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The 1975 Summer Sonic 2022 TOKYO 19:30~21:00 感想

モノクロのステージ、メンバーが登場、ゆっくりマイクスタンドの方へ向かいタバコに火をつけるマシュー・ヒーリー。そして鳴り響く「If You're Too Shy (Let Me Know)」のイントロ。完璧。これ以上ないオープニング。決してロック的に性急に熱狂を喚起させる曲では無いのにこのレベルの昂ぶりが身体を押し上げるのはステージングの隙のなさだけではない。2年半の空白がファンとThe 1975にステージに対する圧倒的な渇きを与えていた。煌めく一音一音がこの2年半の空白を埋めるかのように体に響き渡った。

続き「Love Me」「Chocolate」と初期の曲を披露。1st、2ndの中でもとびきりスイートだがその背景にはマシュー・ヒーリーの恋愛やドラッグに対する不安定さがにじみ出る曲達だ。実際に過去のライブ映像を見るとその若さ故の貪欲で野心を秘めたような眼差しが楽曲に幾つものレイヤーを与えているように見える。しかし今回のステージではその「若さ」は排されたように見えた。「Love Me」のビビッドなシンセサイザーのリフに感電したような仕草を見せながらも、盤石の演奏と大人の余裕を見せながら舞うマシューヒーリーの姿は一種「完成」したロックスターであった。

本人も言っていたように今回のセットリストは「グレイテスト・ヒッツ」といえる内容だった。前作「Notes On A Conditional Form」において彼らは各々の楽器から逸脱した曲構成に挑戦した。アンビエント、エレクトロニカ、ガラージ、ポエトリーリーディング、アメリカーナと旅するかのようにころころと表情を変えたこのアルバムが辿り着いたのは過去を振り返りながらシンプルなバンド演奏で魅せる名曲「Guys」であった。「過去の肯定」というフェーズに辿り着いたバンドはその現在地を満足にパフォーマンスすることなくコロナ禍へ突入し、冬眠期間へ突入した。そして2年半後、彼らは「過去の肯定」の先で「新たな姿」ではなく「過去の名曲に更なる強度を持たせて圧倒的クオリティでお届けすること」を選択した。バンドの自然体を過剰な装飾を取っ払って提示する。だからスーツを着て、VJはモノクロの映像のみで、コーラス隊もおらず最低限のサポートメンバーだけを連れてくる。そしてその着飾らない姿こそが彼らの最もかっこよく写る姿であり、実際に彼らの立ち姿はあまりにもキマッていた。

2年半の超克という点で印象的だったのが「It's Not Living (If It's Not With You)」だ。「あなたがいないなら生きている意味ない」的な歌詞と何回も訪れるタイトルのシンガロング。互いの存在を確かめ合うような、長い旅を終え再開する兄弟のような、そんな祝祭空間。こういうと陳腐だが「演者と観客が一体化する」とはこの事か、と実感した。その後のMCの「We're The 1975,from Manchester,in England」というMCはわたしの「マンチェスター」という音楽都市への憧れも含め感慨深いものがあった。

完全にバンドの演奏と音響と盛り上がりが合致した瞬間(クラッシュシンバルをマイクが拾いすぎるというちょっとしたトラブルがあったが持ち直した)は新曲「Happiness」。80sポップスの高揚感をモダンなインディーロックとしてより洗練された物として解釈・再提示する、というのは2nd~3rdにかけて彼らが行ったものの延長線上であるが、それにバンドとしての貫禄が加わりスタジアムアンセムとして鳴り響いていた。そして最新曲の直後に演奏されたのが1stアルバムより「Robbers」だったのも美しい。キャリア初期の曲と最新曲が同じスケールで披露されている光景は先程言った「過去の名曲に更なる強度を持たせて圧倒的クオリティでお届けすること」という言葉通りであった。どこか不安定な揺らぎも見せながらも笑いながら顔を見合わせて「Robbers」を歌うメンバーを見て単純に泣きそうになるなど。

