人は、そういう立場や役割が生まれると、その人を無意識にそう見てしまうし、そう扱ってしまうことに気付かされた。
ある女性が『「人」と「病気」を別々に考えてみると、また違ったことに気づくんですよ。』と言っていた。なるほどな、と思った。私は「夫」と「うつ病」をいつも一括りにして見ていた。夫=うつ ぴったりくっついているイメージだった。
自宅に帰ってから夫にその話をしたら、「そうそう、それ、分かる気がする。うん、なんとなく」と言った。「僕はうつ病なんだけど、それは、ぼくじゃないんだよ。また別の問題なんだよ。」と。それから、夫と体調が良いときにホワイトボードを使って話し合いをした。「夫」と「うつ病」それぞれに距離を置くように絵を描いて、この「うつ病」というのはなんだろうか?と一緒に考えてみることにした。この時間がとても私たちにとって有意義な話し合いとなった。先にも話したように、私は、夫をうつ病者扱いをしていた。そう見てしまうのは自然なことだろうと思う。
しかし一括りにみてしまうと、夫という人格や人間性を見失うことになる。うつ夫として見ている限り、私の態度や言葉や言動はそこから生まれる。そして夫もまた、うつ夫として演じてしまうのかもしれない。人は繰り返し浴びせられた言葉通りに動いてしまうことがあるから。ますます夫を「うつ夫」にさせてしまうのは、私の夫に対する見方にあることに、この時気づいた。


◆忘れられない質問

夫の診察に最初の数ヶ月だけだったが、私も息子を連れて付き添っていた。というのも、夫は頭の中が真っ白で霧がかかったように何も考えたりすることができなくなっていたから。先生に、夫の最近の様子や言動などの質問に私が答えていた。
ある日先生が私に聞いてきた「旦那さんは子供のころ、どのように育てられていたのか、何か話を聞いたことありますか?」「奥さんとして何かそれについて感じていることはありますか?」「そのことについて何か(夫は)言っていたことはありますか?」「お義母さんはこのこと(息子がうつ病のことを)を話したとき、なんと言ってましたか?」と聞かれたことがあった。突然の質問にちょっとだけ戸惑ったけれど、お義母さんに話したときの反応と言葉、私の感じたことを伝えた。「分かりました」先生は表情一つ変えず、淡々とした口調で返してきた。帰り道、小さな子を抱きながら思った、私も今母親である。隣を歩く夫を見ながら、こんなにいい大人になっても、母親の子育てのこと、母親の関わりが、この人に影響を与えているというのか。たった一回きりの質問で、それ以降は何も聞かれることはなかったけど。あの日受けた質問は、私にとって忘れられない質問だった。


◆すべてを分かろうとしない

夫の理解に努めるなかで、当たり前だが、すべてを理解することは不可能だった。当然といえば当然である。風邪をひいて寝込んでいる人の気持ちは「あ〜辛いよね」って想像できる。自分も風邪をひいて寝込んだことがあるから。でも経験していないことは、心の底からその苦しみや辛さを本当に理解することはできない。頭の中に霧がかかる? 文字が書けない? えっ?どういうこと・・・理解し難いことは他にもたくさんあった。 ある日母が言った「すべてを分かろうとしなくていいんだよ」と。分からないままでいい。だって分からないのだから。
確かに、無理に分かったふりされる方が嫌だろうなと思った。分からないまま話を聞けばいい。「今そういう気持ちなんだね」「今そういう風に感じているんだね」といっぱい共感をしてあげた。夫の言っている言葉をそのまま返すだけの。シンプルだけど、この方法はとても効果があったように思う。


長くなりました、今日はここまで。
最後までお付き合い頂きありがとうございました。





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