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計画による副産物 - 2

前回の続きです。

見えてきたのは、1700年代ごろ。
ドイツとかスイスかなぁという感じ。
なんとなく、マリエンヌとかマリエラとかMがつく名前で、愛称で「マリー」と呼ばれている女性でした。その場面では18歳くらい。

「どうしよう…どうしよう!何もできない!」
と、慌てふためく様子や焦り、途方に暮れている感じが伝わってきます。


そこは治療院というのか、乾燥した木の実やハーブ、キノコなどを用いてケアをする、今でいうクリニック兼薬局のようなところ。その治療院の主をしている先生の下で、前世の私はお手伝いをしているようでした。見習い看護師さんみたいな感じでしょうか。でも、それほど専門知識を持っているわけではなさそうです。

「どうしよう…」

それは、足に大怪我をした若い男性を目の前にして、慌てふためいている様子。ぱっかり開いた傷口からは、どくどくと血が流れています。

その日は、治療院の主である先生はどこかに出かけていて、私一人しかそこにいなかったのです。他にも掃除人や薬の配達人はいましたが、怪我の対応ができるのは自分しかいません。

なんとか応急処置を施しますが、その責任の重さと緊急事態に、ずっと押しつぶされそうになっていました。


止血をし、足を固定し、ようやくその場はしのぎきりました。


ホッとしたのもつかの間、その男性は怪我そのものというよりも、傷口から感染した菌が原因で高熱を出し、数日後に命を落としてしまいました。破傷風のようなものでしょうか。
(ふだんは破傷風なんて言葉ほとんど使わないのに、何度も口に出てくるからきっとそうなんだろうな、と)

それからです。

セッションを受けている私の身体がぶわ~っと熱くなり、申し訳なさと激しい無力感、そして怒りが波のようになって襲ってきました。

「私にできるわけないじゃない…」
「だって、先生いなかったじゃない!もともと私には無理だったのよ!」
と、だんだん責める口調になっていきます。

「卑屈」という言葉が何度も何度も浮上してきて、その後のマリーはこの「卑屈」な視点で物を見るようになっていました。

この感じ、今生の私も持ち合わせているなぁと、体感と感情のリンクを感じていました。波動というのか、「こういう感じ」としか表現しきれないのですが。

何度も「卑屈になってしまった」とか「あー、この卑屈な感じ」と口にする私。Yさんはきめ細かく質問を投げかけてくれます。


Yさん:先生はなんて言ってる?

私:運が悪かったって。こういうこともあるんだって。
 自分(先生)がやっても同じことになっていたかもしれない。仕方なかったよって。

Yさん:そう、それでどう思った?

私:慰めなんていらないって、また卑屈になってる。「私が殺したって思ってるでしょ」って、(言葉にはしないけれど)すっごく斜めに受け取ってる。人の視線もすごく気にしてる。

Yさん:なぜ?前にも何かあった?

私:うーん。自信がないのかも。素直じゃない感じ(これは今生の私が感覚として捉えた答え)。

Yさん:その後はずっと卑屈だったの?

私:うん、そう…。いつもこの出来事が心に引っかかってる。

Yさん:自信がない自分、その発端となった出来事に戻ってみましょうか?
3, 2, 1 … はい、そこにいます。


見えてきたのは、今まさに、マリーがこの世に生まれてこようとしている瞬間でした。


続きます~。

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