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162 私は鶴にはなれません

新たに赴任した校長が教職員に着任のあいさつをしました。その中で「教師は鶴のようでなければいけません」と言っていました。どこから飛んできてどこに飛んでいくのかわからない鶴のように、教師もどこから来てどこに帰るかわからないのが望ましいと言いたかったようです。つまり生徒に私生活を見せてはいけないと言いたいらしいのですが、私は共感できませんでした。

当時私は学区に住んでいました。子どもの保育園の送り迎えや自分自身の通勤を考えて職住近接を重視していたからです。だから自宅の場所を知っている生徒はたくさんいます。スーパーで買い物すれば生徒や保護者に会うこともあります。保護者から「先生のうちは夕飯何にするの?」と聞かれたり、翌朝生徒に「昨日スイカ買ってたね」なんて言われたりすることはよくありました。

勤務が終わって同僚と飲みに行ったときも塾帰りの生徒にばったり会うことがありました。「塾なの? 気を付けて帰りなさいね」「先生も飲み過ぎちゃだめだよ」なんていう会話が交わされることもありました。翌朝その生徒から「先生、二日酔いは大丈夫?」なんて聞かれている場面を先の校長が見たらどう思ったでしょう。私はそれが問題だとは思っていませんでした。教師と生徒は立場が違うからです。

生徒が何人かで自宅に遊びに来ることもありました。そんな生徒たちとは大人になっても付き合いが続いています。最近は生徒と個人的なつながりを持つことが禁じられ、教師の家に遊びに行く生徒も少なくなっているようです。不適切な関係はもちろんあってはなりませんし、生徒と教師の間には越えてはならない境界はあります。お互いのプライバシーも守られねばなりません。さらに教師にもいろいろな考え方の人がいます。先の校長と同じ考えの人もいるでしょう。

賛否両論あるでしょうが私自身は教師としての姿だけでなく生活者としての姿も生徒に見せたいです。だから鶴のようにはなれません。なろうとも思わないですし…


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