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猫と女のいる牢屋

数年前、大阪の九条に住んでいた頃、かなりの時間を近所のバーで過ごした。
バーと言ってもシャツにタイしたバーテンダーがカチャカチャやるようなのじゃなくて、近所のちょっとイカついニイちゃんが集まる男子校のようなバーだ。居心地がよく、寂しさを紛らわすのに丁度良かったのだ。

ある日、そのバーに珍しく新規の女性客がやってきた。年の頃は30前後だろうか、目力が強く、綺麗な顔をしていた。そのバーに女性がいる事が珍しかったので、みんなでその女の相手をする。
可愛い顔をしているのに中々気が強そうな子で、特に僕に対して強めだった。そのうち、客の一人の筋肉タレントみたいな見た目の北斗さんが、誰がタイプなのか順位を付けてくれと言いだした。最初に選ばれたのは僕だった。ちなみに北斗さんは最下位だったので、「僕には家で愛する妻が待っていますから」と言いながら帰った。

選んでくれたのが嬉しくなって、そこからは僕がその女の相手をした。最初は盛り上げようと頑張っていたのだが、ちょくちょく様子がおかしい事を言うのが気になり出した。食生活もヴィーガンだったり、こだわりが強く、曲げられない部分が多い印象を受けた。何より会話の節々でいちいち攻撃的な言い方をしてくる。これは面倒な子を捕まえてしまったのかもしれないと気付く。
そもそも入口は小窓があるだけでよく中が見えない上に、客も様子のおかしいなんかやってそうな輩しか座っていない。まともな女性客がひとりで入ってこられるような店構えでは無いのだ。

徐々に会話を終わらせるようにして、店長にバトンタッチしようと頑張っていたところに、イヴさんがやってきた。イヴさんというのは同い年のイタリアンのシェフで、料理は抜群に旨いのだが、その代償に他全てが欠落してしまっており、プライベートは落伍者みたいな奴だ。

その日は体良くその女を撒ける口実を探していたので、どっかに飲みに行こうと声を掛けた。
普通は店に来たばっかりだから断りそうなものだが、
「いいね!行こう行こう!」と二つ返事で返してきた。
アホだけどノリは良い。

助かったと胸を撫で下ろしながら、トイレに行って出てきたら、イヴさんがその女も次の店に誘ってしまっているでは無いか。ちゃんと事情も言っていたのに。そんなん可哀想やろとかなんとか言って寝返っている。
結局3人で次の店に梯子する事になってしまった。

なんとなく駅方向に歩きながら、次の店を色々提案するのだが、ヴィーガンだから審査が厳しくて中々決まらない。面倒くさくなったので適当な店に入る事にした。
入った店もちょくちょく行く店だったので、顔見知りが結構いた。女はイヴさんに任せて、僕は別の客と話す事にした。ようやく解放されたな、なんて思っているうちにどうやら女が帰るようだった。支払いはこっちでやるからええよ、ゆうてバイバイしようとしてたら、イヴがほざいた。
「送ったれや!遅いんやから!」
女が入り口で立ち止まってこっちを見ている。
おまえと一緒に呑んどったのになんで俺に振んねんなんて誤魔化したりしながらわちゃわちゃしていると、ピシャっと戸を閉めて出て行ってしまった。

イヴがニヤニヤしてるから腹立って取っ組み合いになる。まあじゃれ合ってるレベルのやつやけど。
内心ホッとしながらプロレスしてたら、突然ガラガラって戸が開いた。
「なにしてるん!行くで!」
帰ってなかった。
「これで帰らんかったら男ちゃうわな」
「店に迷惑掛けてんで!」
矢継ぎ早にイヴがぬかす。黙れカス!
逃げ場がなくなり、結局一緒に帰る事になってしまった。

道すがら女に説教をされる。
「あんなんされて送ってくれへんとか可哀想過ぎるやろ」
確かにそう。ごめんなさい。
「ここまできたらもう家行かせてもらうしか無いやろ」
なんでそんないきなり飛躍するのか分からないけど、とりあえず家とか知られたく無かった。
片付け出来てなくてとか10個くらい無理な言い訳言って、それだけは阻止する。
「それやったらうち来る?近いし」
これはもう腹括るしかない。変な子やけど顔は可愛いしな。
この女はヤバいと思った直感を封じ込める。

覚悟を決めて、行こう!となり、コンビニに寄る。
時間を潰すものがいると思いジャンプと酒を買う。
女も漫画を買っているが、こんな⚪︎⚪︎は嫌だみたいなタイトルの、よく分からない漫画を持っている。
コンビニで見かける度に、こんな漫画どこに需要あるんやろと思っていたが、こういう子が買って行くんだなと腑に落ちた。

コンビニのすぐ近くのコンクリート打ちっぱなしのおしゃれなマンションが彼女の住まいだった。
ええとこ住んでるなって思い、ちょっとテンション上がりつつマンションに向かって行く。
入り口に猫の缶詰が置いてあるのが見えた。猫に餌付けしてる住人がおるんやなと思いながら進んでいく。

