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妖し語り

  私、内藤 綾は、これまでに数多(アマタ)の怪談を語ってきた。
今日はその中で、私がとある怪異に見舞われた話をしたいと思う。

それは、とある日の夢の中で始まった。

──ゴボゴボ

と、水の中から沸き上がる水泡。
暗い暗い水の底。
ぶくぶくとシャボン玉の様な泡がいつくも浮かび上がる。
浮かんでは消えまた底から沸き上がる。
いつまでも……。

「あ……れ?」

気が付くと、そこはいつもと変わらぬベッドの上。
体だけ起こし重い瞼を擦り窓に目をやると、カーテンの隙間から眩しい日差しが差していた。

何か変な夢を見た様な……。
頭を捻るがよくは思い出せない。
ただ、ゴボゴボという水泡の音だけが耳元に残っている様な気がした。

何だったんだろう……まっ気にしたって仕方ないか。

今日も慌ただしい一日が待っている。
朗読会のイベントにYouTubeの動画編集。
やらなければならない事は山済みだ。
私はベッドから立ち上がると大きく背伸びをし洗面所へと向かった。
服やメイクを整え軽めの朝食を取る。
そして部屋を出るとそのままバス停へと向かった。
座席に座りイヤホンをすると、スマホを取り出しYouTubeを開く。
前回上げた怪談朗読のコメントに目を通し、返事を返していく。
全て終えるとお気に入りのゲーム実況の動画を開きしばしの鑑賞タイム。

だが。

──ゴポゴポ

「えっ?」

イヤホンから水泡の音が聴こえた。
思わず声を漏らした事に気が付き、周りを見回し慌てて俯いた。

動画の音?
だがやけにリアルな音だった。
動画も水らしき映像は映っていないし、実況者が面白おかしく喋っているだけ。

一体今のは……。

暫く気にはなったが、その後は特に何事も無く、停車駅に着いた私はバスを降りた。
そこから駅に向かい電車に乗りかえる。
座席に座りお気に入りの曲を再生すると、私は席に深く腰かけた。
持っていたお茶を一口含み、窓に流れる景色にそっと目をやった。
春の日差しに照らされ輝く海が、きらきらと霞んでいるように見える。
飛び立つ海鳥が海面を跳ねるようにして飛び立っていく。
それをぼおっと見つめた時だった。

──ゴポゴポ

耳元から聴こえた。
まただ。
あの水泡……。
もちろん曲に水泡の音なんか入っていない。

ふと、今朝見た夢が頭の中でフラッシュバックした。
暗い暗い水の底から沸き上がる水の泡……。
浮かんでは消えを繰り返す。
そして聴こえる水泡の音。
肌が粟立つような悪寒が襲い、私はその場で身震いしてしまった。
季節は暖かい春だというのに、手を添えた肩は僅かに震えていた。

気のせい?
そう思いたいが何か嫌な予感がする。
私は深いため息をつくと、イヤホンを外し再び車窓に流れゆく景色に目をやった。

やがて目指していた駅につき、私はモヤモヤとした気持ちのまま目的地へと向かった。

気持ちを切り替えないと……。

目的の場所は神奈川にあるイベント会場。
今度ここで久々の怪談朗読イベントを行う予定になっている。
下調べや打ち合わせなどやる事はたくさんあるため、こうして時間がある時に立ち寄っては打ち合わせをしているのだ。
余計な事を考えている暇はない。

そうこう考えている内に会場にたどり着いた私は、入館を済ませ中に足を踏み入れた。

「おっ綾ちゃん久しぶり」

「K先生、お久しぶりです」

入口で呼び止められ私はK先生に頭を下げた。
K先生は私の古い知人で、今回のイベント発案者でもある。
怪談作家でもあり、私の良き理解者でもあった。

「おや?何か顔色悪い様だけど大丈夫かい?」

「あ……はい大丈夫です!準備で忙しくてちょっと、でも元気だけが私の取り柄ですから!」

「そうか、ならいいんだが……君はほっとくと無理して詰めちゃう子だからな、きつい時は無理しないようにね。と言っても君は聞かないんだろうが」

「あはは……」

「ふふ、まあいい、じゃあ他の人も来てるから、早速打ち合わせに行こうか」

「はい先生、よろしくお願いします」

元気を出さないと……折角皆が協力してくれているんだから。

そう胸の内で呟き、私は打ち合わせの場所へと先生と向かった。

「じゃあ音響設備はこれでいいね」

会議が始まりある程度の段取りが決まった。
取り敢えず午前中に出来ることはこの位かなと、皆が席を立ち解散しかけた時だった。

──ゴポゴポ

「きゃっ!」

会議室に私の小さな悲鳴が挙がった。
何事かと周りが視線を送ってくる。

「あ、ご、ごめんなさい何でもないんです何にも」

慌てて取り繕うと、皆がほっと息をつきその場を去っていく。
私は自分を落ち着かせようと再び席に腰掛けた。

またあの水泡の音だ……。
しかもイヤホンはしていない。
一体何だと言うのか……。
これまでにも似たような不思議な事はいくつかあった。
しかしここまでしつこいとなると流石に不安が拭えない。
かといって思い当たる節はなかった。
別に心霊スポットに行っただの、曰く付きの場所に立ち入ったなど、そういった事には触れていないはずだ。

