夏の制服、私とあの子


人を好きになるという事は、知りたいと思う心を持つ事だ。

彼女は電話越しに、「大人になったら車で樹海に行って、一緒に死のう」と言った。「フィンランドのオーロラもパリもウィーンも、私とあんたの行きたい所全部行って、それで死のう」と。
まだ脳が敏感に動き始めたばかりの、初潮さえ迎えぬ私はたまらなくなって、精一杯に、「樹海の前で靴脱いだら、私が揃えてあげるわ」と答えた。
14歳、未熟ながらに、ただ愛している、と強く思った。

希死念慮を抱いて生きている人が好きだ。矛盾に魅力を感じてしまう。人間の柔い部分は、どうしてこうも依存性を持ち合わせるのだろう。

彼女のつれない所も、同じマイナーユーチューバーを好きな所も、嫌いな食べ物が多い所も、人混みが苦手な所も、我儘でも根は生真面目で実は友達が多い所も、そんな自分が嫌いだと言う所も、全部好きだと思っていた。
彼女は、必ず私のもとに帰ってくるから。
面談室で泣く担任と、目配せしながら俯く女子生徒2人を前に吸い込んだ空気や、それを「へ〜」と流した母があまりにも虚しくて、身体が日常に溶ければ溶けるほど、生きているのが怖くなっていく。
現実への失意という閉鎖的な共通意識と、「あんたしかおらん」という言葉だけが、私の心を掴み、暖めていた。

だから私達は、特別なのだと信じたかった。
私の腕の中で、情緒不安定に泣いた日もある。半年間連絡が取れなくなることもあれば、メッセージの違和感に何も気づかない振りをして、「わたしがおるから」と強く念じた時もあった。

「あんた、なんか家族より家族みたいやな」と笑う声に、いつからか、全部を知っている、と思うようになった。私だけが、彼女の何から何までを分かっている、と。
「彼氏できてん。」と初めて言われた日、私はその男のSNSを黙って特定し、ブロックした。95km先に住む彼女の投稿に、「あんたの事泣かしたらそいつ殺すわw」と、鍵を開けてリプした。その男の目に入ることを期待して。
知りたくなかった。教えてくれなかった。でも、だって、そうだ。聞かなかったじゃないか。私は、何も聞かなかったし、どんな些細なことも聞けなかった。
彼女から流れ出る情報だけに満足して、何もかも知りたいと思えなかった。ずっと、知らないままでいたかった。

それから幾度か彼女の男は入れ替わり、私にも男性の恋人ができた。
今何をしているだろうか。どんな曲を聴くのだろうか。唐揚げにレモンは絞るだろうか。
果たして、本当に私の事を好きなのだろうか。
ちゃんと知りたいと思えた。
だけど、あの時ほど、家を飛び出し3時間電車に揺られ会いに行ったあの時ほどの感情を私は知らない。何も知らずとも全てを愛おしく思えたあの頃の私は、きっともう戻らない。
知りすぎてしまったのかもしれない。彼女のことも、それ以外も。

暖かくなると、普段着ない制服を身に着けて線路沿いを歩いた16歳のあの日を思い出す。腕を組み、揺れるアスファルト、口ずさむ私達だけの青春歌。2つのスカートの影。オーロラもベルサイユもコーラスも見れていないけれど、それでいい。ああ、さようなら。さようなら。










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