「人にだけ幸せをかけるとあぶない」という話
オリパラ関連、コロ助関連、水害、連日ネガティブな報道などが続いていますね。こんななかでも「楽観的な観方」を持つにはどうしたらいんだろう、と週末考えていました。
最近、解剖学者の養老孟司さんの動画を見ていてはっとさせられました。
人にだけ幸せをかけるとあぶないよ。人に頼るとあぶねーよ / 養老孟司
いい人間関係を持つことはたしかに大切。でも、自分の幸福のすべてが人間関係から来ている、と思っているとしたら?
たしかに、順調なときはそれでもいいかもしれません。でも、その人間関係から幸せを感じられなくなった時は?
身動きが取れなくなります。
もちろん、だれでも気持ちが晴れない時、傷つけられてがっかりすることはあります。そういうとき、どうすればいいんでしょうか。
自然に目を向けなさい。自然にはいいときもあれば、悪いときもある。プラスとマイナスがあって自然 /養老孟司
雨の日もあれば、晴れの日もある。美しい海が、津波で人を飲み込むこともある。「自然は残酷だけど、そういうもんだね」とどこかで思っておくということは、必要だなと思います。
逆に、「そういうことはあってはならない」と力みすぎるのは、体に悪いですし不自然ですね。それに、そう言ってしまうのは、どこかで「人(他者)への過剰な期待」があるような気がします。「あってはならないこと(マイナスのこと)が起こってしまうのが世の中だね、しかたないね」ということを、どこかで頭の片隅に置いておくほうが、力みすぎないですみます。
人が自分の期待に答えてくれないとき
さらに、気持ちがモヤモヤしていている原因は「人が自分の思い通りにならない(人が自分の期待に答えてくれない)」ということなのかも、と。
でも、この「人にばかり期待する生き方」や「人の期待にばかり答えようとする生き方」は、アドラー心理学でも「あぶない」と言っています。
私は他の人の期待を満たすために生きているのではない / アドラー
この言葉、裏を返せば「他の人は私の期待を満たすために生きているのではない」と言い換えられそうです。
さらに、こんな考え方もあります。
他の人の人生の課題と、私の人生の課題を分けよう(課題の分離) / アドラー
なにかおもしろくないことがあっても「それはあなたのタスク。私のタスクじゃない」とどこかでしっかり線引をしておく必要があります。
「こういうことはあってはならない」という自分の正義で、他の人のタスクにまでかかわる必要はない、ということです。そのタスクはその人が向き合うべきタスクだから。
このアイデアをどう使うか
毎日いろいろなことがあり、ネガティブな報道を聞きます。SNSでもそうした書き込みについ目が行きます。自分も、ついネガティブな報道に反応してSNSなどに書き込みをしたくなるときもあります。
でも、その思いの背後には「他の人が自分の期待に答えてくれない不満」があるのかもと思い、ネガティブな報道に過剰に反応しなくなりました。
いろんなネガティブな報道があっても、「それは、その人の人生のタスクであって、私の人生のタスクではないよね」と。
こうして、しっかり線引しておくとどうなるでしょうか。
自分は自分の課題を生きられるようになります。人生いいときもあれば悪いときもある、ただ、私は他の人を信頼し(他者信頼)、他の人に貢献して生きていく(他者貢献)。そして、自分は自分のタスクに集中する、と(課題の分離)。
その線引をした後の人生は心地よく、穏やかです。
今週も1週間「平穏な気持ち」で、気持ちよくすごせるといいですね。
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