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瞑想ってPRAMクリアみたいな物なのかな、と言うのが今のところの結論。

 昨年の6月ぐらいから朝9分の瞑想をはじめて、はや8ヶ月。幸い今の所1日も欠かさず(まあ朝寝坊して出来ずにやむなく夕方やった日もあったが)続けられているのだが、今自分自身の経験を通して感じるのは、瞑想って結局PRAMクリアみたいな物なのかな、と言う印象。

 マックユーザーで無い人は「はあ?」と言う感じだと思うのだが、MACのコンピューターだと理由も分からず、何故だか動作が変になってしまった時に行うPRAMクリアという特殊な起動方法があり、それのお陰で動作が普通に戻る場合がある。本当の理屈は正直よく分からないのだが、僕の個人的な認識では色々パソコンの中のどうでも良い情報を脇の方に追いやって、大事な事がちゃんと優先的に処理出来るようにするもの(う〜ん、多分間違っていると思う)と言う認識で、何故今この段階で僕が「瞑想がPRAMクリアだ」と思うのかを今日のnoteではお伝えしたい。

 今これを読んでいるあなたが9歳でも、79歳でも良いのだが、長さは関係なくどちらのかたにも確実に今までの人生の経験というのが存在するし、その記憶は良くも悪くも脳のどこかに必ず残っている。しかも人類は生き延びる為に例えば「ライオンに会ったら逃げた方が良い」とかそう言うネガティヴな情報を優先的に繰り返し思い出すので、それらがどんどん強固になって来る。つまり今まで10回連続で失敗した事象が今日11回目にして「誰がやっても成功する」ような千載一遇のチャンスが訪れても「今までの10回の失敗の記憶」が邪魔して、挑戦出来ない可能性が高い。まあ僕個人の経験からの印象なのでデータ数が確実に少な過ぎるのだが、瞑想していると、ある程度は過去の自分と今日の自分を切り離せるようになり易い気がして、良い感じにライトに動けるような感じがしなくも無い。更には毎日、今まで何度もやった事がある事に対しても、妙に新鮮味を感じる。と言うわけで瞑想は脳のPRAMクリアなんじゃ無いかな、なんて仮説を立てているのだが、また瞑想をはじめて1年とか、5年とかの時点で、印象をお伝え出来たら良いなあ、なんて思っているんである。

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