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私の瞳が死んだ時

  これは、狐の嫁入り事私が幼い頃に体験した話です。

それはまだ蒸し暑い夏休み真っ只中の事でした。
近所にある神社の裏手にある森の中で一人遊んでいると、ふと周りを見て帰り道が分からなくなったんです。
焦った私は森の中を彷徨い歩きました。
お生い茂る木々が影にはなっていましたが、それでも暑さは防げず、額に浮かぶ汗を拭い必死に歩きました。
若干の立ち眩みを覚え立ち止まった時でした。
視線の先、草木の隙間に古い建物が見えたんです。
誰か居るかもしれない。
そう思った私は居てもたってもいられずその場から駆け出しました。
広い庭に足を踏み入れると、そこは古い民家の縁側でした。
田舎でよく見掛けるような民家で、縁側の雨戸や襖は開かれており、風鈴が風に遊ばれるようにして凛と音を立てていました。

「あなた誰?」

突然女の子の声がしました。
視線を向けると、水色のワンピースを着た可愛らしい同い年くらいの女の子が、縁側の隅に立っていました。

「うちはその……」

勝手に入って来てしまったのもあり、私は口篭りながら額の汗を拭いました。
すると少女は何も言わず奥へと引っ込んでしまいました。

「あっ……」

呆然と立ち尽くしていると、再びあの少女が戻って来ました、手に麦茶が入ったコップを持って。

「暑かった?暑かったでしょ?」

言いながら少女は裸足のまま近寄って来ました。

「え?あ……うん」

そう返事を返すと、少女はにこにこしながら持っていた麦茶を私に手渡してきました。

「いいの?」

「いいよ、あ、そこ座ったら」

「ありがとう……」

私は少女に言われるがまま縁側に腰掛け、頂いた麦茶を口にしました。
火照った体が嘘の様に涼んでいきました。
日差しはキツイけど涼しい風がよく吹いていたし、何より冷えた麦茶のおかげで、私の疲労感はいつの間にかなくなっていました。

すると、さっきまで笑みを浮かべ黙ったまま私の横顔を見ていた少女が、徐に口を開きました。

「あなたの目、綺麗ね」

「うちの?」

「うん、綺麗、宝石みたい」

「宝石……?」

突然、しかも身も知らぬ少女にそう言われ、何だか急に恥ずかしくなった私はその場で俯いてしまいました。

「ねぇねぇ?」

少女がそんな私に再び声を掛けてきました。

「な、何?」

「その目玉、私と交換して」

「えっ?」

持っていたグラスを思わず落としそうになりました。
何を言ってるんだろうこの子。
言っている事の意味が理解できず返事に困っていると、少女は私の顔を覗き込み、真っ暗な瞳で見つめながら口を開きます。

「交換して?」

「む、無理だよ、そんな事できないと思うし、痛そうだし」

「簡単だし、痛くないよ?」

「か、簡単って」

「本当だよ、簡単にできるから、ね?片目だけでもいいから」

少女が畳み掛けるように言ってきます。
その様子がだんだん怖くなった私は、グラスを縁側に置き立ち上がりました。

頭を深く下げ礼を言うと、私は逃げるようにその場から駆け出しました。

追ってくるかも……そう思いましたが、少女は微動だにせず座ったままでした。

変な子だった、それに何だか怖い。
私は元来た道に引き返し走りました。
心臓がバクバクとなっいました。
やがて息が途切れ途切れになり、脇腹に痛みを感じ始め、私は足を止めました。
荒い息を整えようと深く息を吸い込み、再び走った時でした。

「あれ……」

草木を抜けるとそこは、あの民家の庭先でした。

「何……で……」

唖然とし民家に目を向けると、縁側にあの少女が座っていました。
先程と変わらぬ様子で縁側に座り、こちらに手を振っています。

足元から這い上がって来る様な悪寒が不意に襲ってきました。
真っ直ぐに走ったはずなのに、何で?
混乱する頭の中で、先程の少女の言葉が過ぎります。

──目玉、交換して……。

私は頭の中を振り払うようにして再び走り出しました。
今度は庭を突っ切って反対側の森の中へ。
締め付ける脇腹の痛みに顔をしかめ必死に走りました。
転びそうになりながらも何とか持ち堪えとにかく走り続けたんです。
ですが……。

草木を掻き分け足を踏み入れると、そこはまたあの民家の庭先……。
縁側では少女がにこにこしながら私を見ています。
嫌だ、帰りたい帰りたい帰りたい!

