小さい頃の記憶が感謝で塗り変わった
小学1年生だった次女が学校に行かなくなって、1ヶ月ちょっと経ったときのこと。
両親は心配しそうだと思ったので、あえて話していませんでした・・・が、両親とテレビ電話をしていたときに、次女が自分から
「学校行ってないの。行きたくなったら行くの。」
と言ったらしく、数日後心配で・・・と電話がかかってきました。
私自身は、小学校のときから学校が楽しくなくて、苦痛に感じる日も多く、行きたくないのに「学校には病気じゃない人は行くものだから」と、ただそれだけで母に無理やり行かされていた記憶が。
学校で嫌なことがあって母に話しても、なんかうやむやにされて終わる。気持ちを受け止めてもらえた感じがしない。
母は私の気持ちをわかってくれない。
味方じゃない。
学校のことだけじゃないですが、そんな気持ちが強くなっていき、IRMを身につけて母に対しての思いを浄化できるまで長年引きずっていました。(今は当時のことを思い出してもネガティブな感情が起こらなくなりました)
私はそういう自分の体験もあったし、不登校の親子の話を聞く機会も多かったので、子どもが学校に行けなくなった時には、
「子どもの話を丁寧に聞いて、気持ちを受け止めよう。」
「子どもの体験を信じて、意思を尊重しよう。」
自分の中での方針は固まっていました。
ただ、電話がかかってきた時に、母にまた昔の調子で話されたら面倒だな・・・という思いが。
ところが話を聞いてみると、次女の心配というよりも、私の心配をしてくれているようでした。
“お母さんは、子どものことで心配があったときには夫婦関係を見直すということをしていた。表面的に仲良くしているということじゃなくって、何か我慢をさせていないか?お互い大切にしているか?そういうことが大事だと聞いたから、4人色々と心配なことがあったけど、そうやってきた。”
・・・という話でした。
確かに母は父を立てて、なんでも一番にしていたし、子どもたち4人みんなそれぞれ家庭を持った今、二人暮らしで夫婦仲はよいです。
一時期は、なんでそんなにお父さんが偉いのかよくわからない。と反発した時もあったけれど、母が父を大切にしていた中で育った事は、私にとってすごくありがたいことだったと今になって思います。
当時私は、母は私の気持ちを受け止めてくれないと思っていたけれど、母は母が一番いいと思う方法で私に向き合ってくれていたことがわかり、感動しました。とてもありがたいと思いました。
娘のおかげで、そんな私の小さい頃の記憶も新しく感謝で塗り変わることができたこと、本当に嬉しいです。
面白くないこと
許せないこと
生きてるといろんなことがあるけれど、拘っていた視点から離れて別の角度から見れるようになったとき、その体験に新しい価値が創造さる。
そのきっかけは、いたる所で与えられていますね。
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