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ゆとりを持つ

時間にゆとりを持ったら心のゆとりにつながった日曜日のはなし。

気づくと時間に追われている。

土日休みの仕事をするわたしにとって、日曜日はもはや休日ではない。次の日から始まるウィークデーに向け、食料の買い出し、お弁当の仕込み、夕食の作り置き、掃除、大物の洗濯……。座っている時間なんてない。

だけど昨日はちょっと違った。

翌日(つまりは今日)に、半年ぶりの有給を取ったから。

とはいえ、こんな情勢なのでどこにも行けない。朝からnoteを書き、散歩がてら街に繰り出し、昼過ぎには自宅に戻って昼食と夕食を兼ねた食事を取る。そんないつもの日曜と変わらない内容、タイムスケジュール。

でも気付いてしまった。

時間に追われていないというだけで、心持ちが180度違うことに。

例えば人参をスライサーですって塩揉みをするという作業。いつもはため息まじりで手を動かしているけれど、昨日は気分良く鼻歌まじりになってしまった。未来の自分へのプレゼントとでもいうべき、作り置き。せっかくだから楽しもうよ。

一人で暮らしている割に、時間管理をしっかりしてしまうわたしは常に就寝時間から逆算して生活をしている。「何時までに◯◯を終えなきゃ!」全てはまるでノルマのよう。半ば強迫観念に襲われている。

だけど「しなきゃ」「すべき」が取っ払われるだけで気持ちが穏やかになる。心にゆとりが生まれる。

時間とは、本来こちらから追っていくべきものなのだ。主導権を時間に渡してはいけない。

そんなことを思いながら、表情も穏やかに(一人だけど)さささっと家事を済ませた。

そして驚くべきことにいつもと同じ時間に眠りにつけた。要は、気の持ちようで、いくらでも気分良く過ごせるということだ。

時間に余裕を、心にゆとりを。すると周りにも優しくなれる。

来週もこんな日曜日を過ごしたい。




憧れの街への引っ越し資金とさせていただきます^^