ステージカメラに乗り込むことで大人の余裕を洒脱に演出した「A Change Of Mind」、アコースティックな質感と跳ねるポップソングとしての魅力が嚙み合った完全初披露の新曲「I'm In Love With You」、雨が強くなる中しっとりと鳴る「Somebody Else」ととろけるようなテンポ感で繰り出される名曲たちにまさに夢のような心持ちにさせられた。

そしてセットリストも終盤に突入する。こっからの流れは圧巻であった。「エモ」というジャンル出身のバンドとして喜怒哀楽、言葉にならないもの、諸々のあらゆる感情を発露し、喚起し、受け止めるという大衆の拠り所としてのロック/ポップスターがそこにいた。

「Love It If We Made It」。社会問題に対峙した作品である3rdアルバムにおいて明確なステートメントを発した曲であるが、その神髄はマシューヒーリーの言葉にならない絶叫にある。矢継ぎ早に発せられる言葉とサビでの絶叫という解放、観客が拳を突き上げ、ステージの背後のスクリーンに映ったマシューヒーリーの影が怪しく蠢く。怒りや悲しみといった「エモ」が喚起される。続くキャリア史上最も攻撃的でBPMも早い「People」はまずドラムという楽器のストレートに鼓動を高鳴らせる効能が脳天を衝いた。否応なしに体が反応したかと思うと「Wake Up!!」の声とともに頭が揺れる。前曲から続くシャウトの流れは美しささえ伴う。

そして個人的ハイライトは「I Always Wanna Die(Sometimes)」。3rdアルバムの最後の曲であり、スターとしてそして個人としての死生観を「常に死にたい(時々)」という人間らしい揺らぎをもって表現する名曲。ピアノの均整の取れた伴奏に時折挟まれる不協和音がその「揺らぎ」に立体感を与え、最後にはシューゲイズの如き濁流が押し寄せる。彼らの曲で一番好きなのでイントロのアコギのリフで泣いてしまった。徐々に重なる音色とオーディエンスの声と雨が全部混ざって多幸感も感じながらも私だけに歌っているような近さと、それでもどこまで行っても孤独なのだという悟りと、そういった色んな思いが最後のシンガロングに合わせて会場に渦巻いている様はサマソニ3日間のベストモーメントでした。

そこからの「The Sound」のギターソロ以降、「Sex」「Give Yourself A Try」に関しては本当に記憶があやふやである。凄い笑いながら見てた気もするし、大号泣して立ち尽くしてた気もするし、めっちゃ跳ねた記憶もある。とにかくギターロックとしての快楽とバンドメンバー全員で演奏が加速していくようなドライブ感がこれまでに体験したライブでも最上級のものだった。「これで終わりかぁ」からの「まだあんの!!!わー----!!」を3連続で更新していく感じ。何より2019年にサマソニでThe 1975を見れられなかった私としてはそのライブに「行けなかった」後悔を精算出来た気がした。圧巻。とにかく異様な充実感だけがふわふわと体の中に漂っていた。


聞きたかったが演奏されなかった曲として「Guys」がある。先程も書いた通り「Guys」は歌詞で人生最良の瞬間を振り返り、過去を肯定し、改めてバンドという形態の美しさを語った曲だ。今回のセットリストは過去を振り返る構成であったが、一切の懐古は感じなかった。バンドは5枚目の制作を終え、2年半の空白を経て「バンドの良さ」を認識する段階から次の「バンドとして如何に世界と改めて対峙するか」というフェーズにいる。もう「バンドはいいよね」=「Guys」というエモーショナルは彼らには必要ない。そんな圧倒的なまでのクオリティであらゆる懐古と過去を断ち切り、至高の現在と未来を見せてくれたTHE 1975に多大なる感謝を込めてこのnoteを終わりにします。The 1975、ありがとう............................…。


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