結局全てに対して「ありがとう」と思って良いのかもしれない。

 かつては楽しいことや嬉しいことが起きたときだけ限定で、神様に「ありがとう」と感謝していたような気がする。しかしもしかすると嫌な人と出会ったり、嫌な目に遭ったりするのも、本当はありがたいことなのかもしれない。

 例えばあなたが仕事先で嫌な人に出会い、もうにっちもさっちも行かなくなってその仕事を辞めたとしよう(または目出度くあちらからクビにして頂いたとしよう)。しかしそれってもしかすると「このままその職場で仕事していると、後でもっとトンデモナイ事になりますよ」と神様が気付いてそこからあなたを救ってくれた可能性もある。

 嫌な目に遭うのもしかり。それがあったお陰でそこに深入りせず、後に出会ったかもしれない「もっと大きなトラブル」を事前に回避できている可能性も否めないのでは無いだろうか(だいたい「うまく行かないもの」と言うものは、その後もずっと「うまく行かないもの」で居続ける場合のほうが多い)。

 そう考えると結局、世の中で自分が出会う人、物、全てに対して抱く感情は「ありがとう」一択で良いような気がしてきた。僕の好きな「ナイス凡打」も、結局考え方としては根本的に同じ。全ては何かを学ぶありがたい教材なのだと考えれば、起きることに「無駄なこと」など1つも無くなるわけだし、出会う人にも「無駄な人」は1人もいなくなるはずだ。

 とまあ、そんな事を考えながら、毎日を「ありがとう」一択で、感謝しながら笑顔で生きて行きたいな、なんて今は思っている。というわけで皆さん、今日もこのnoteを読んでくださって、ありがとうございます!!!

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