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The 1975 「Being Funny In A Foreign Language」:モノクロの「New Era」へ

はじめに


The BeatlesにもThe Rolling Stonesにもパンクの勃興にもThe SmithにもマッドチェスターにもブリットポップにもRadioheadにもArctic Monkeysにも間に合わなかったし、気づいたらバンドミュージックやロックというジャンルは過去の遺物として扱われていた。過去に発売されたアルバムをある程度固まった評価の上でなぞり、なんとなく咀嚼した気になり、名盤を「ああ、名盤ですね」と納得する。YouTubeで過去のライブ映像を見つけ当時の盛り上がりを羨ましく思いながら老けたジョンライドンを見て笑ってしまう。そんな「目撃できなかった者」---現在21歳のわたし---にとってThe 1975は救いである。現在進行形でどのようにバンドが世界とリスナーと対峙するかを見守ることが出来ている、というよりバンドが対峙する「世界」の一員になっている。2022年10月14日、彼らの新しいアルバムが世界に向けて発表された。先に結論から言ってしまうとバンドの提示したい姿とファンが求めているものが一点に収斂した傑作と言っていいのではないか。

前作までの歩み


「New Era」の始まりである「Being Funny In A Foreign Language」を語る前に前章である「Music For Cars」期を振り返りたい。4thアルバム「Notes On A Conditional Form」は最新作では無くなったからこそよりシャープに捉えることが出来るようになった。「I’m sure there are people that haven’t finished Notes(Notes On A Conditional Form)」とマシュー・ヒーリー自身が振り返るように(*1)どこまでも混沌を極めた「NOACF」は彼ら自身を再定義するための解体の行為、と同時に一種のセラピーのようなアルバムだったといえる。グレタ・トュンベリの声の導入や「Wake Up!!」という怒号を介して社会運動をリードする存在として自らをレペゼンしたかと思えば「Me & You Together Song」「If You’re Too Shy (Let Me Know) 」といった曲ごとにマシュー自身ではない主人公を据えてとろけるようなラブソングを仕立て上げた。曲調に関しても統一感は無く、バンド形態という拘束を自ら壊すように人々の想像する「The 1975」像を押し広げた。3枚目「A Brief Inquiry Into Online Relationships 」で獲得した「等身大の苦しみを持ち得ながらもステージの上で圧倒的カリスマ性を放つスター」という姿は4枚目を通して複雑化し、捉えにくいものへ変質した。だが、「NOACF」で行われた「解体」はラストトラック「Guys」によってバンドとして改めて出発するためのプロセスだったと分かる。バンドの思い出を辿り「君たちの存在が僕の人生における最良の出来事だった」と締めるこの曲がバンドの新たな出発地点となた。正確には、「なった」予定であった。このアルバムが発売された2020年春以降、世界はこのアルバムの混沌を映すかのように混迷を極め、バンド自体も約2年半の休眠状態へ突入した。

2022年8月、彼らの復活の舞台が日本だった、そしてそのステージングがどのようなものだったかは以下に書いた。シンプルかつミニマムなステージングだからこそ映えたバンドとしての強度に圧倒されたのが懐かしい。複雑なこと、奇を衒ったもの、巧緻を尽くしたものではなく彼らがシンプルに演奏するだけで、そしてその立ち姿だけでショーが完成してしまう。その在り方がアルバムに反映されている。

今作について


 前々段で熱く、そしてもっともらしくThe 1975に対して物語として補助線を引いたが、新作「Being Funny In A Foreign Language」においてその物語性は不要かもしれない。
 まずインタビューにあるようにマシューヒーリーは政治的アティチュードを持った集団に与することからは距離を置いている。3rd、4thアルバムにあった若者のポリティカル・リーダーとしての役割からは身を引いた。

「僕にとっての本物のカウンターカルチャー、そして進歩を体現するこういうものをガキの頃から集めてきたけど、こうして見てると自分には確固たる政治観がないのかもって感じるんだ。これらをどう扱うべきかわからないから」

https://rollingstonejapan.com/articles/detail/38553

代わりに彼らが選択したのは「写真のように(*2)」とインタビューで答えたように、ありのままの姿を誠実に、真摯に、露悪的な形にならずに表現することだ。それは既に20代を過ぎた立場から「I'm sorry if you've living and 17」と一種の諦念と共に歌うオープニングトラックから即座に伺うことができる。「音節が3つである名前ならなんでも良かった(*3)」らしい「Oh Caroline」も多くの人の経験に沿う普遍的なラブソングだし、クリスマスの情景を切り取った「Wintering」、人と人との心の通わせ合いであるエンパシーをテーマにした「Human Too」など過度な弱みや悩みの露呈もせず、また、自らの欲や野望を明け透けにせず、他人や社会の中で生きる様をミニマムに実直に描いている。コロナ禍でのツアーや宣伝から解放された生活の影響か、あるいは「"男の子"から"若い男"への移行(*4)」と語るように年齢を重ねたからかは判断できないが、この飾らなさこそが「BFIAFL」のスッと身に染みる魅力の根源だ。「Sincerity Is Scary(正直なのは怖い)」時代は彼らにとって既に過去なのだろう。

