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2/5 日銀政策再考

日本の金融政策はほぼ全て緩和の歴史という様にも思えてくる。今でこそ外部要因により実感して物価が上昇してきているが、長期に亘りデフレとの戦いであった。金利を下げる、市中の資金供給を増やす、そればいずれも需要サイドに働きかけることで物価を上昇させる効果があると言われる。

日本人の国民性として散財は悪。貯蓄こそ正義。という「贅沢は敵だ」精神がある様に思われる。金利が下がることで資金を借りて家を買う、車を買うということはあっても消費にはなかなか繋がらない。贅沢するより漠然とした閉塞感・不安感にお金を貯めておこうというマインドが多い。高齢者も然り。資産はあるがそれを消費に費やすことは日本人の美徳とは異なるとも言わんが如くその資金を眠らせている。
企業も然り。賃金は上げず、株主還元も海外に比べると限定的で剰余金は増大。といった構図になっている様にも思われる。成長投資、成長戦略なくとも資金調達には困らず低収益のままでも労働者からクレームが来ることもなく、上場もできたまま生き延びることができてしまっている。
良くも悪くも上がらず下がらずで誰も困らないままにバランスが取れていたとも取れる。

デフレに対して成長戦略をと述べた白川総裁であったが、今度はインフレに対してどうしていくかという世界になる可能性の方が高そうだ。それも需要に働きかける金融政策理論で対処できるかもよく分からないコストプッシュ、サプライチェーン崩壊といったものがきっかけである。加えて一度コロナショックで労働市場から人員が退出、彼らが戻ってくるかも分からないまま経済再開したことによる労働市場のタイト化という問題も然り(これは米国特有かと思われるが全世界にそのインフレの余波が輸出されている)。

これらの本質に対して金融政策は需要縮小という手しか取れないのであればある意味日銀の他力本願とも言える緩和維持は当初は正解だったのかも知れない。他方でその影響の長さが誤算となっている状況である。インフレの波は鎖国に近い国家である日本にも及び、物価の上昇が始まっている。その中で賃金でもインフレを確認できないままに金融引き締めを行うと国民生活への打撃は計り知れないという理由で耐えに耐え忍んでいるところかも知れない。

外部要因によるインフレの波が訪れ、賃金を上げ、多少のインフレを理由づけにYCC撤廃という正常化を行うかも知れないが、それは本来日銀が求めていたインフレの形ではない。

緩和を緩め、タームプレミアムやクレジットプレミアムが正常なカーブになった時、その恩恵に享受していた企業は間違いなく打撃を受ける。借入コストが増大し、人件費上昇、物価の上昇という三重苦に耐えうる企業体力が必要となる。
インフレ耐性の低い企業は無駄なコストのカットや構造改革に迫られるのではないかと考えられる。ある意味歪んだクレジットスプレッドやタームプレミアムに享受していた企業は正当に評価されたプレミアムを支払うこととなる為、その準備を怠ることはできないと思われる。

いずれにしてもその企業の本来の財務の強靭さや生産性に目が向けられ、勝敗が明瞭になってくる可能性はあろう。

諸外国のインフレが概ね頂点に達してくるかも知れないという見立ては立ち始めている。直近の米国の雇用統計の強さはそれを腰折る形となったが、これがどこまで続くかは日銀のシナリオにも大きく作用すると思われる。

足許の言論を見ていると日銀はこれまでのYCCに対する政策評価までは余儀なくされると思われるものの、国外の状況が鎮静化、国内物価もそれに倣えばYCC撤廃せず、とはいえ多少の見直しに留まるという可能性もあるという推測も働く。
物価上昇、賃金上昇が継続する様な場合には、日銀の政策変更、かつて見られた様な成長政策への回帰というところも有り得るかもしれない。


【歴史】
1998年に日本銀行法が改名され、日銀の役割は「物価の安定」並びに「金融システムの安定」と定められた。その政策決定は製作委員会にて行われ、構成員は総裁、2名の副総裁、6名の審議委員の合計9名である。

伝統的な金融政策(リスクプレミアムとタームプレミアムの決定は飽くまで市場に委ねる)は極力無リスク、且つタームの短いもののみを売買すべきという考え方に立っていたが、現在はそうなっていない。長期の国債の売買によりタームプレミアムを歪め、社債やCPの購入によりリスクプレミアムも歪めている非伝統金融政策と呼ばれる手法にシフトして長期が経過している。

