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28歳無職から、38歳上場企業経営者になるまでのストーリー #3

株式会社スタメンで代表取締役を務めておりますCEOの大西です!

今回で4回目となるスタメンnoteリレー、今回も最終走者として、記事発信を締め括らせていただきます!

第4回 スタメンnoteのこれまでの記事一覧については、以下をご参照ください。

今回の記事は、これまで2回に渡って投稿してきた僕のキャリア棚卸しストーリーの続編として、「大卒後の1stキャリア」「転機となった早期離職とKさんとの出会い」のその後、「デジタルハリウッド入学編」について書いていければと思います。

なお、書き終わって感じていますが、今までの記事で一番、内容が散らかっていて、まとまっていません。乱文で恐縮ですが、なるべく生々しいエピソードを記載するようにしたので、最後までお付き合いいただけると幸いです!

なお、過去記事は以下よりご覧いただけますので、未読の方はぜひそちらから読んでいただけると嬉しいです。


デジハリ入学当時の心境

勢いで、デジタルハリウッドに通うことを意思決定し、高校卒業以来に大阪の実家に戻り、2013年の年明けから新生活がスタートしました。今回は、そんな大阪での新生活の冒頭感じていたことについて書いていきます。

デジタルハリウッドのWEBデザイナー専科というコースに通い始めたのですが、大阪校では毎月入学者があり、僕が通い始めた2013年の1月期からの半年のコースにもスタート時点で、10人いくかいかないかくらいの生徒さんがいたような気がします(この辺りの細かい記憶は曖昧ですが)

年齢層は事前に想像していたよりさまざまで、一番若い層の方で18〜19歳くらいの方もいましたし、大学に在学しながら就活前にスキル習得してキャリアの幅を広げようとしている20代前半の学生さん、僕のように数年企業で働いた後に、WEBやクリエイティブ業界に興味を持ったのであろう20代半ば〜30代半ばの方、自分より年長者の方も多数いらっしゃって、40代〜50代くらいの方も少なくなかったです。男女分布もほとんど半々くらいの印象。

そんな同月入社の方達と一緒に、座学のオリエンと初期講習的なものの受講から始まって、その後は、各自が動画教材メインの個別学習フェーズに入っていくといった流れでした。

今でこそ、プログラミングスクールは本当にたくさんあって、学べる領域も幅広く、通学形式から完全オンライン型までスクールとしての形態も様々だと思うので、プログラミングやデザイン、ゲームやWEBなどのクリエイティブなスキルをイチから学ぶハードルはかなり下がっていると感じます。

実際に、僕が経営しているスタメンでも、大手銀行や証券、メーカーなどのビジネス職から新卒のキャリアをスタートして数年働いた後に、一念発起してプログラミングの学習を始め、何らかのスクールを経てベーススキルを身に付けてから当社に入社し、その後、業務を通じて成長した結果、エンジニアとして大活躍してキャリアを広げていってくれているメンバーが多数います。

ただ、当時の自分には同じようなキャリア選択をした友人・知人が周りに全くいなかったので(ほんとに前回記事のKさんくらい)、孤独な戦いにチャレンジしているんだという気持ちで、内心はかなりサバイバルモードに入っていました。

ある程度は勢いで意思決定したとはいえ、自分にとっても思い切って勇気を出して下した決断だったし、家族や友人にも不安や負担をかけてしまっていたこともあって、この選択を必ず正解だったと思えるようにしよう!と覚悟を決めていました。

久しぶりの大阪生活もそれはそれで楽しかった。


在学中に実際にやっていたこと

そんな中で、この学びのインプット期間を最大化するために、僕はとにかく「量をこなす」ことにはこだわろうと考えて、行動をしていました。

実際にやっていたことの一例をご紹介します。

デジハリの大阪校は営業日は確か10時くらいにオープンして、22時くらいにクローズする営業ルーティンだったのですが、開校日は休みなくオープンに合わせて10時に通い、連日、クローズの22時までPCに向き合い続けました。

当時の在学生の中で、一番量をやっていることをアクションで示そうと思って、いれるだけ学校にいた感じです。

それに加えて、週に1回ある休校日にも、実家近くにある総合図書館に行って、開校日同様にインプット&アウトプットを欠かさず行うようにしていました。

初心者からのゼロスタートとはいえ、半年間毎日12時間近くやっていれば、ある程度まではモノになるだろうとの考えに基づいてのアクションでした。

大学受験期の高校3年生時代にもほぼ同じような短期集中型のインプットトレーニングをしていて、そこでの成功体験があったので、自分にとってはこういった「シンプルに量を徹底する」というスタイルが合っているという自覚があったんだと思います。

