結局「他人の声」は「雑音」でしかないと言う事がわかってきた(連続投稿695日目)。

 この年令になってようやくわかって来たのが、結局「他人の声」は生きていく上で「雑音」にしか成り得ない、と言う事。勿論僕のために親身になってアドバイスしてくれたり、アイデアを下さったり、そういう有り難い愛に溢れた「他人の声」もあるだろう。そしてそこから何か刺激を受けて「自分の考えが180度変わる」場合だってあるはずだ。だが、そうでないケースではそれが世間的にどんなに素晴らしかろうがなんであろうが、実際にその考えを取り入れるかどうかは本人が決める感じにしてしまって間違いないと思う。

 逆に考えると「こちらがいくら親身になって相手にしてあげたアドバイス」でも、あちらが全く採用してくれない場合だってあるはずだ。そしてそれは全くもって仕方がない事だと思う。物事って段階を踏まないと進めないので、今たまたまタイミング的にそれを受け入れる段階では無くて「何年かして初めてその考えを理解する」みたいな場合もあるだろうし、残念ながら一生その考えがそのお相手にはピンと来ず、全く役に立たずに終わる場合だって珍しくは無いはずだ。

 個人的には「地球上に77億人の人間がいるとしたら、77億個の違う宇宙が存在する」と言う考え方が好きだったりする。そう考えると、どの人にとっても最適な「普遍的で絶対的な真理」などと言うものは実は存在せず「その人にとってはこれが最強」と言う、オーダーメイドのスーツのような、しっくり来るやり方が各人それぞれに個別に存在している感じなのだろうと、個人的には思っている。

 まあでも、アドバイスを貰ったりした時には笑顔で「ありがとうございます」とお相手にお礼を伝えるようにはしている。そのアドバイスをこちらが採用するかどうかは別として、少なくとも先方がこちらにとって「こうしたほうが良くなるんじゃないか」と親身になって愛を込めてアドバイスしてくれた、その「行為そのもの」に対してはお礼を言ってもバチは当たらないはずだ。そんな事を僕は思って、今日も僕はなるべく「自分軸」で生きられるように、日夜頑張っているんである。

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