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100周年を迎えたディズニーが『Wish』(邦題ウィッシュ)を通して伝えたかったとは【映画感想】

100周年おめでとうございます

ウォルト・ディズニーカンパニー創立100周年ということで誠におめでとうございます。
全作品観ているわけではありませんが、私がディズニー映画で好きな作品は『101匹わんちゃん』『ボルト』『モアナと伝説の海』です。

そのディズニーが100周年記念作品と銘打って生み出されたのが『Wish』という作品。
シンプルなタイトルだけど、恐らくどのディズニー作品にもどこかに込められている「願い」という要素をそのままタイトルとして起用している節目に相応しい作品です。

そのため、この映画はこれまでの数多くのディズニー作品を総括して背負い込み、これからのディズニーのさらなる発展のモメントとなるような作品になるのかなと期待して観に行きました!

私は字幕派なので字幕で観ましたが悪役のマグニフィコ国王の吹き替えが福山雅治さんで、国王のキャラクター的にぴったりだと思ったので吹き替えも気になっています。英語版のクリス・パインもイケボでよかったですよ!
アーシャの英語版声優はスピルバーグ版『ウェストサイドストーリー』でアニータ役を熱演して助演女優賞も受賞した歌手・女優のアリアナ・デボーズが演じており力強くても繊細な歌声が素晴らしかったです。

『Wish』は魔法で国民から願いを集め、叶えられる王様が在位する一見豊かで幸せに満ちた王国で、王様の魔法の秘密を知ってしまった主人公アーシャが仲間と共に願いを国民に返す話になっています。

城がある王国、世界観の紹介から始まるミュージカルシーン、夢見る主人公と魔法使いの悪役、しゃべる動物、その他エトセトラとディズニー要素満載でそういうところは面白く、何故王様が人の願いを集めて叶えてあげるのかという設定から、願いとは生きる物にとってそもそも何かというテーマに繋がっており楽しめたのですが、話に意外性がなく盛り上がりが足りないというのが個人的な感想です。
率直に今回は詳しく感想を書いていきます。

あらすじとキャラクター

あらすじ
願いが叶う魔法の王国に暮らす少女アーシャの願いは、100歳になる祖父の願いが叶うこと。だが、すべての“願い”は魔法を操る王様に支配されているという衝撃の真実を彼女は知ってしまう。みんなの願いを取り戻したいという、ひたむきな思いに応えたのは、“願い星”のスター。空から舞い降りたスターと、相棒である子ヤギのバレンティノと共に、アーシャは立ち上がる。「願いが、私を強くする」──願い星に選ばれた少女アーシャが、王国に巻き起こす奇跡とは…?

ディズニー『ウィッシュ』公式HP

キャラクターについて

願いを独占する王様とすべての願いが叶うことを願う少女

ディズニー映画において、というか多くの物語は地位はないけれど優しさや勇気がある者が強大な力や権力を持つ者に挑むという構図は王道だと思います。『Wish』もロサス王国に住む17歳の普通の少女アーシャが、魔法を操る王様に挑むという構図になっています。

アーシャはロサス王国の国民であることを誇りに思っていることと、祖父の願いを王様に叶えてもらおうという理由で、国王の補佐官的な仕事をして気に入られようと立候補して国王と面接をしますが、その際に秘密を知ってしまいます。

マグニフィコ国王は魔法の儀式で国民の願いを預かり、王宮で大切に保管して、定期的に一度願いを叶える儀式を行います。
願いを叶えられるのは〈ロサス王国にとって利益となりそうな願い〉のみで、すべての願いを叶えられないことを説明します。

裏を返せば国民は願いを王様に一度預けたら叶えて貰えるまで返してくれないし、変更もできない、さらには願いは人の心の一部ということで王様に願いを預けた国民はぽっかりと心が空いてしまい無気力気味で国のために尽くさなければなりません。