結果として、僕がデジハリ大阪校に通学していた頃は、1つの席をほぼ毎日独占していて、半ば自分の専用席のごとく使い倒していました。周りの見知らぬ生徒さんからは、「あいつマジでいつもあそこにいるな」と思われていたと思います。

朝起きて、母親が作り置きしていてくれた朝ごはんをササっと済ませて、自転車で20分ちょっとくらいかけて通学し、そこからひたすらパソコンと睨めっこして、アドビのイラストレーターやフォトショップ、コーディングツールを触り続ける日々でした。

当時はとにかくお金がなかったので(貯金を切り崩しながら生活していた)、お昼ご飯は学校の近くにあったほっかほっか亭で、300円くらいののり弁をほぼほぼ毎日食べていました。

健康的にはあんまりよろしくなかった部分もあるかもしれないですけれど、当人としてはさほど侘しさを感じることなく、学びに没頭できている日々に感謝しながら全体的には楽しく前向きに過ごせていたと思います。

なぜそう思えていたのかと考えてみると、やはり、昨日できなかったことや昨日わからなかったことが、一歩ずつだけど着実にできるように、わかるようになっていって、自分自身の成長を実感できていたからだと思います。自分の確かな成長を感じられているからこそ、少しずつでもキャリアを前進させることが出来ているぞ!とポジティブなメンタルを保つことができていました。

今は移転してなくなってしまった当時のデジハリ大阪校


それでも時には襲ってくる将来への不安感

ただ、不安がなかったのかというと、もちろん、全然そんなことはありません。基本的にはほとんどの時間を前向き&ポジティブで過ごせていましたが、ごくたまに津波のように強烈な不安が押し寄せてくることがありました。

今でもすぐに思い出せるのは、学校の休校日に図書館で自学習を進めていた時のことです。当時の休校日は毎週火曜日とかだったと思います。平日でした。

僕の地元にある総合図書館は割と規模が大きい施設だったので、平日でも比較的賑わっている方だったと思うのですが、それでも平日の日中に図書館に来ている方は、現役世代を引退されたシニアの方や、未就学児連れのママさん、仕事をサボりがてら仮眠しに来たりしているオフィスワーカーの方、加えて、自分のような求職中であろう様子の方、そういった方々が大半を占めていました。

共通していたのは、当時の自分から見るとものすごく「のんびりしている」ように見えたことです。

実際にのんびりしていたのかはもちろん分からないですし、図書館でのんびりしていること自体、全然普通のよくあることで、普段なら何ら違和感はありません。

ただ、2013年当時は、すでにFacebookやTwitterが普及していて、そういったSNSの投稿を通じて、少し前まで同じフィールドにいた学生時代の友人知人や、マスコミ・広告時代の同世代たちが、入社5〜6年目あたりでバリバリに仕事に励んで、頑張っている様子が垣間見えてきていました。当時の自分には、そんな友人たちがめちゃくちゃキラキラして見えました。劣等感を感じていたんだと思います。

そんなそれぞれの持ち場で奮闘する友人たちを傍目に、自分はというと、平日日中に図書館で、ある種自由気ままにのんびりした雰囲気の中で、自分のためだけにインプットをしているという状況を客観視してしまい、「本当にこのままでいいんだろうか・・・、自分は望んでいる方向性に人生の舵をきっていけるのだろうか・・・」と、漠然とした未来への不安にふと苛まれる時がありました。

その頃は、根っからポジティブ思考の自分でも、こういった思考になるんだなぁとちょっと第3者目線に持っていったりしながら、そういった感情をやり過ごし、黙々と上述した学びのルーティン的日常に没頭するようにしていました。

未来のために、自分で決めて頑張っているのに、たまに、自分のことが信じられなく自分が悲しかった記憶が、今でも胸に残っています。

ひたすらこの赤いソファに座り続けた半年間


あまりに鮮烈だったグノシーの登場

もう1つ、書きながら思い出した感情というか、ちょっとした記憶があるので、今日はそれを書いて、今回の記事を締めくくりたいと思います。

僕が毎日毎日ひたすらデジハリでPCと睨めっこしながら、コーディングやWEBデザインに向き合っていた時、めちゃくちゃヘビーユースしていたメルマガサービスがありました。