もう無我夢中でした。
再び森の中に入り走りました。
足がもつれ転んでしまい、あちこちを打ち付けてしまいました。
けれどそれより今は少しでも遠くに行きたい、家に帰りたい。
ただそれだけを考え立ち上がりがむしゃらに走りました。

しかし……。
またもやあの庭先に足を踏み入れてしまった瞬間、私は足元から崩れ落ち、その場で蹲り泣き出してしまいました。

耳元で近寄ってくる足音が聞こえます。
あの少女だ……そう思い歯を食いしばります。

「目玉……交換しよ?」

あどけない少女の声が聞こえました。

「こ、交換したら帰してくれる……?」

嗚咽を零しながら聞き返します。

「うん、帰してあげる」

「痛くない……?」

「痛くないよ」

「うち、目が見えなくなっちゃう……」

「視えるよ」

「本当に……?」

「うん、私が飽きたら、いつか返してあげる」

「……」

もう何と言えばいいのか分からず、私は押し黙ったまま再び泣き出してしまいました。
少女はそんな私の頭に手を置き、何やら呟いています。
その時はもうとにかく帰りたいとしか考えていませんでした。
ママやパパ、妹に会いたい、ただそれだけを思い泣き続けました。

「もういいよ」

少女が言いました。
私は不意に顔を上げました。
すると。

「美味しかったああ」

目の前にあの真っ暗の少女の瞳がありました。
もう片方には、見覚えのある琥珀色の瞳。

食べられたんだ……。
余りのショックに目眩がしました。
疲労のせいもあったかもしれません。
私は暗闇に閉ざされる視界の中、そのまま意識を失ってしまいました。

暫くした時でした。

「お嬢ちゃん!」

声がしました。

薄らと目を開け見上げると、夕暮れの中、優しそうなお婆ちゃんが一人、私を心配そうに見下ろしていました。
私がゆっくりと起き上がると、お婆ちゃんはほっと胸をなで下ろした様にため息を着きました。

「どしたのこんな所で……?」

「う、うち……」

「何かあったんかい?」

私は黙ったまま頷きました。

「こっちおいで」

お婆ちゃんはそう言うと手を差し伸べてくれました。
私はその手を取り、促されるまま縁側に腰掛けました。

「どれ、婆ちゃんに話してみ?」

私は暫く黙ったままでしたが、心配そうに私の顔を覗き込むお婆ちゃんの顔を見て、ぽつりぽつりと口を開きました。
全て話終えると、何故かお婆ちゃんの顔は青ざめていました。

「鳥居さんとあっちまったんやな……」

「鳥居……さん?」

「鳥居さんはな、鳥居に止まる鳥がおるやろ?あの鳥がな……いや、嬢ちゃんには難しい話やな……どれ、家の連絡先とか分かるかい?」

「ううん……」

「そうか……なら婆ちゃんが送ってってあげよ」

「本当に!?」

「ああ……ただし、一つだけ守っとくれ」

「守る?何を?」

「森を抜けるまで目を瞑ってておくれ、絶対に開けちゃなんね……いいかい?」

「目を……?う、うん」

私は帰れると言う言葉に舞い上がってしまい、お婆ちゃんとの約束をそう深く考えませんでした。

やがて戸締りを済ませたお婆ちゃんは、懐中電灯を片手に私の手を取り、森の中へと入っていきました。

私は約束通り目を瞑り、お婆ちゃんの腕にしがみつきながら歩きました。
何も見えず歩きにくかったけど、お婆ちゃんが優しく道案内してくれました。
ですが暫く歩いていた時の事です。

