鈴木力

SF関係のライターをしています。最近の仕事は日本SF作家クラブ編『AIとSF』、東京創…

鈴木力

SF関係のライターをしています。最近の仕事は日本SF作家クラブ編『AIとSF』、東京創元社編集部編『創元SF文庫総解説』の解説(共に一部担当)、荻堂顕『不夜島』書評(SFマガジン2024年4月号)。主に小説関係の記事(非SF含む)を投稿します。

最近の記事

画には描けない面白さ~宮澤伊織『ときときチャンネル 宇宙飲んでみた』書評~

宮澤伊織が2019年以来書き継いできた『ときときチャンネル』シリーズの短編6作が単行本化された。 十時さくらは社会人としての勤めの傍ら、動画サイトに配信チャンネル《ときときチャンネル》を開設し、生活費の足しにしようと目論んでいる。目標は登録者数1000人、ネタは同居しているマッドサイエンティスト・多田羅未貴の怪しい発明。地の文はさくらが生配信しているという体で、さくらと未貴のボケツッコミが全編実況口調で語られる。 さて、ユーモア溢れる女性マッドサイエンティストものの鼻祖と

    • たとえすべてが置き換わっても~新馬場新『沈没船で眠りたい』書評~

      昨年『サマータイム・アイスバーグ』で小学館ライトノベル新人賞優秀賞を受賞した新馬場新の長編が出た。 舞台は2044年の東京。AIの普及と共に人間は職場を奪われ、ネオ・ラッダイト運動と呼ばれる反AIの社会活動が活発化している。運動は先鋭化し、ついには企業を狙った自爆テロが起こる。 警察は自爆テロを起こした大学生・有村と関わりを持つ奥平千鶴を別件逮捕し尋問する。だが奇妙なことに彼女は有村との関係は認めたのに、別件逮捕の容疑となったロボットの不法投棄についてだけは否認し続けるの

      • 20年目の〝夏の終わり〟~秋山瑞人『イリヤの空、UFOの夏』をめぐって(6・完結)~

        【ご注意】本稿には秋山瑞人『イリヤの空、UFOの夏』、『猫の地球儀』のネタバレがあります。 (6)かぐや姫としての伊里野加奈~夏の終わり (承前)その問いは言葉を換えて言えば、浅羽と伊里野の間に生じた感情を何と呼ぶかという問いに他ならない。それは仕組まれたがゆえに恋の名に値しない、恋の偽物だったのだろうか。 そんなことはない――と、浅羽も伊里野も答えるだろう。仕組んだ側である椎名でさえも、先に引用した浅羽への手紙の続きでこう述べる。 だとするならば、読者が本書から受け

        • 20年目の〝夏の終わり〟~秋山瑞人『イリヤの空、UFOの夏』をめぐって(5)~

          【ご注意】本稿には秋山瑞人『イリヤの空、UFOの夏』、『猫の地球儀』のネタバレがあります。 (5)解体される物語 (承前)私の考えでは、ここで晶穂は本書の読者に擬せられているのである。感動したの何だのと言いながら、しょせん読者とはどんなに登場人物に感情移入しようと「信じ難いほどの悪趣味」で他人の悲劇を消費する「最低最悪のノゾキ魔」なのではないかと問われているのだ。 こうした当事者と傍観者との超えがたい溝は、この後もさらに残酷なかたちで繰り返される。4巻で逃避行に出た浅羽

        画には描けない面白さ~宮澤伊織『ときときチャンネル 宇宙飲んでみた』書評~

        • たとえすべてが置き換わっても~新馬場新『沈没船で眠りたい』書評~

        • 20年目の〝夏の終わり〟~秋山瑞人『イリヤの空、UFOの夏』をめぐって(6・完結)~

        • 20年目の〝夏の終わり〟~秋山瑞人『イリヤの空、UFOの夏』をめぐって(5)~

          20年目の〝夏の終わり〟~秋山瑞人『イリヤの空、UFOの夏』をめぐって(4)~

          【ご注意】本稿には秋山瑞人『イリヤの空、UFOの夏』、『猫の地球儀』のネタバレがあります。 (4)夢見るリアリスト・秋山瑞人 (承前)話を戻す。システムがどれだけ冷酷なものであろうと、結果をめざす過程がどれだけおぞましいものであろうと、個人と全体の破滅とを天秤にかけたとき、榎本たちにとってどちらをとるかは選択肢にすらなっていなかった。 私はここに、冷酷なシステムさえも必要悪として捉える秋山の冷徹な視線を感じる。この視線は前作『猫の地球儀』から続いているものだ。 『猫の

          20年目の〝夏の終わり〟~秋山瑞人『イリヤの空、UFOの夏』をめぐって(4)~

          20年目の〝夏の終わり〟~秋山瑞人『イリヤの空、UFOの夏』をめぐって(3)~

          【ご注意】本稿には秋山瑞人『イリヤの空、UFOの夏』、『猫の地球儀』のネタバレがあります。 (3)世界の美しさを目にしたら (承前)秘密組織の一員として伊里野を管理していた榎本たちが最も恐れていたのは、伊里野の戦うモチベーションの低下だった。生まれてこのかた家族も共同体も国家も知らず育ち、死んだ方がいっそマシな苦痛の中で戦ってきた伊里野たちにとって、戦うモチベーションは「仲間を守る」ことだけだった。 当然、仲間が全員死んでしまえば戦う理由も消失する。だがそれでは人類は滅

