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人や事象を「分からないまま」にしておいても良い場合も、多々あるのでは!?

 生きているとどうしても「この人のこういう所、わからないな〜」とか「これって何でこんな事になったんだろう」なんて不思議に思う人物や事象に触れることがある。そして何故か僕たちはそれが何でなのかとか、理解しようとしてしまう。しかしそれって本当にいつも必要な事なんだろうか。

 考えてみたら自分自身のことでさえ「う〜ん、自分自身の事とは言え、なんでこんな事するんだろう、わからないなあ」と理解に苦しむことの1つや2つ必ずあるはずだ。そしてそれでもまあ何とか今まで生きて来られた。

 よく「親と分かりあえない」なんて嘆く人もいるが「親だって僕たちの事を全て理解できるわけでは無い」のだから、こっちだってあちらの中に「よく分からない部分」を残したままにしても何のバチも当たらないはずだ。そして両親と祖父母だって、そうやって「分かる部分」と「分からない部分」の両方を共存させながら、なんとかやって来たはずだ。

 とまあそんな感じで「最もエンゲージメントの高い自分自身」の事ですら分からない我々が、仕事やら友人関係やらでちょっと関わるだけの相手のことを理解できる方がよっぽどおかしい。もしそんな「瞬時に人を理解できる」才能があるならさっさとこのnoteなんて読まずに心理学者にでもなったほうがよっぽど世の中の為になるはずだ。事象に関しても同じ。もし輸入事業や輸出事業にでも携わっているなら、スリランカが何故今国として経済的窮地に陥っているのか理解した方が良いのかもしれないが、そうでないなら「何でそうなっちゃったんだろ。わからんな〜」という状態のままにしておいても別に良いのでは無いだろうか。

 という訳で僕は明日からも「わからない人」や「わからない事」に関しては「頑張って理解したら自分にとんでもない見返りがある事」でも無い限り、そのままにして生きて行きたい。ビートルズが歌っていた通り「人生は短く、時間は無い」のだから、そんな事に無駄な時間を1秒たりとも使いたくは無いんである。

*ボーカルやベースの教則本を書かせて貰っております。貴重なお時間を割いてリンクをご覧の皆さん、ありがとうございます!!!

*ここからは本日の記事に関連していると思われる本のリンクです。


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