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宮崎市を行く!(中編)~森にぽっかり「みそぎ池」


【前編までのあらすじ】

宮崎で仕事が終わり、空いた時間でどこかへ行こうと思っていた。
神話の地を堪能したいのだが、時間はそれほど無い。ならばと前から行きたかった「みそぎ池」を目指すことにした。
誰でも聞いたことがある「祓詞」に出てくる「阿波岐原」にある伊弉諾尊が禊を行い、最も貴いとされる天照大神誕生の地だ。
前編でなんとか江田神社の入口まで徒歩でたどり着いた。

【美しい古代の森・江田神社】

江田神社の社叢は市民の森と呼ばれ、かなり広い。


森への入口でもある鳥居

社殿の奥に「みそぎ池」はあるが、大分森の端っこの方なのだ。

参道の入口はまだ道に面している

参道を進めば進むほど森の中に入っていく。
ただ、嫌な感じは全く無い。
清められた森というのがしっくり来る。

【美しい苔を見て思い出す英語の授業】

一箇所だけ苔むした土

参道の途中に、美しく緑の苔に覆われた地面を見つける。
その場所に木漏れ日がさしていた。
私の高校時代は自称・進学校で、授業が本当に面白くなかった。だが、英語の授業中に、興味深く感じて覚えている話が一つある。
「家の庭に苔があったらどうする?」と問う先生。
問われた生徒は意図がわからず、おずおずと「えっと・・掃除します・・」
「アハー!!アンタは外国人の感性だわ!日本人は苔があっても綺麗と思って活かす庭を作るでしょ」
そう言われたらわかるけど、言い方腹立つなァと思っていたが、妙に印象に残っていた。
京都にも苔を生かした庭があったな~自分も苔を美しいと思う日本人だなぁと実感したのだった。
この地面だって、見た人が皆美しく思って残しているのだろう。

「あぁ・・確かに美しいなぁ」
なんだか貴いものを見た気になり、妙に感動する。

【ファンキーな「みそぎの碑」】

参道の途中にサザエさんの頭のようなものを見つけてギョッとする。

地元のロータリークラブの活動で建立されたらしい。
みそぎによって生まれた神々を表現している碑なのだが、妙にファンキーで森の中で目立つ。

【清められた本殿】

本殿の前はとても静かで心地よい空間だった。
静かに手を合わせたくなる。

お参りして「そういえばみそぎ池ってどうやって行くんだろう?」と不思議に思っていると、横道に「みそぎ池」という手書きの矢印があった。

みそぎ池へ誘う手書きの看板

手書きの看板に誘われて森の奥に入っていく・・まるで童話のようだ。
幼い日に夢中で見ていた安野光雅の「もりのえほん」を思い出す。

森の奥では、神木も若木も共にすくすく育っている。

時折現れる説明板を読みながら、古代に思いを巡らせつつ進んでいく。

【森にぽっかり「みそぎ池」】

みそぎ池は唐突に現れた。
森の奥に大きな空が広がっていた。
森が隠していた秘密の地のようで胸が高鳴る!

木が避けているように見える
祓串のようなものが見える。

一面にハスの葉が広がっていて、水中が見えず、それがまた神秘的だった。
カエルが泳いでいるのが時々見える、のどかな池だ。
ただ、森の中でここだけ空が見え、木に護られるように池があるので、神聖な地だというのが否が応でも伝わってくる。
そうか、ここで天照大神はお生まれになったのか!

子どもの時に好きだった絵本「うみにぽっかりくじらじま」風に言うと「森にぽっかり みそぎ池」だ。

大海の中の島のように池がある。

この地に来れたことがとにかく嬉しい。
だが、帰りのバスの時間が迫っている。さすがに帰りも歩きはしんどいし、時間がキツイ。
ギリギリまでみそぎ池を眺めていたが、意を決して走って森を横断し、バスに乗り込んだのだった。

【後編】に続きます

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