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【ミュージカル】『ミュージカル・ゴシック ポーの一族』大千穐楽〜人の心を動かすもの

『イリュージョニスト』で、今年のチケット運を使い果たした感がある私。『ポーの一族』は全くかすりもしませんでした。

でも、ミュージカルの神様が、この作品は見なさいよと、最後の最後で、大千穐楽のライブビューイングのチケットを下さいました。

チケットが取れたのが1週間前でしたが、無事幕が上がるのを祈りながら待つのが、本当に長く感じられました。
祈るのは、ここ最近、毎度の事ですが、なんといっても、私が足を運んだ(運ぼうとした)公演の休演率たるや。。。(コホコホ‥縁起でもないから以下自粛)

こうして無事レビューが書ける喜びに乾杯。

『ポーの一族』おさらい

『ポーの一族』は、約50年前に描かれた不朽の名作漫画です。
かの、萩尾望都さんの作品で、読んでない人なんて、まずいない名作です。

よね?

実は、私、読んでません(滝汗

ごめんなさい。

周りの友達は、みんなハマっていたのですが、私、人生で漫画には全く見向きもしなかった時期が、10〜20歳の約10年間ありまして、読んでいない名作漫画が山のようにあります。
おそらく、多くの人が1番漫画を読むであろう時期を逃しているんですね。

というわけで、そんな人は少数派かも知れないけど、念のために『ポーの一族』とはなんぞやという方は、とりあえずこちらを。

この中にも書かれていますが、脚本・演出の小池修一郎さんは、この作品を宝塚でやってみたくて、宝塚へ入団したそう。
萩尾望都さんに、上演許可を貰うのに30年の歳月を費やし、明日海りおさんとの運命的な出会いがあって、念願かなって夢を実現したという、バックストーリーだけで泣ける作品です。

明日海りおさんが退団してしまって、再演はないか、と思われていたら、まさかまさかの再演!

宝塚で上演された際の高い評判は、広くミュージカルファンにも届いていましたが、今回の再演のチケットは飛ぶように売れたのは、それがどれだけ高かったのか、という証左でもあります。

よくわかっていませんが、宝塚作品を、主役はそのまま、他の男性役を男性の役者さんという座組みでの公演って、なかなか珍しいのではないだろうか。
宝塚の男役さんが、退団して「女優」として、男役、というのもなかなかレアケースのような。

とにかく、どっからどう考えてみても、観ない理由が見つからない『ポーの一族』。
まさかの明日海りおエドガーで観られるなんて、本当に素敵すぎる!

「絶対エドガー」明日海りおさんの存在感

フィギアスケートの羽生結弦さんを「絶対王者」と呼ぶなら、明日海りおさんは、「絶対エドガー」と呼んで差し支えない、と思います。

エドガー少年は、見た目は15-6歳の設定でしょうか。
年端も行かない思春期の外見であるにも関わらず、本当に重たいものを背負って、何百年も生きている人間ではないバンパネラ(吸血鬼)。
家族に捨てられた孤独、妹に対する無償の愛、ポーツネル一族として生きていく運命に対する葛藤、養父母に対する感謝と愛、家族である事の誇り、アランへの永遠の友情と愛情‥

非情な運命を生きるエドガーは、いつも心の中では涙を流しながらも、誰かを愛する事で、強く逞しく生きています。

どのシーンも、複雑でかつ激昂しないギリギリの感情表現の連続で、非常に難度が高い。
この役は、ほかに誰か。。。と想像してみても、まったく思い浮かびません。
それほど「みりおエドガー」が、完璧すぎました。

原作の世界観に惚れ込んだ小池修一郎さんが創り出した「ミュージカル・ゴシック ポーの一族」。
その舞台で生きるエドガーは、原作者の萩尾望都さんに「30年待った甲斐があった」と言わしめた美しい外見、人でありながら人でなくなった雰囲気、少年としての声、中性的なみずみずしいしぐさも、何もかもを明日海りおさんが、見事に体現していたと思います。

ジェンヌさんの年齢に触れるのはタブーですが、初演時は研10を超えていたやに思います。
それで、あの美少年役。
見た目の美しさだけでなく、声や動きも含めた様式美を追及する宝塚だからこそ実現した事だと思います。
あまりの神々しさに、スクリーンから薔薇の香りが漂って来たかのような錯覚にたびたび陥りました。

舞台を観て、料理が出てくる以外のシーンで、香りを感じたのは、長い観劇人生でも初めてのような気がします。

原作を読んでいない私でさえ、一瞬で引き込まれた『ポーの一族』の世界観は、もちろん、美術や衣装や照明によっても象られていたとも思いますが、なによりもエドガーが作り出している空気感が核になって、ステージ中に化学反応を起こしていたからこそ、かと。