それは、アプリ化もまだする前の、ベータ版のサービス開始から数ヶ月とかの段階のGunosy(グノシー)です。今思えば、キュレーションメディアの勃興直前期でした。リリース初期のグノシーは、今とサービスのメイン機能が全然違って、独自のアルゴリズムを元に、ユーザーの好みに合うWEB記事を毎日メールで送ってくれるサービスでした。

僕は、WEBデザインや初心者向けのコーディング関連のチュートリアル記事、jQuery、Wordpress周りのプラグインなどの記事を毎日見漁りまくっていたので、当然、グノシーのメルマガでもそういった記事がリコメンドとしてキュレーションされて送られてきていたのですが、そのリコメンドの精度がすごく高くて、毎日グノシーから送られてくるリンクURLはほとんど全件目を通していました。

グノシーはそのアルゴリズム精度の高さから、当時界隈でめちゃくちゃ注目されていて、しかも開発したのが現役の東大の大学院生の3人(そのうちの一人が福島さん)ということで、そういった面でも目を引くものがありました。

これだけクオリティの高いサービスを、院生の在学中にたった3人でつくってしまうんだから、トップクラスのエンジニアの人たちはめちゃくちゃすごいんだなぁ〜と思っていましたし、20代半ばでゼロからプログラミングを始めて、おっかなびっくりjQueryをいじっている自分とは、立っている世界があまりにも違うな〜と漠然と感じていました。

その後、僕自身もデジハリを卒業してITスタートアップへのキャリアに足を徐々に進めていくわけですが、僕がゆっくりポツポツと歩いている間に、グノシーは法人化して、アプリをリリースして、瞬く間にすごい数のユーザーを集め、創業から2年半で上場します。それが2015年の4月。今から9年前です。

リリース当時のグノシーは、本当に鮮烈な存在感だった


9年後の現在地

そこから9年立って、グノシーの創業者である福島さんはLayerXで法人向けのSaaSサービスを展開しています。僕が経営しているスタメンもメイン事業は法人向けのSaaSサービスです。

LayerXは現在はFin-Tech領域中心で、僕たちスタメンはHR-Tech領域が中心なので、直接競合などはしていませんが、現場レベルでは一緒にセミナーイベントを共催させていただいたりしています(採用文脈などで)

LayerXさんは今は未上場フェーズなので各種財務実績やKPIなどは開示されていませんが、2024年4月の現在時点では、単純な知名度だけでいうと、スタメンはまだまだLayerXさんクラスの浸透度などには達していませんし、従業員数の増加ペースなどにも開きはあると思います。

ただ、それでも2013年当時、グノシーすげぇ、こんなのを数ヶ月で作ってヒットさせられる物凄い優秀な人がいるんだ、と 同じ世界の出来事だと思えていなかった頃の距離感と比べると、比較するものではありませんが、亀のようにゆっくりな歩みでも、着実に歩み続けてきた分、今は近しいフィールドで戦っているところまでは来れたなと感じて、不思議な気分になっています。


11年前に負けないくらい、今の自分も、今のスタメンもハングリーだと思う

2013年当時の自分が想像つかない地点に、自分たちが創業した会社、自分たちがつくってきたサービスが到達してこれたという自負があるからこそ、2024年の今の自分、今の自分たちが想像つかない地点に、ここから数年でまた到達してやるぞという挑戦心やハングリー精神が、スタメンの根っこにあると強く感じています。

2024年のスタメンの年間スローガンには「UPSET(番狂せを起こすぞ)」という言葉を選びました。スタメンという会社も、スタメンで働くスターメンバーの仲間も、それから自分自身も、より高みを目指してUPSET!を起こしまくってやろうと思っています。

(次回に続く、、、)


最後に

昔のキャリアを棚卸ししていたら、ふと、サービスインしたばかりのグノシーのことを思い出したので、それについて書いていたら脱線しまくりました。

今日は一旦、ここまでにして、次回はデジハリでの興味深い出会いについて続きを書いていきたいと思っています。この記事シリーズ、そもそも読者ニーズがあるか自体は大いに疑問なんですが、ここまできたからには、現在の社長就任に至るまでのキャリア棚卸しはやり切りたいと思います!

気長に次回を楽しみにしていただけると嬉しいです。最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!

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