「こっち……」

「えっ?」

不意に声がしました。
でもお婆ちゃんの声じゃありません。

「どした?」

お婆ちゃんが心配そうに尋ねてきました。

「声がした……」

私がそれだけ言うと。

「いいかい、絶対に目を開けちゃなんねえよ?」

語気を強めたお婆ちゃんに言われ、私は目元に力を入れ再び強く目を閉じました。
それからまた歩き進めていると。

「ここだよ……」

また声がしました。
知らない声です。
私は怖くなりお婆ちゃんの腕に必死にしがみつきました。

「うん、捕まっときな、離しちゃなんねえよ?」

「う、うん……」

震える声で言いながら頷きました。

それからも聞いた事のない声が響きました。
しかもそれは一つや二つではなく、まるで大勢に囲まれているように聞こえてきました。

私は耐え切れず泣いていました。
お婆ちゃんはそんな私の頭を優しく撫でてくれました。
それが私にとって唯一の救いに感じられ、恐怖に竦みそうな足を何とか前に踏み出す事ができました。

やがて。

「もういいよ……」

お婆ちゃんの声がし、私は目を開けました。

瞬間。

「開けるな!」

「えっ?」

隣から怒声が響き、私は固まってしまいました。

気がつくと私はお婆ちゃんに強く抱きしめられていました。

そしてぼやける視界の中で、何やらモゾモゾと蠢く黒い影を見ました。

「目瞑れ!」

お婆ちゃんが叫ぶように言います。
言われるがまま私は再び目を瞑りました。
その後の事はよく覚えていません。
お婆ちゃんは私を連れて小走りに走り、何度も転けそうになった私を支えながら進んでいったと思います。
そして気が付くと、車の走る音が聞こえ森から出れたんだと知った私はお婆ちゃんに聞きました。

「目を開けてもいい?」

「ああ……いいよ……」

何故か返事を返してくれたお婆ちゃんの声は、どこか悲しそうでした。
けれどそれより帰ってこれた事が嬉しかった私は、何度もお婆ちゃんに頭を下げお礼を言いました。

その後、私の案内で家までたどり着くと、心配していた私の両親が家から飛び出して来ました。
側にいたお婆ちゃんが迷子になっていた事を両親に説明してくれたのもあり、私はそこまで怒られる事はありませんでした。
両親はお婆ちゃんに何度も頭を下げ、私も一緒になって頭を下げました。

「ありがとうお婆ちゃん」

「気にしなさんな……あの、ちょといいかい?」

お婆ちゃんは柔和な笑みを浮かべ、私の頭を撫でながら両親に声を掛けました。

「もしこの先、この子に変な事があったら、怒らないで話を聞いてやって欲しいんだ……」

「え?どういう意味でしょうか?」

パパが首を捻りながら返事を返します。

「あ……いや、年寄りの戯言だと聞いてくれればいいさ……じゃあ私はこれで……」

お婆ちゃんはそう言うと、またあの時の様に、どこか悲しそうな顔で私を見ると、来た道を引き返し、その場を後にしました。

さて、以上が私が体験した話です。
あれから数年が経ちます。
特に何か変わった事はというと、私は今現在、両の瞳の色が違います。
歳を重ねる事にそれは如実に現れました。
眼科の先生には筋肉の縮小、または虹彩の機能が著しく低下したせいだと聞かされています。
ですが片方だけそうなるのは大変珍しい事だと言われました。
高校生になってからは親に専用のカラコンを買ってもらいました。
それ以外には特に……いえ、もう一つあります。
私が今まで体験談として語ってきた事、それが全てです。

後に一度だけ、大人になった私は妹と一緒にあの民家を探しました。
けれど見つける事はできませんでした。
あの広い庭先の様な場所にはたどり着いたのですけど、そこには大きな朱い古びた鳥居と、ボロボロの小さな御堂が、ポツンと寂しく佇んでいるだけでした……。





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