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それだけでじゅうぶん

真っ暗なきもちだった。
ケアが20年近く続いて、長年大病を抱えて何度も命の危機にさらされ続けている母も、そのそばにいたわたしも相当つかれていた。

「あなたはひとりじゃないよ」
わたしはこの言葉がきらいだ。
ひとりじゃないと言うのなら、今の状況はどう説明がつくのかといつも思っていた。
孤独。孤立。世間では親のことを看るのは当たり前という圧力を与えられつつ、同世代からは親のことをいつまでもやってるなんて自分の人生を生きていないと言われる。自立していない人間とすら見られ、到底理解されない。

大好きだったはずの小説や漫画もほとんど読まなくなっていた。本当にしんどいときはエンタメすら心が受け付けない。
読み漁るのは仏教書やマインドに関する本ばかりになっていた。救われたくて藁をも掴む思いだった。
お笑い番組を観ても声を出して笑うことはなく、友だちと話すネタもなくなった。

長い間病気の母と生きていると、いろんな人に出会う。
親切な人、思いやりのある人はもちろんだけど、身体が悪くなってからガラリと態度が変わる大人も何人も見てきた。
これまで母をチヤホヤしてきた人も病気になった途端見下したり、恥ずかしげもなく好奇心をぶつけてきたりする人もいた。

身体が弱い人は立場も弱い。
気の強い看護師さんに不機嫌をあてられながらでも、入院してお世話になっている立場だと思うと反論することもままならない。
病気への、身体が悪い人への社会の理解が圧倒的に足りない。そしてそんな人を支える家族への理解はもっと足りない。

わたしは、ただでさえ病でしんどい母を悲しませる外的要因が、子どもの頃から許せなかった。そういった社会の無理解が、何気ない大人の棘を持った一言が、子どもの「お母さんを守らなくちゃ」という決心をより強いものにする。

当たり前のことだけど、人生がうまくいっているときは自然と周りに人がいてくれる。
でも真っ暗なきもちのときは、周りに人がいなくなる。見えなくなる。ひとりになる。

「ひとりじゃないよ」
あいまいな気安めはいらない。
人間はひとりだからこそ支え合える。
母とわたしはいつも一緒で、いつもひとりだった。
ひとり同士だからこそ、真っ暗な中でも一緒に過ごせた時間がきらきら輝いていた。
ひとりだけど、「ひとりぼっち」じゃなかった。

自分の経験は自分だけのもの。
誰にも解釈されたり、決めつけられたりする必要はない。

誰かに何かを言われて傷ついて、腹が立って、そんな自分に対して「器が小さい」なんて落ち込んだり責めたりする必要はない。
いちばん大切なのは自分のきもち。そして大切な人のきもち。

いまがんばっている人、どうか自分をほめてください。
いつもよくやってるな、って。
今日もよく生き延びた、それだけでじゅうぶん。

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