願いを叶えられる人も大体月に1度で、国のためにならない願いは危険な願いとみなされ絶対に叶えてもらえない不当な儀式だったのです。
願いを叶えてもらえれば棚から牡丹餅ですが、ハイリスクハイリターンな契約です。

アーシャの祖父は歌と楽器で人を惹きつけられるようになりたいという願いでしたが、国民を扇動すると言いがかりをつけられてしまいます。

アーシャは家族に王様の秘密を暴露しますが理解してくれず、一人で戦おうと星に願い決意したところでそこに夜空から願い星であるスターが現れます。
このスター、実はこの作品だけでなくディズニー世界においてかなりのキーポジションです。

スターはすべての魔法の根源というか概念みたいな存在でそれはこの物語だけではなく、ディズニー作品に登場する魔法においてのオリジンのような描かれ方をしており、星の粉で生物や植物が話したり歌ったり、空間を光で彩ったり、魔法の杖を生み出したりできます。
つまり、白雪姫、シンデレラなど魔法が存在するディズニー作品における魔法の原動力はこのスターだと解釈することもできるわけです。

アーシャはスターや仲間たち、そしてスターから貰った魔法の力で国王が住むお城に潜入して、保管している国民の願いを解放していきます。

願いが無事に国民から返ってきた時に願いは人に叶えてもらうものではなく自分で叶えるもの、また何度だって願いを変えても良いし、叶えられなくてもその過程にあった出会いや経験が大切なんだよと国民が気がつき、それが作品としての教訓になっています。

実際にアーシャはスターから魔法の力を借りましたが、全然使いこなせていないし、持ち前の人を想う優しさと何かを自分で変えようとする勇気を国民に与えて国王を打ち破っていたため、そういったストーリーのシークエンスで魔法や奇跡が看過しておらず個人の行動が人生を変えると感じることができます。

ストーリーに驚きがない

先程述べたヴィランが観賞する前から予告やあらすじなどでなんとなく分かっていることでアーシャが国王に打ち勝つという想定内の物語が進んでいくため驚きがありません。

ヴィランであるマグニフィコ国王は傲慢・偽善という権力に奢った型にはまったキャラです。一応彼は国王になる前に戦争に巻き込まれて、戦争のない国を作ろうとした結果、自分が思い通りに統治できる国をつくりはじめた経緯は感じ取れるものの一瞬語りがあっただけで掘り下げ不足、他のディズニーヴィランと差別化ができていないような気がします。

アーシャもプリンセス的より、リベラルな少女という感じで私的には共感はしやすいんですけど自分から緊張しやすい性格と言いながらあんまりその性格が出ていなかったり、優しいという評判の割に絡むキャラが固定化されおり、第三者が優しいと理解できるようなシーンがないため描写不足を感じます。
また、物語上でアーシャの挫折が弱く、起承転結の『転』の部分が弱いのも致命的。

100年という節目を迎えたディズニーが『Wish』で伝えたいこと

私はこの映画を通してディズニーがファンに伝えたかったことは2つあると思います。

1つ目は「みんなスターだ」という発言に込められた意味についてです。
このセリフは願い星のスターが生物や植物に星の粉を振り撒き、話せるようになりミュージカルシーンになった際の曲中にあるのと、終盤アーシャが国王と対決して窮地に陥った際、国王が願いを支配しているということを国民が気がつき、願いを返してと『Wish』という曲を一斉に歌い出すシーンでアーシャが口に漏らします。

私はこの映画の「みんなスターだ」というセリフはディズニーがこれまで作り上げてきた『星に願う』という儀式の意味を変えたと思っています。

ディズニーの『星に願いを』という曲を皆さん聞いた事があると思います。
オープニングで必ず流れる曲で、ディズニーを代表する曲です。
原題は『When You Wish upon a Star』という曲名で、最初はディズニーの代表的なテーマということで生み出されたのではなく1940年『ピノキオ』という作品で使われました。