ありのままを映す、という姿勢は歌詞や制作中の背景は勿論だが、録音や鳴らされている音に反映されている。周りを川や自然に囲まれたReal World Studioで録音された本作は楽器や声の微妙な息遣いや揺れが鮮明に伝わるほどに立体感のある音作りがなされている。この変化を後押ししたのがインディーフォークに傾倒したテイラー・スウィフト「Folklore」等を手掛けたプロデューサー・Jack Antonoffである、というのは各所で言われている通りだ。トランペットやトロンボーンの使い方もファンクやソウルのように狂騒を促すものではなく、ポストロックやUSインディーにおける静謐な響きに近い。アコースティックギターの弦の震えやヘフナーのバイオリンベースのふくよかな響きなど「ただそこに鳴っている」だけで満足できる響きは「立ち姿だけで完成してしまう」サマソニのステージの延長線上だといえる。

アルバムを通して印象的だったのが全体を貫く縦軸だった。「NOACF」はエレクトロニカ、ドラムンベース、UKガラージ、アメリカーナ、エモパンクなど水平方(=横方向)へ雑多なジャンルへ手を伸ばした。一方で「BFIAFL」ではバンドミュージックの歴史や文脈を受け入れ、かつその流れの中で獲得した自らのシグネイチャーサウンドも踏襲し改めて提示した。LCD Soundsystem「All My Friend」のピアノリフを拝借しつつThe 1975のシグネイチャーサウンドであるアンビエンスとギターとブラス隊の融合が美しいM1「The 1975」。Vampire Weekendを筆頭とした10年代前後のブルックリンのロックシーンからの影響とお得意のディスコパンクが合わさる軽やかなM3「Looking For Somebody(To Love)」、M4「Part of The Band」はPhoebe BridgersやThe Nationalに通じるインディーフォークだ。後半では素直なギターソロが在り日のギターポップやソフトロックを思い起こすM8「Wintering」、U2の如きスケールの広さと弦楽器を何重にも重ねるWall Of Soundの技法を用いつつシューゲイザーを思い起こさせるM10「About You」。The 1975以前の先人達の系譜に自覚的な曲作りと捉えるべきか、血肉となったルーツが表出していると捉えるべきかは難しいが、彼らの登場までに築き上げられてきたサウンドの一種の総決算になっていることが伺える。「Happiness」「I'm In Love With You」が80sポップスの高揚感をモダンなインディーポップとしてより洗練された物として解釈・再提示したどこまでもThe 1975らしい名曲であることは言うまでもない。

以上のように、「BFIAFL」を聴き彼らが愛した音楽と彼らが作り上げてきた音楽が歴史や足跡として真っ直ぐつながり、一本の綺麗な塔や広葉樹として地面に聳え立っている印象を受けた。それを可能にしたのは楽曲ファーストな彼らの精神性とプレイアビリティであり、休止期間で得たアルバムや自身達に対する客観的な眼差しであり、Jack Antonoffを代表とした共同製作者なのだろう。


タイトルについてマシューヒーリーはこう述べる。

「究極的には、賢くあることについて述べているタイトルなんだ。誰かが外国語で人を笑わせているところを目撃した、あるいは、英語が母国語じゃない人に自分が笑わせられたとき、僕は何にも増して感銘を受ける。"うわ、これってものすごくたくさんの知識を要することだよね"って思うんだ。そもそも人を笑わせることからして簡単じゃないし、文化的なニュアンスみたいなものをちゃんと理解したうえで、意図的に人を笑わせるなんてことは、僕にはとてもじゃないけど理解が及ばない。それを実践するには、本当の意味で他者と共感し、本当の意味で異なる文化的視点を理解する必要がある。誰もがそれをゴールに掲げたなら、もしくは、誰もが人を笑わせられるくらいに外国語をマスターしたなら、グローバリゼーションが引き起こす衝突なんかを解決できるんじゃないかなって思う。人を笑わせようとするってことは、心を通わせようとしていることを意味するわけだから。僕はそんなことを考えながらこのタイトルを選んだんだ。」

https://skream.jp/interview/2022/10/the_1975.php

「BFIAFL」にある実直さや素直さは音楽を介しマシューヒーリーの目標とする「本当の意味で他者と共感し、本当の意味で異なる文化的視点を理解する」手助けになるはずだ。等身大の姿を切り取り、現在のThe 1975を提示した本作はリスナーに彼ららしさを最も端的に伝えることができる作品だろうし、ツアーや予定されている各地での音楽フェスがその機会になることは間違いない。

まとめ


過剰さや特異さや時流への速度感が重視される現在に於いてスッと差し出された、鮮やかで、暖かくて、時に切なくなるような良質なポップソングが、良い録音で、スマートに収録された「BFIAFL」はどこまでも普遍的な魅力を持ち合わせている。また、バンドとしての喜びを歌った「Guys」の先で全曲に於いて豊かなバンドアンサンブルが鳴り響くこのアルバムが発表されたのが「バンドミュージック」に幻想とロマンを抱いてしまった私にとってものすごく嬉しい。半年後に、1年後に、5年後に聞いても同じように聴きながら体を揺らし、聴き終えた後にうんうんと頷きながら多幸感に包まれ、目の前が少しクリアになったような感覚に陥ることができるだろう。このレコードを出すことができた彼らの次の作品が既に楽しみだ。



参考にしたインタビューです。

(*1)…UK版 Rolling Stone

(*2)、(*4)…Skream 2022年10月号掲載インタビュー

(*3)…Spotifyの曲再生中の解説ステートメントより


下記からは直接引用はしてませんが、正直このnoteよりも確かな作品への視座を与えてくれるインタビューです。



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