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九つの兆し

  これは、私の読者から寄せられた、神奈川に住む、匿名希望の男性から聞いたお話。
以下、男性の語り。

数年前、俺が住むマンションで体験した話だ。
ヘビースモーカーだった俺は、妻に煙たがられながらも、ベランダで吸うという条件で自宅での喫煙を許されていた。

その日も仕事から帰宅した俺は、冷蔵庫から缶ビール片手にベランダで一杯やりつつ、煙草を吹かしていた。

時刻は午後六時、刻々と色を濃くしてゆく夕焼けをベランダから眺めていると、ふと、前方に見える二階建てのアパートが目に止まった。

何の変哲もないアパート。
ただ少し違ったのは、階段をゾロゾロと登って行く数人の女性達の姿。
二人、四人、六人……結構な人数、男もいた。
パーティでもやるのかな?
何て思いながらその日は部屋に戻った。

次の日、昨日と同じように俺は帰宅した後にベランダで一服していた。

街並みを眺めながら煙草を吸っていると、またあのアパートが目に留まった。
まただ。
数人の男女がアパートの階段で列を作って登って行く姿。

「お盛んだね~今どきの若い子らは……」

あれだけの人数が毎晩騒いでたら近所の人達もさぞ大変だろうな……。

俺はため息混じりに煙を吐いて部屋へと戻った。

それからもその光景は続いた。
何日も何ヶ月も。
流石におかしなと思い始めたある日の事だ。
俺は寝る前に一服しようと何となくベランダに出た。

煙草に火を付けぼおっと夜景を眺めていると、不意にあのアパートが気になり目をやった。

階段には誰もいない。
流石に今日は、何て思い二階の部屋を見た時だった。

「うわっ!」

思わず手にした煙草をベランダに落としてしまった。
だが、それを拾い上げることも無く、俺は目の前の光景に釘付けになってしまっていた。

二階の部屋、明かりが点いたその部屋の窓から、数人の男女がこちらを見ていたのだ。

余りの光景に絶句してしまった俺は逃げるように部屋へと戻った。

「おい!」

「何?」

部屋に戻ると一人先にベッドで休んでいた妻を叩き起し、今しがた見たものを話して聞かせた。
すると、妻は眠たそうに瞼をを擦りながら口を開いた。

「それが何?皆して外でも眺めてたんじゃない?あんたと同じよ」

「い、いや、でもな……」

「もう……私明日早いんだからいい加減にしてよ……電気消して」

「あ、ああ……すまん」

確かに、妻の言う通りだ。
別に外を眺めていたからといって何かおかしいなんてことは無い。
考え過ぎなのかもしれない、俺は自分にそう言い聞かせ電気を消しベッドへと潜り込んだ。

どれくらい経っただろうか。
静まりかえる部屋に、時計が針を刻む音と、隣から妻の寝息が響く。

俺は先程の光景が目に浮かび、心がざわついて寝付けないでた。

距離も遠く鮮明には見えないはずなのに、何故か一人一人の表情が細かく見て取れた。
無表情で生気のない顔。
薬でもやってたんじゃないか?
そんな風に頭の中でモヤモヤと考えていた時だった。
突然、網戸にしていた窓のカーテンが大きくふわりと揺れた。

強い風なんか吹いてはいない。
むしろ生温い穏やかな風。
何だろう?
気になった俺は起き上がろうとした、だがその瞬間。

体が動かない、指先一つピクリとも動かせなかった。
脂汗が頬を伝う。
急激な悪寒が体を支配し、肌が粟立ち震えが襲ってきた。

金縛り!?
見開いた目で、風もないのにバタバタと激しく揺れるカーテンをじっと見つめる。
人影だ、それも一人二人では無い。
大勢の人影がベランダに居るのが見てとれた。
ベランダから伸びた影が部屋の中まで伸びてくる。

何だこれなんだこれ!!
叫びたいが声が出ない。
喉からは。

「あ"、あ"あ"……!!」

潰れた蛙のような声しか出せなかった。

すると、ベランダで揺れ動く人影が蠢くと同時に。

──ギギギギッ。

と、網戸の開く音が聞こえてくる。

来るな来るな来るな!!

「あ"あ"っ!!」

暗がりに見える若い男女の姿。
僅かな月明かりに照らされたその顔は、先程アパートで見た時と同じ、空虚で精気を感じさせない虚ろな顔。
ゆっくりと足音一つも立てずに部屋の中へと入ってくる。
やがてそれらがこちらに近づいてくると、俺を見下ろす様に見つめてきた。

助けてくれ!!

声にならない声で必死にそう頭の中で念じたその時。

「どうしたのあんた?」

眠たげな妻の声が隣から響いた。
瞬間、全身から力が抜けるような感覚に襲われ、気が付くと、俺は泣き叫びながら妻に抱きついていた。

慌てる妻を他所に部屋を見回したが、あの男女の姿はもうそこにはなかった。

翌日。
昨夜の事もあり、俺は体調が優れないため仕事を早退する事にした。

「ただいま……」

帰宅すると、妻が青ざめた顔で玄関に駆け寄ってきて口を開いた。

「あんた大変よ!ちょっとこっちに来て!!」

「な、何だよ、俺具合が、」

「いいから早く!こっち!」

そう言うと妻は半ば強引に俺の腕を掴み引っ張ってきた。
連れられるまま一緒にベランダに出ると、妻が指をさして喚き出した。

「あそこ!あんたが言ってたアパート!あそこでたくさんの死体が発見されたって!今ニュースでも凄く騒がれてるの!!」

「死体!?」

妻が指さす先、そこは俺があの数人の男女の姿を見たアパートだった。
現場は警察や報道陣で溢れ返り、上空にはヘリコプターまで飛んでいた。

以上が、俺が体験した話だ。
この後、記者と名乗る人達が家に押し掛けベランダで撮影させて欲しいとお願いされたが全て断った。
後で管理会社と揉めたとかどうとか噂で聞いたが、正直俺にとってはどうでもいい事だった。
ニュースで知った限りで犠牲者は九人の男女……。
言葉巧みに部屋に誘い出し、殺害した後に死体をバラバラにして、部屋の中のクーラーボックスに遺棄していたそうだ。

あれ以来あの集団を見ることは無くなったが、今でもあの家は存在している。
無論、ベランダで吸う事ができなくなり、自然と煙草は辞めてしまった。
近々引っ越す予定だが、それまでは決してベランダに出ることは無いだろう。
あの時の光景を、二度と目にしたくはないから……。


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