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「だいじょうぶ」は大丈夫? 〜言葉と言い回しのあれこれ〜

だいじょうぶ ?

 夏休みで帰省して来た小学校2年生の孫娘に、アイスクリームを食べるか聞いたら、「だいじょうぶ」と言う返事。ちょっとためらってから、もう一度聞きなおしたが、やはり「だいじょうぶ」の答えなので、食べるか食べないかどっちか答えるように聞くと、「いらない」と言うつもりだったとのことだった。

 少し前のニュースか何かで、パーティーへの出欠確認ハガキを送った友人から返事が来ないので電話すると、「だいじょうぶ」と言う返事が来たので、てっきり出席するものと思っていたら欠席だったと言うケースで、「だいじょうぶ」の使い方が変わったことを取り上げていた。

 気になるので調べると、「大丈夫」の、この新しい使い方は、少なくとも6年以上前から、ちょっとした話題になっていたことを知った。

 例えば、2016年2月15日号の朝日新聞社刊AERAの記事によれば、特に若い人で使われだした新用法で、婉曲えんきょくに否定(No)する時に使われるらしく、直接的な否定より柔らかく、相手がNoと言われて気を悪くしないための配慮を込めた表現のようだ。なるほど、若い人も大変だなと思った。

 更に、若者言葉を積極的に収載しているという明鏡国語辞典では、2010年の第二版でいち早く取り上げているらしい。編者の新潟産業大学学長の北原保雄さん(AERA取材当時)によれば、「言葉というものは絶えず変化するもの。7割以上の人が使うようになったら、辞書に収める候補にしています」と言う。私は、「7割」に入っていなかったようだ。

 元の「大丈夫」の語源は、中国の孟子(紀元前372年?〜289年?)が定説だ。大修館書店の「新漢語林 第二版」は語義の先頭に「意志のしっかりした立派な男性。ますらお。」を挙げている。「ノー」の婉曲表現としての新しい使い方は、ない。辞典の性格からしてそうだろう。

(出典:「大丈夫」の語義の由来=孟子の引用。大修館書店「新漢語林 第二版」から)

 洗濯で忙しい妻に、孫娘との会話と大丈夫の語源などについて話しかけると、あまり真面目に聞いていなかったようで、「立派な男子が少なくなってきたからではないか?」とのコメントを得た。

 その後、妻が地域ボランティアの集まりで話題にしたらしく、77歳になる女性が、「最近、『だいじょうぶ』って、断る時によく使うのよね」と言っているとのフォローがあった。

「そうなってます」

  最近大変気になっているのが、「そうなっています」で、最近もたびたび聞かされる「返答」だ。例えば、

● コロナワクチンの証明書が必要になり、
「デジタル証明は、iPhone7以降でないと出来ないのか?」
「はい、そうなっています」
●電気のアンペアを変えようと、やっと繋がったコールセンターで、散々「AI質問」に答えさせられた挙句、HPで申請しろと言われ、
「変更はHPでないとできないのか?」
「はい、そうなっています」ちょっと間を置いて、「その方が早くて簡単です」
●家電製品を買ったのその日に、電源が入らない初期不良があり、店に持って行くと、メーカーに出す方法を「伝授」され、
「買ったばかりなのに、メーカーに修理に出すのか?」
「はい、そうなっています」

 最近は何でもかんでもコールセンターばやりだが、まず繋がらない。やっと繋がったと思うと、AI音声で、いろいろな情報を番号で入力させられ、その挙句に、「ただいま電話が大変かかりにくくなっております。時間を変えて、もう一度お掛け直しください」。がっかりする。

 相手のことを考えて、聞きたいことを簡潔明瞭に特定しても、まるでマニュアル通りのような返答しか返ってこない。たまに、親切なコールセンターもあり、問題をちゃんと聞いて、解決方法をいろいろ教えてくれるところもあるが、希少だ。

 かつて行政では、「前例がない」と言う「返答」が多く、今でも残っているが、「デジタル化」の流れの中では、標準化されたサービスの枠をちょっとでも外れると、まともな対応は期待できないようだ。

 珍回答もある。量販店で探し物をしていて、やっと見つけたが、LとSはあるがMがないので、店員に聞くと、「ウチは、店にあるものしか販売していません」。在庫がなければ取り寄せ対応するのだろうと思っていたので、そう聞くと、「お客さま対応カード」と言う番号入りの紙を渡された。「聞く人」は、厄介なお客とでも言いたげで、待つのも嫌だったので、買わずに次の店に行くと、売っていた。

「普通のお酒はありません」

 東京都内の、それなりの人気がある焼き鳥店で、日本酒を頼んだ。「冷やを一合」と頼むと、冷酒のボトルが一本出てきた。注文のし方が悪かったのかと思い、「次は冷酒ではなく、冷やを頼む」と言うと、また冷酒が出てきた。|

 流石《さすが》にムッときて、問いただすと、「冷酒か熱燗しかない」と言う。改めてメニューを見ると、確かに、「冷酒と日本酒(お燗)」と書いてある。そこで、こちらもこんがらがってきて、「熱燗にする前のお酒」と「難しい」注文をすると、「それはない」と言う。「だって、お燗しなければ良い、そのままで良いんだよ。普通のお酒だよ」と言うと、「ウチは、普通のお酒はありません」。

 やりとりを見ていたらしい店長がやって来て説明してくれた。「お酒は、生ビールのような大きなステンレスの缶で入ってきて、自動燗酒器にホースで繋ぐことになっているので、燗酒と冷酒しかできないのです」。なるほど、しかし、「普通のお酒はありません」と言うのは、言い得て妙だなと変に感心した。

 言葉は意思疎通に必須の手段だ。使い方が時代で変わるのは、理解できる。ただ、追いつくのも大変で、特に元々の意味の印象が強いと、余計難しくなる。

 また、言い回しも随分変化しているように思う。特に官公庁でも民間企業でも、コールセンター系に多い。背景にあるのは、サービスの「標準化」「効率化」だろうが、利用者目線では、サービスの劣化に映ってしまう。

以上


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