その『星に願いを』が使われた『ピノキオ』という作品についてですが、職人ゼペットが息子が欲しいため子どもを模した人形を作り、星に願ったことでピノキオが誕生します。
そのピノキオが人間になり本当にゼペットの息子になるために奮闘するストーリーなのですが、ゼペットは星に願ったことで魔法使いが現れてピノキオに生を与えました。

つまり、ゼペットは星に願っただけで願いを叶えたロサス王国で言う幸運な国民なのです。
なので、ゼペットは善良なおじさんですが、特に努力をせずに願いを叶えて貰ったのです。
むしろその後妖精に試練が与えられたのはピノキオであり、よく考えれば不公平だなと思います。決してゼペットをディスっているわけではありません。

『ピノキオ』と『Wish』は通じることがあると思いますが星に願うという行為の意味の描かれ方が違うといえます。
『ピノキオ』は善良で正直な人が星に願いをすれば神や妖精など超常的な力を持つ誰かが見てくれて叶えてくれるから正直に生きなさいみたいな教訓が込められた作品だと思います。

『Wish』は星に願っているだけではいいはずはなく、人や生物それぞれがスターであるということで『星に願う』ことは願いを叶えるために自分に誓いを込めて行動するという意味であると思います。

また、自分だけでなくみんながスターであることで生きることは誰かと星座の様に繋がっていき人生が紡がれていくということを伝えたいのだとも解釈できます。

さらに、国王のマグニフィコは鏡に自分の姿を映して自惚れたり、国民に恐怖を与えたりしていましたが、最終的には鏡に囚われてしまいました。
これは、マグニフィコ王が独りよがりで虚像に映る自分に慢心して、本当に自分自身を見つめられていないことを表現しています。

2つ目は終盤の願いを奪われた国民がアーシャの勇気に感銘を受けてマグニフィコ王に反旗を翻すシーンについてです。

これは完全に私の考察ですが舞台となるロサス王国はウォルト・ディズニーカンパニーそのものを表現しているのだと思います。

ディズニーカンパニーは魔法にかかったような夢のある素晴らしいアニメーション制作事業だけでなくテーマパーク運営、放送、出版などエンタメに関する様々な事業を展開する巨大企業になっており、働いている社員も多国籍で多様性が尊重される企業です。

ロサス王国も国王マグニフィコの魔法のおかげで国が豊かになり、その魔法の評判から様々な国からくる人を受け入れる移民の国でした。

ではウォルト・ディズニーがマグニフィコで悪役なのかという話になってきそうですがそうではなく、マグニフィコ王はポリコレに偏りすぎて本当に描きたいものが描けない今のディズニーカンパニーを表していると思います。
最近のディズニー作品は質よりもポリコレを意識し過ぎているとファンから批判を受けており、実際にディズニー離れが進んでいます。

そのため、国王に反旗を翻すシーンは会社が要求すること関係なしに自分の表現したいものを描きたいと願う社員をロサス国民に置き換えて表現されているのではないでしょうか。

ディズニーカンパニーに就職した社員は恐らくディズニー作品が好きで、自分も人に夢を与える作品を生み出したいと願って働いているはずですが、もし方針や社会的な流れで作りたい作品を作ることが許されないのならば辛いことですし、願いを奪われたロサス国民のように目標を失い無気力になりながら働いてるのかもしれません。

映画では願いを取り戻した国民が自分の意思や情熱で願いを叶えるために行動する描写があるので、ディズニーカンパニーももしかしたらこれから方針を変えてクリエイターの描きたいものを作っていくのかなと自分の期待を込めて想像しています。

私はディズニーカンパニーの素晴らしい技術を持ったクリエイターが生み出した作品をこれからの世代の人たちが見て、自分もこういうキャラになりたいとか、もしくは素晴らしい作品を生み出すクリエイターになりたいと、夢をもらえるような作品をこれからも作っていって欲しいです。もちろん、何者にも縛られず自由に。

また、ディズニーカンパニーがこれから100年、200年続き、唯一無二のエンタメを作り続けてくれることを願っております。

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