雲の上の村からー殺すことを拒んだ男『名もなき生涯』ーテレンス・マリック監督映画を見た


緊急事態宣言の北海道。火曜日の街は、いつもとそんなに変わった感じもしなかったかなあ。長い映画を見てお腹がすいて、狸小路4丁目の香州にいったら、いつものように混んでてランチタイム終わりのサラリーマンおじさんたちが、ぞろぞろ集団で降りてきたよ。緊急事態宣言ていったい……。

ー悪ーはどこにあるのか。
ー悪ーと判断する為の定規は何なのか。
オーストリアの雲の上、アルプスの麓で営まれる「シンプルな暮らし」の上にー悪ーは、いつの間にか忍び寄っていく。

ナチスにたった一人で抵抗し、人を殺すことをー悪ーとして兵役を拒否し、ヒトラーへの宣誓を拒み、処刑されていった男の事実に基づいた物語。

何も意識しないで観にいったのですが、監督は、巨匠(と呼ばれる)テレンス・マリック。唯一見ているのは『シン・レッド・ライン』。哲学者をやってて20年ぶりに撮った映画だとか全然知らなかったなあ。『シン・レッド・ライン』も長く苦しい映画だった(という記憶しかない)兵士が戦うこと人を殺すことに苦悩する話だった、と思う。

わたしたち日本人は、戦争について被害者意識ばかりが強い。「殺される」ことに対しては非常に過敏に反応する。兵隊が殺される。一般市民が殺される日本の戦争映画は「戦争によって死んでいく日本人」を描くのがほとんどじゃないだろうか。

しかし、わたしたちは、同時にちゃんとわかっているはずだ。戦争は敵国と戦い見ず知らずの人々を無残に殺すものなのだと。殺される側ではない、殺す側に立つことをどう捉えるのか。

特攻で死んでいった英霊を称えよと。日本を守る、家族を守るために散華していった人を思えと。あなたは言う。ならば同時に、その誉れたる兵士に殺されていった夥しい人々について。どう考えるのか。

その「人を殺す」という行為を強いられる、それ自体について。
考えに考え、考え抜いて、生きようとしたのが、フランツだったのか。

わたしの両親はクリスチャンの家で育っている。しかし本人らは共産党で無宗教を唱えている。実家は遠い四国でお墓参りもろくにしたことがない。お寺みたいな法事もない。おそらくー無宗教だからー神社に行かない主義だったんだと思う。初詣も行ったことがない。

お盆の儀式も知らず、仏壇に線香あげたことすら人生で数回しかない。礼儀も知らない非常識な人間に見えるかもしれない。わたしには「御先祖様を大事にする」ような、ごく素朴で日常的な宗教的感覚すらないのだった。

だからテレンス・マリックが主題とし続けるキリスト教ーイエスについての思考ーフランツが見つめ続ける「教えに反する」事柄や神もー真実ーも、何一つわかるはずがない。本当にわからない。

でもなぜだか同じ主題の『奇跡の海』『ダンサー・イン・ザダーク』(ラース・フォン・トリアー監督)も、そして『名もなき生涯』も見てしまった。

これらの映画は、神と倫理、人間の原罪と復活を、現在に投げ込もうとするところで繋がっている。


この記事が参加している募集

映画館の思い出

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?