結婚したら一人前どころか半人前になった話
なんだか書きたくなったので水曜日だけど更新
いつも持ち歩いているノートで見つけた
”入籍”という手続きをした時の私の話を書きました。
ノートに長々と書いてあった文章をほとんど直さず載せています。
今読み返すと少し心に変化はあります。
でもあの時の率直な気持ちは大切にしたいと思い、ここに連れてきました。
ぜひお読みください。
ニュウセキ
私は大学院を卒業した2020年
ニュウセキした
大学3年から付き合っているパートナーと
ニュウセキした
そして同じ年の5月に、MKは始まった
仲間はいる
幸せ者だ
会社員
大学卒業後、建築設計事務所で2年だけ働いた
建築士の資格もすぐに取れた
デザインが好きな気持ちも変わらなかった
だけど
社会ってこんなに居心地が悪いのかと思った
夢とか将来とか
こんな社会の中にいる大人が
よくも子供にそんなことを言えたなと思った
かっこいい大人がいなかった
輝いている大人が圧倒的に少なかった
みんな何かに妥協していた
これ以上浸かっていたら腐ると思って焦った
大学院
大学院に入った
自分100%のお風呂に浸かりたかったからだ
この気持ちは多分、私だけじゃない
原液が失われたら元には戻れない
でもみんな
スペアのない原液を薄めることを
受け入れて生きている
私には、そんな大胆なことはできない
みんな強い
みんなすごい
この感覚は物心ついた頃からある
でも私はそんな世界はごめんだと思った
だれかを幸せにしたい
それがモチベーションの私が
私よがりに生きたところで害はないだろう
大学院で原液の濃度をあげた
量も増やした
準備は始まった
私が私として生きる準備だ
卒業したら自分の会社を作ると決めていた
パートナー
パートナーの名前はかない
中学の同級生だ
クラスが一緒になったことはない
マンモス校だったから
同じになるほうが少数派だ
部活は一緒だった
私は陸上部の部長
かないは定期的に練習をさぼる
腰パン前髪長男
カーストの位置はズレていた
そんな2人だ
帰り道はたまに一緒に帰った
2人きりではない
3人とかそれぐらい
かないは滅多に言葉を発さない
だから会話した記憶はほとんどない
無愛想だけど
なにか抱えているとは感じていた
心の扉を開けないタイプだと認識していた
嫌いじゃなかったが好きではなかった
気にはなったが気にはしなかった
そんなかないと
中学卒業から約10年後の2020年
ニュウセキする
人生は何があるかわからないとはこういうのを言うんだ
あの時に戻ってこの事実を伝えても
リアリティが無さすぎてすぐに忘れたと思う
もしかしたら告げられていたのかもしれない
けど覚えていないから
ないも同然
手続きしたら半人前になった
ニュウセキの手続きには疑問だらけだった
何も考えていない人ほど生きやすい社会だな
そう何度も思った
同時に
こんなことを思う私は
ヒトとしては退化しているのかとも思った
ニュウセキを漢字で書かないのは
私らしさの誇示だと認める
籍が何で
入ることが何か
本当のところがわかっていないから使えないのだ
形骸化した言葉は使えない
骨組みだけ利用する
私はかないと生きていくと決めた
お互いの人生の形がハマり続ける限り
共に生きていくパートナーとして
代替のない存在だと確信したからだ
私たちには世界がある
2人で築きあげてきた世界観だ
特別ではない
誰しも誰かとの繋がりがある限り
その繋がりと同じ数だけの世界観を持っているはずだ
2人で生きていく
公式の他人から
公式の身内になる
それを表明するのに
変化が怒涛に押し寄せてきた
私のペースではない
私たちのペースでもない
誰かのペースだ
見えない誰かが
当たり前かのように
私たちの世界に入ってきた
これまで誰にも指図されなかった私たちの世界
付き合う時の方がよっぽど覚悟が必要だった
蹴上は相当高かった
あの時は誰も見向きもしなかった
なのに
あれよあれよと言う間に
社会の前にさらけだされた
私たちにとっては段差でもなんでもない節目に
みんなそんなに私たちのことが気になるのか
というくらい
色々書かされる
色々表明させられる
手続きが終わった
私たちに変化はない
書類という紙にペンという文房具で
線という記しを刻んでいっただけだ
平穏な日常
でも周りは変わる
おそらく私たちをくっつけて認識するようになる
劇的だ
よく見るさくらんぼのイラストのように
2人の頭の上には
一節で合流する枝が伸びて見えるようになる
新しい肩書きもプレゼントされた
妻と夫
ああ、対義語が嫌いになりそうだ
なぜ対で存在を認めようとするのか
対がいなれば半人前とも言いたげに
私たちは一人前同士だ
対ができたら半分になってしまう
書類を書いたらこうなった
ニュウセキしたら
なんだか世間的には0.5になった
■最後に
青いな。
青歴史だと、未来の私が笑うと思う。
でもたぶん、この手の話で似たような気持ちを持つ人がこれまでもこれからも居ると思う。
あなただけじゃないよって伝えられるだけでも
恥を晒すことを承知でここに連れてきた意味がある。
時代はまだまだ続く。
その”点”に生きる私たちに何ができるのか、そんなことを考えることが好き。
今を生きやすくするのか
何十年後を生きやすくするのか
そんなちょっとした意識の違いで
行動と言動は劇的に変わってくる。
少なくとも私たち2.30代くらいの世代は
もう少し冷静にそれを考えたい。
自分の原液を薄めてまで作らなければいけない時代はないはずだもの。
その妥協は本当に誰かを守れる?
本当に誰かを幸せにできる?
そう問いかけていきたい。
怒涛に進む時間は、意外にも自分の手で止められるってことを経験したから。
ちょこっと胸張って。
この話を読んで、パワーが出てくるような人の元に届いたらいいな。
麻裕(StudioMK)
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