見出し画像

164 学校は警察ではないから

机を強く叩きながら「うそはすぐにばれるんだ!」と怒鳴る男性。続けて「正直に言えば罪は軽くしてやる」と言います。まるで刑事ドラマのようです。でもドラマではありません。学校で生徒を指導する教師の姿です。

学校で何か問題が起きたとき、教師は関係する(と思われる)生徒から事情を聞きます。その結果必要な指導をするのですが、はたしてそのやり方に問題はないでしょうか。指導はたいてい他の生徒の目に触れない部屋で行われます。相談室や会議室、応接室などが使われることが多いですが、部屋が塞がっていると教材室や準備室など薄暗くて埃がたまっているなどおよそ指導にふさわしくないと思える部屋が使われることも少なくありません。

話を聞くとき通常は生徒と教師が一対一で行います。複数の教師が生徒一人に対応すると生徒に威圧感を与え、望ましくないからです。だから他の教師にも見えない密室となることが多いです。教師と二人だけになって事情を聞かれる生徒の気持ちはどのようなものでしょう。たいていの生徒は不安でいっぱいなのではないでしょうか。話を聞く教師が生徒たちの恐れる教師だったりしたら尚更です。言いたいことも言えなくなるでしょう。だから生徒から事情を聞く教師の態度はとても重要です。

教師の中には冒頭の例のような警察官か検事かと思う態度を取る人が過去にいました。話を聞くというより「取り調べ」をするといった方が適切です。「〇〇は正直に言ったぞ」「△△はそんなこと言ってない」と他の生徒のことを持ち出したり、「お前は嫌だったけど〇〇に言われて仕方なくやったんだよな」などと誘導尋問のような言い方をしたりします。「正直に言えば許してやる」と「取引」を持ちかける人もいました。今はいないことを願いますが実際はどうなのか現場を離れた私にはわかりません。

否認しても信じてもらえず指導がいつまでも続くことがあります。容疑を否認すると拘留が延々と続くことを司法の世界では「人質司法」と言うそうですが、学校でも似たようなことが行われていないでしょうか。薄暗い部屋で事情聴取が延々と続き、罪を認めるまで帰してもらえない。そうなると生徒の思考能力は停止し、事実でないことも認めてしまうことだってあるでしょう。冤罪を生む危険があります。

私自身も苦い経験があります。いじめの問題が起きたとき生徒を信じてあげられなかったことです。名前の挙がったクラスの女子生徒を呼んで事情を聞いていた私は、「いじめには関わっていない」と言う彼女の言葉を信じてあげられず、放課後暗くなるまで延々と話を聞き続けました。彼女は泣きながらいじめを否認していたのですが。悔やまれる記憶です。

その時は私自身の思考が停止していたのだと思います。彼女がいじめに加担していたという前提で私は話を聞いていました。そして彼女が早く自らの非を認めてくれればいいという気持ちがどこかにありました。彼女を信じるよりも疑う気持ちの方が強かったのだと思います。

「いじめには関わってはいない」という彼女の言葉はもしかしたら嘘だったかもしれません。私が力不足でそれを見抜けなかったのかもしれません。今でも真偽のほどはわかりません。 「教師は生徒のうそを見抜けなくてはいけない」「教師は生徒に騙されてはいけない」と言われます。生徒に甘く見られたり舐められたりしてはいけないということなのでしょう。

でも、教師は警察官でも検事でもありません。たとえ騙されたとしても生徒を信じることの方が大事だと思います。その結果生徒に甘くみられるかもしれませんが、「先生に嘘をついてしまった」「先生を騙してしまった」という後悔がどこかに残ることを期待することも大事ではないかと思います。いつかそれが活かされることを願って。



この記事が参加している募集

#仕事について話そう

110,083件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?