これこそ、まさに「絶対エドガー」。
きっと、原作のファンの方も、宝塚のファンの方も、ミュージカルファンの方も、そのどれでもない方も、一度見れば必ずやエドガーの虜になるのではないでしょうか。

「ザ・宝塚」からその先へ

大千穐楽では、脚本・演出の小池修一郎さんが、ステージでご挨拶をなさいました。
その中で、若い頃、「ポーの一族」を読んで、

この作品を舞台化(※)したい。
でも、この世界観を再現できるのは、宝塚しか思いつかない。

(※「実写化」とおっしゃっていた気もします。記憶が曖昧でごめんなさい)

ということで、宝塚に入ったとおっしゃってました。
巨匠は、若き日にあってもすでに発想が巨匠。しかも、実現しちゃったのだから、天晴れとしか言いようがありません。

小池さんと言えば、手がけた作品はいかにも「The宝塚」な作品が多く、宝塚の様式美を創り出してこられた演出家です。その作品が宝塚以外で上演されるという事は、これまでも沢山ありました。
特に、『エリザベート』『モーツァルト』あたりは有名です。
この『ポーの一族』も、名作として、このラインナップに加わっていく作品になるだろうか、と考えるとワクワクします。

ただし、今回の『ポーの一族』が、『エリザベート』や『モーツァルト』と大きく違う点がひとつあります。実は今回は、要所には、しっかり宝塚の世界観を引き継ぐ元ジェンヌさんをキャスティングしているのです。

メインキャスト10人のうち、明日海さんを入れて、5人が元ジェンヌ。
女性役に限って言えば、5人のうち4人が元ジェンヌという布陣。
女性アンサンブルも11人中3人が、元ジェンヌ。

なるほど、どうりで、宝塚感をいい意味で継承していたわけです。

一方で、男性の俳優さんが、しっかり低音の響く声で歌い、男性のダンサーさんがガシガシ踊る。そのおかげで、明日海りおさんの、性別があるようなないような、中性的な少年の感じが、より効果的に際立つ相乗効果も生まれる。

宝塚感と、リアル男性とのコラボの塩梅が、想像していたよりずっと良かったのは、演出家が宝塚出身という事もあるでしょうが、キャスティングの妙もあったと思います。

元ジェンヌさんのキャストの中で、突き抜けて異彩を放っていたのが、元男役トップの涼風真世さん。もちろん女性役でのご出演ですが、老ハンナに霊媒師の一人二役。
霊媒師の怪演が、潔いというか、気持ちのいい壊れっぷりで最高でした。いい女優さんだなぁ。
101のクルエラとかで見てみたい。今までそんな事考えた事もなかったけど。

そして、あの声の出し方で、喉を潰さないのは、さすがプロだなぁと。

というわけで、宝塚の世界観でしか上演できないはずの作品を、宝塚以外で、となっても、やはり宝塚の底力は必要だったか。。。というのか、今回の印象でした。
涼風真世さんも、かなーりぶっ壊れてはいましたが、やはり、ベースには品の良さがあって、いい意味で「お里が知れる」存在感だったし。

この作品、今回は大成功だったにしても、宝塚のその先へ、となると、なかなか一筋縄ではいかないのかもしれません。
ン10年前、小池青年が『ポーの一族』を読んで舞台化を夢見た当時は、宝塚しか思いつかなかったかもしれないけど、あれから日本のエンタメもずいぶんと進化してきました。宝塚以外でも、こういった作品がどんどん作られるところまで、成熟していく事を願うばかりです。

エンタメが輝きを放つ時とは

小池修一郎というたったひとりの青年の思いから始まった『ポーの一族』の舞台化は、宝塚の枠を超えて、飛び立ちました。
原作が面白ければ面白いほど、舞台化は難しいところですが、「原作も面白いが舞台もいい!」となるために1番必要な事は、やはり作り手の思いかな、と感じます。

これまで、数えきれないほどの作品を手がけてきた小池さんだけど、この『ポーの一族』にかける思いや熱量が、「みりおエドガー」を作り出し、正味の上演時間が4時間近い大作でありながら、一瞬たりともダレる事なく、観客の意識をガッツリ掴む事に成功しているんだろうと思います。
スクリーン越しで、あれだけやられるのだから、生で見たらどれたけ凄いのか、想像もつきません。

エンターテイメントは血の通った産業だ

というのは、ある俳優さんの言葉ですが、まさに、こういう作品を観た時に、名言だなと実感します。
エンタメが輝くためには、そこに人の思いが必要なのです。
作り手にも。そして、観る側にも。

人の心を動かす事は、人の心でないと出来ない事なんだよな。

今日もまた、そういう作品と出会えた事に感謝。

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