          20年目の〝夏の終わり〟~秋山瑞人『イリヤの空、UFOの夏』をめぐって(3)~

          20年目の〝夏の終わり〟~秋山瑞人『イリヤの空、UFOの夏』をめぐって(2)~

          【ご注意】本稿には秋山瑞人『イリヤの空、UFOの夏』、『猫の地球儀』のネタバレがあります。 (2)夏の葬列を見送って (承前)教室で伊里野と再会した浅羽はこう述懐する。 けれども無邪気でいられた子供時代の隠喩としての夏は、8月31日の夜には、つまり物語が始まった時点ですでに終わっていた。その後の10月26日までに至る57日間は、浅羽が期待したような夏の続きではなく、作中の言葉を借りるのなら「夏の残骸」を葬る挽歌の調べに彩られている。 遊び半分で首をつっこんだ園原基地の

          20年目の〝夏の終わり〟~秋山瑞人『イリヤの空、UFOの夏』をめぐって(2)~

          20年目の〝夏の終わり〟~秋山瑞人『イリヤの空、UFOの夏』をめぐって(1)~

          【ご注意】本稿には秋山瑞人『イリヤの空、UFOの夏』、『猫の地球儀』のネタバレがあります。 (1)2003年夏、貴方は何をしていましたか? 秋山瑞人『イリヤの空、UFOの夏』は、私にとっても思い入れの深い小説である。 最終巻にあたる『イリヤの空、UFOの夏 その4』の奥付を見ると発行日は2003年8月25日。書店に並ぶのを待ちかね、買い求めると当面しなければいけないことも全部放り出して読みふけった記憶はいまも鮮やかである。 しかし、記憶が鮮やかであれば鮮やかであるだけ

          20年目の〝夏の終わり〟~秋山瑞人『イリヤの空、UFOの夏』をめぐって(1)~

          宮西建礼は〝科学小説〟の星である

          「紙魚の手帖」vol.12に掲載された宮西建礼の新作「冬にあらがう」を読んだ。 私が宮西作品を読むのはこれで4作目だが、今回もこれまでと同様、素晴らしい小説だった。 舞台はほんの数年後。人類史上まれに見る火山の大噴火のため大量のエアロゾルが大気圏に放出され、世界的な寒冷化と不作が起こり、食料生産国は農作物の禁輸に踏み切る。ただでさえ食料自給率が低い日本では、噴火以前からの政府の無策により、全国民が食べていける備蓄はわずか数カ月分と判明する。 そのとき科学部に属する高校生

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          明治大学収蔵の柴野拓美資料が凄かった!~第61回日本SF大会特別レポート~

          はじめに さる8月5日~6日、さいたま市で開催された第61回日本SF大会・Sci-con2023に参加した。 この中の分科会企画「明治大学が収蔵する柴野拓美資料の整理報告会」をいちギャラリーとして見たのだが、その内容はSFの枠を超えて、文化史に関心のある研究者・ジャーナリスト・一般の人々にも広く知られるべきだと確信した。 というわけで柄にもなく使命感に駆られ、浅学非才をも顧みず詳しい内容をレポートすることにした。なお同企画は映像の撮影はNG、レポートはテキストのみ可とい

          明治大学収蔵の柴野拓美資料が凄かった!~第61回日本SF大会特別レポート~

          災厄としてのアナロジー~谷口裕貴『アナベル・アノマリー』書評~

          谷口裕貴が帰ってきた。第2回日本SF新人賞作家による9年ぶり、単行本としては実に19年ぶりとなる新作である。本書は、2001年と03年に雑誌発表された短編2編に、設定の共通する2編を書き下ろした連作となっている。 本書の設定は次のようなものだ。サイキックを人為的に創り出すレンブラントプロジェクトによって誕生したアナベルという少女は、たとえば銅像を宝石に、都市をキノコにといったふうに物質を変容させる力を有していた。しかし誕生した時点からその力は本人を含む誰にも制御できずに大惨

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          『人間失格』と腹芸~太宰治「帰去来」をめぐって~

          2022年の晩夏、はじめて太宰治の生地を訪れた。 当地で感じたこと考えたことはいろいろあるが、あえてここでは書かない。ただ、訪問に先立って、生家から勘当された太宰が故郷を再訪する一連の作品を読み返したところ、ひとつ発見(と私が思うもの)があった。そのことを書いてみたい。 放蕩児、故郷へ帰る 昭和17年(1942年)に発表された「帰去来」という短編がある。太宰の作品の中でもマイナーな部類だろう。新潮文庫版『走れメロス』に付された解説では、2年後の長編『津軽』の習作みたいな

          『人間失格』と腹芸~太宰治「帰去来」をめぐって~