「やっぱり何か背負い込んでいるようだね」

「先生……?」

声にハッとし顔を上げると、誰もいないと思っていた会議室に先生の姿があった。

「あ、いやこれはその……」

「一人で抱え込むのは良くないよ、話してみると楽になる事もあるもんだ、騙されたと思ってこの年寄りに話してみたらどうだい?何、相談料取ろうなんて言わないからさ」

そう言って先生は私の隣に腰掛け柔和な笑みを浮かべて見せた。

「ありがとうございます先生……じ、実は……」

私は意を決し、今朝から続くこの不可解な出来事について、先生に話して聞かせる事にした。

「水泡……ねえ……」

話を聞き終えた先生は顎に手を当てしばし考え込んだ。

「聞き間違えと思いたいんですけど……さっきはイヤホンなしで耳元で聞こえたので……何かの病気ですかね……」

「病気か……ふむ、前にこんな話を聞いた事があるんだが……」

「どんな話ですか?」

「ある男がいてね、毎夜水の底にいる自分の夢を見るんだと」

「夢……ですか?」

「ああ、自分が暗い水の底にいる夢さ」

「暗い、水の底……」

不意に今朝の夢が頭の中を過ぎる。

「その夢は何日も続いたらしい」

「その人は何か水辺に関わる事でも?」

「いや、喧嘩で誤って人を殺してしまい、獄中にいるよ」

「ご、獄中?」

「はは、私のファンらしくてね、取材で面会した事があるんだ。で、そいつが言うには、「先生、夢の事が少しだけ分かったかもしれない」そう言ったんだよ」

「夢の事、理由が分かったんですか?」

「ああ、そいつのお袋さんがな、入水自殺を図ったらしいんだ。幸いそれを目撃していた人に助けられ命は取り留めたがね」

「入水自殺……」

「うん。そいつは最初自分が水の中に沈んでいる夢だと思ったそうなんだが、水泡は水底から沸いてくるんだと、「つまり自分より更に下の方から沸いてきているって事ですよね?誰か水底にいて呼んでいるのかな……」そう言ってたな……その後だよ、「お袋が入水自殺を図ったそうです」と、そいつから聞かされたのは……」

「でもその夢って……」

「だね、君が見た夢とよく似てる。だが別に君が同じ目に合うとは僕は思っていない。僕が言いたいのは、怪異ってもんは自分から足を踏み込まなくても、向こうから呼ぶ事もあるって事だ」

「向こうからですか?」

「そう、特に君のように幾つも怪談を語り聞かせてきたもんには、そう言ったお誘いがあってもおかしくないって事だ」

「お誘いって……」

思わず先生に口を尖らせて返した。

「はは、すまんすまん。何か心当たりはないかい?最近朗読した事でも何でも」

「朗読……」

先生に言われしばし考える。
朗読……水……あっ……。

あった、思い当たる節が。
思わずスマホを手に取り自分のYouTube動画を開く。

「こ、これ……」

微かに震える手でスマホの画面を先生に見せた。

「これはこれは……ここ最近の動画、水辺に関わる朗読ばかりじゃないか……」

ゴクリと喉を鳴らし、私は先生に頷き返した。

「無意識に?」

「はい……全く考えずに上げていました……これが、呼ばれているって、事なんですかね……?」

「かもな……もしそうなら君はどうする?しっぽ巻いて逃げ出すかい?」

先生がニヤリと笑みを浮かべ聞いてきた。

「私は……やめません」

「ほう」

「朗読、語り……私がなし得たい事はまだ沢山あります。そのためにも今この歩みを止める事はできません。怪異が呼ぶというのなら呼べばいい、引きずり込みたいと言うのなら手を添えて差し上げますとも、ですが私はそれすらも……語ってみせましょう……」

沈黙が流れた。
これは私の強い意思だ。
例え何であろうと、曲げる気は更々無い。

「ははは」

すると、押し黙っていた先生が急に膝を叩いて笑いだした。

「せ、先生?」

「いやあすまんすまん、まるで出雲の阿国だな綾ちゃんは……君ならそう言うと思っていたよ。何、語るも一つの供養だ、君のやりたい様にやる事が一番だよ」

「語るも供養?」

「ああ、まっそのうち分かるさ……」

「は、はあ……」

先生が言ったその一言の答えを知ったのは、それから数日が立った日の事だった。
あれからも私は怪談朗読を上げ続けた。
水場然りジャンルは問わず語り続けた。

そんなある日の事だ。
私の上げた水場に纏わる怪談動画に、見慣れぬコメントがあった。
見た限りでは初コメントの人。

そこにはただ一言、こう書かれていた。

ありがとう、と……。

それが本当にあの答えだったのかは分からない。
確かめる術などないからだ。
しかしそれ以来、あの水泡の音が、私の耳元で聴こえる事は無くなった……。





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