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「ベストな決断」なんてファンタジーである。

 よく「ベストな決断」をしようとする人がいるのだが、ベストな決断って、後から思い返してみて、結果的に偶然それが「ベストな決断だった」となる場合はあっても、その時点ではハッキリ分かるはずが無いんじゃないかと思う。

 例がジョギングでショボくて申し訳ないが(いやでもこの例がビジネスや人間関係や恋愛だと生々し過ぎるので、これぐらいで丁度良いのかも)、今日の時点で残っていた今月のノルマが2回。スケジュール的にジョギングに行かれる日は今日を含めて3日間であった。

 実は今日は雨が降りそうであった。なんだか河原で急に大雨が降ってきてずぶ濡れになると言う可能性もありそうな雰囲気。つまり今日そのリスクを負わず、残りの2日間で2回分のノルマをこなす、と言うのが一見ベストな決断に見えるのだが、もしそこで残り2日間のうち1日でも、最初っから土砂降りでジョギングになんてとても行かれない日になったらどうだろう。

 と考えるとベターな決断(そして結果的にこれがベストになるかもしれない)は今日取り敢えず行ってみる。途中大雨になったら逃げて帰ってくる、と言う物だったのだが、幸い途中パラパラとは雨が降ってきた物の、傘はささなくても大丈夫ぐらいの物だったので、無事4回目のノルマを終える事が出来た。これで残り2日の候補日が両方ピーカンだったら、僕のベターな決断は結果的にはベストな決断にはならない。だけど2日間とも土砂降りだったら、今日少なくとも1回分ノルマをこなしたのは、ベストでは無くてもベターにはなるはず。こうやってベターを追求してナイス凡打もガンガン打ちながら、期待値と上手に相談しながら生きて行けたら良いなあ、なんて思う今日この頃なんである。

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