女の部屋に着いて扉を開けた。
その瞬間強烈なアンモニア臭が鼻をつく。
ウッと眉間に皺を寄せながら部屋に入って行く。
中は10畳くらいのワンルームで、家具は無く、直置きのテレビと敷布団があるだけだった。全体的に薄汚れていて、薄暗くじめじめしていた。
それと部屋の隅に10匹くらい猫がいる。
僕は猫を飼った事が無いのでよく分からないのだが、人間にはほぼ無関心で、日々のんびり気ままに過ごしてるような生き物だと思っていた。
ところが、その猫たちはみんなこちらを警戒して、磁石に吸い寄せられる砂鉄のように奥の壁にへばりついてしまっている。

突然1匹の猫に女がものすごい勢いで近づき、首根っこを掴んでグイと持ち上げた。猫はシャーゆうてる。
「なに勝手に出てきてんねん!コラ!」
どうやらその猫はどこかから出てきてしまっていたようだ。だが、部屋には猫砂が入った檻があるだけで、それには扉すら付いていない。
どこから出てきてしまったのか聞いてみると、
「ここからや!」
ゆうて押し入れを勢いよく開けた。
暗闇の奥に無数の目が光っている。
密入国者がトラックにすし詰めになっているのをニュースとかで見た事があるけど、そんくらい猫が詰まっていた。
マンションの入り口に缶詰が置いてあったが、あれに誘われて集まってきた猫を、片っ端から攫って押し入れに押し込んでいっているのだと思った。そうじゃなければ説明がつかない数だ。

呆気に取られて立ち尽くしていると女が言う。
「喉乾いたからちゃー入れてや」
流しに洗ってあるコップがあるというので行ってみると、それらしきコップが全部上向いて置いてあった。
洗おうとすると怒鳴り声が響いた。
「洗ってあるゆうてるやろ!そのまま茶入れて持ってきたらええねん!」
言われた通り茶を入れると案の定毛が浮いている。
茶を女に渡し、自分は買ってきたビールを飲んだ。
飲みながら、来てしまった事をめちゃ後悔していた。

女がテレビでも見ようかと言ってリモコンをかざした。
テレビは黒い画面のままだった。
正確には画面の8割くらいが真っ黒で左下の一部だけかろうじて映っている。音声は聞こえるのでニュースなのは分かった。
どんな設定なのか分からないが、左下の唯一生きている部分にニュースの内容がテロップで流れていて、女がそれを読み上げている。
「大阪府警富田林署から逃走した容疑者が山口で捕まったんだって」
全部声に出して言ってくれている。画面が真っ黒な事にはどちらも少しも触れない。
怖すぎてもうずっと口が開いたままになっていた。

ベランダから外を見た。日が出ていて鳥が飛んでいる。
自分がいる空間と外の世界が果てしなく遠いような錯覚を覚えた。僕はここから出る事が出来るのだろうか。
猫達だって本当は全員逃げたいはずなのに何十匹も閉じ込められている。自分だけ逃がしてくれる保証なんて無いじゃないか。最近ミザリー見直したのも良くなかった。
急に絶望感が襲ってきた。

悲観に暮れていると、
「眠たくなったからパジャマ取って来い!」
女が強い口調で命令してくる。
指示された場所まで向かうと棚に乱雑に服が突っ込んである。パジャマっぽい上下を取り、これですかと差し出す。
「ちゃうわ!ジェラードピケのヒラヒラしたやつあったやろ!」
再度向かうとそれっぽいやつがあるのですぐ持って行く。
「ズボン脱がせてそれ履かせて!」 
恐る恐るズボンをおろして、パジャマを履かせようとしたそのタイミングで急に、
「いやんえっち」
て言ってきた。
そんなん言われても無理に決まっている。人肉を貪り食う鬼女が滴り落ちる血を舌で舐めながらこちらを見てニタリと笑うようなツンデレだ。
恐怖で青ざめ、バクバクと心臓の鼓動が聞こえた。
引き攣った愛想笑いをしたまま、そそくさとパジャマを履かせた後、誤魔化してやり過ごす為にジャンプを読む事にした。ハンターハンターを何回も繰り返し読む。
女は、なら私もと例の漫画を読み出した。ゲラゲラ大声で笑っている。もうそれすら怖い。
しばらくすると女が目を瞑っている。息を殺して10分くらい動かずに様子を見る。どうやら寝たっぽい。
今しかないと思い、物音ひとつたてずに出口に向かう。
奥の敷布団で寝ていたので、猫たちが今度は出口にあたりに集まってしまっている。
近づいてくる僕にシャーシャー威嚇しだした。
違うんよって頭で言いながら、持っていたジャンプを使って猫をそうっとどかしていく。

どうにか出口まで辿り着き、扉を開ける事が出来た。振り返って猫達を見た。みんなこっちを見ている。本当は扉を開けっぱなしにして逃がしてあげたいが、リスクが高過ぎるので諦めるしか無かった。ごめんなって思いながら静かに扉を閉めた。

外の空気は今まで息ができていなかったと錯覚してしまうくらい清々しかった。一目散に走って逃げて、家に戻ってすぐに鍵を掛けた。

そこからしばらくの間は見つかるんじゃないかと、そわそわしながら隠れて生活する事になった。
近所を血眼になって探し回っているに違いない。
山口まで逃亡した脱獄犯がそれでもあっさり捕まったのだ。外に出ればすぐに捕まってしまうだろう。

でも、何が一番キツかったかと言うと、それは僕が重めの猫アレルギーだったという事だ。しばらく目開けられへんくらい顔パンパンなったから、そもそも家から出る事が出来なくなった。


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