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祖父の名前を初めて知った日

ここ最近、自分の中でささやかな意識改革が起きている。それはすでに亡くなっている祖父母たちに思いを馳せ、感謝するというもの。

親戚縁者との付き合いがほぼ皆無な中で育ったので、恥ずかしながら、30も後半になる今までご先祖さまの存在をあまり意識したことがなかった。まったく身近じゃない。

だけど、脈々と紡がれてきたご縁によってわたしが今ここに存在しているわけで、よくよく考えれば本当に有難いこと。

父と母が元気なうちに色々聞き出しておかないと。なぜかそんな衝動に駆られている。二人とも上京前の話はしたがらないのだけど。

で、まずは母にLINEで祖父母の誕生日と命日を聞いた。この娘は突然何を言い出すんだと驚かせてしまったのか、案の定即レスというわけにはいかず。でも、翌日の朝ちゃんと返信が来た。

驚いたことに、祖父の誕生日はわたしがとても”印象深く”好きになった人と同じ誕生日だった。たかが誕生日、されど誕生日。でも不思議。あの人っぽいところがおじいちゃんにもあったのかしら。

祖父はわたしが生まれてちょうど1ヶ月後に亡くなってしまったから、会ったことはない。

帰る家がない母は、里帰り出産などできるはずもなく、そのまま東京でわたしを産んだ。刻一刻と近づく自身の父の死と、迫り来る娘の誕生。明と暗が常に背中合わせだったということになる。

生まれたてのわたしを抱え、どんな思いで飛行機に乗り込んだのだろう。

数年前の祖母の葬儀。棺のそばで乳飲児を抱えた女性がいたことをふと思い出した。不謹慎かもしれないけど、生と死のコントラストがなんとも神々しかった。赤ん坊はその場にいる人を笑顔にしていた。この世での、命のバトン。祖父が亡くなったとき、わたしもあんな存在だったんだろうか。

と、わたしは重大なことに気づく。

祖父の名前を知らない。


鬱陶しがられるのを覚悟で母に再度連絡をした。すると、

「養子だから」

そこには初めて知る名前とともに、母の旧姓とは違う、全く見慣れない祖父の旧姓がそこにあった。

人の数だけドラマがあるんだな。

わたしのルーツを探る旅は、まだ始まったばかりらしい。


憧れの街への引っ越し資金とさせていただきます^^