日本の非伝統的金融政策の歴史は1999年以降のマイナス金利政策まだ遡るが、それ以降の日銀政策について簡単に触れていきたいと思う。
(以下に加えてフォワードガイダンスやサプライズ政策も行われていると言われている)

ゼロ金利政策は速水総裁の元、1999年に導入され、ここで政策金利はほぼ0パーセントに近い水準となる。無担保コール翌日もの金利を0%近くに下げれば、金融機関はオーバーナイトものはほぼ無利子で資金を調達できる。これが各年限の金利を引き下げ、金融機関から企業や個人への資金供給を活発にし、市場の需要を活発にできるというものであった。また、当時日本の金融機関に対するリスクプレミアムとしてジャパンプレミアムが課せられていたが、ゼロ金利政策が日本に金融システムそのものへの安心感を担保した形となりジャパンプレミアムは消失した。

2001年には量的金融緩和の導入。政策金利の引き下げにてデフレが解消されないという状況において市中の通過量に影響を与える仕組みとして導入されたものである。金利を下げ、各金融機関が日銀当座預金に資金を大量に保有していることとなれば、否が応でも資金を市中に供給し、需要を刺激できるという考えに基づいたものである。マネーの総量が増えることで人々のインフレ期待に働きかけることができるという点や、イールドカーブ全体への押し下げ効果が働くという点が、この政策の効果として期待されたのである。
緩和効果が期待されるもののその効果は限定的であり、買い入れ対象となる資産の年限も長期化していった。

その後2005年ごろから正常化の流れが出始めていた。当時主軸にあった金融機関システムの安定というテーマは2003年のペイオフ解禁などからも推測できる様に一定程度改善されたと見做されたことも一因にある。一時は2007年にかけて2度の利上げを行ったが、その後サブプライム問題が顕在化しリーマンショックに突入していく中で再び緩和の方向に舵を切っていく。以降、社債やCPを始めとしたリスク資産の買い入れにも手を伸ばしていくことになる。

2010年からは包括的金融緩和政策と呼ばれ、操作目標を無担保コールレートに戻しつつも、国債買い入れ、リスク資産買い入れを行うところとなっていた。
白川総裁の課題認識としてデフレの本質は成長性の低さとして成長政策も取るという点で異例であった。具体的には基盤強化支援資金供給として医療分野などに対する金融機関の資金供給を後押しするなど。

当時米国のQEなどの影響もあってか日本では円高が進行し、too late, too littleなどの批判も。
2012年12月に成立した安倍政権は日銀政策に対して批判的であり、プレッシャーも与えていたとのこと。2013年1月には日銀・政府の間で「共同声明」を設定して、2%のインフレ目標を定めることとなる。

2013年4月には量的・質的金融緩和を取り入れて操作目標を再び量(マネタリーベース)に。安倍政権と日銀で約束された2%のインフレ目標は量を増やせば可能であるとした※。また、本政策は人々の予想に反する大胆な施策を講じ、人々の期待に働きかけていくということを意図していた。(大胆な量的緩和による金利の引き下げ効果というよりは期待インフレ上昇による実質金利の低下を目論んだ)
前任の成長政策については真っ向から否定した形。

※インフレ率は上向きかけたものの、結局低迷。その背景としては2014年の消費税増税や原油価格の下落と日銀は述べている。(量的・質的緩和を裏付けるリフレ派の理論では無関係と言われている為、ここには自己矛盾を孕む)

とはいえこれも効果は限定的で、2016年1月にはマイナス金利を導入し再び操作目標を金利に戻す形に。イールドカーブ全体が下押しされることで長期の金利も下がっていたことから長期投資による利鞘獲得もままならなくなったことから10年債利回りを0%付近に固定するという形で2017年9月にはYCCの導入である。YCC導入により金利を操作目標としたことで資産買い入れは柔軟性を増し、それまで80兆円とされていた資産買い入れは実際のところは減少している。飽くまで緩和は緩めないとして80兆円程度として残していたが、2021年の初め頃までは買い入れ額を減少させ、ステルステーパリングを実現しているとまで言われていた。

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