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仏の像と人の手
五大明王がこちらを見下ろす。
京都、醍醐寺。
僕は御朱印集めが趣味である。
春季限定の御朱印があると聞いて、僕はこの日この寺を訪れた。
思ったより大きなお寺だった。
貞観の時代よりこの地に存在し、「醍醐天皇」の名の由来となった。さらには豊臣秀吉のゆかりもあり、平成の世には世界文化遺産に登録されたという、気の遠くなるほど歴史と縁起にあふれたお寺だ。
醍醐寺は大きく三つのエリアに分かれる。
日本最古の観音巡礼、西国三十三所の第十一番札所である准胝堂を擁する伽藍エリア。
豊臣秀吉が設計した庭園を擁する三宝院エリア。
種々の国宝を収集して展示する霊宝館エリア。
目当ての御朱印は三宝院エリアにあったが、僕はまず伽藍エリアへ足を運んだ。
西国三十三所巡礼は、大和長谷寺の開山徳道上人が生死の境をさまよった際に、閻魔大王から「三十三の観音霊場を開き、観音菩薩の慈悲の心に触れる巡礼を勧めよ」と示唆された事が起源となっている。
この時に閻魔大王から授かった三十三の宝印が御朱印の起源と言われているのだ。
すなわち恐れ多くも僕の趣味の起源とも言えるわけで、「ご挨拶」しないわけにはいかないな、と思ったのだ。
(ちなみに観音堂で御朱印を頂くのに40分かかった…。これが歴史の重みか)
三宝院でお目当ての御朱印を頂いた後、僕は霊宝館へ向かった。
五大明王とはここで出会った。
くすんだ黒い肌は歴史を感じさせるが、その眼光は未だ衰えていない。
降魔を調伏させる隆々とした肉体と法具。
不動、降三世、軍荼利、大威徳、金剛夜叉。
歴史を経てなお、矮小な僕を委縮させるに足りる迫力がそこにはあった。
寺院を巡るときにいつも思うことがある。
――いったいどうやって、このような美しい姿を造ることができるのだろうか、と。
観音堂でもそうだった。2メートル強はある本尊は実に見事な造形で、その前に立つと自然に手を合わせてしまう。
霊宝館には他にも様々な仏像が保管されている。
仏様の中には、千手観音のようなおよそ人とはかけ離れた姿をしているものがあるが、安置されている仏像はその姿さえも「自然」に映してしまう。
その中にはかの快慶の作品もあったが、およそ千年前の先祖と同じものを見、同じような感動を味わっているのかと思うと感慨深いものがあった。
人の手は、仏というものをかくも美しく造ることができるのか。
「ここに来てよかったね」
帰りの道すがら、女性二人組がそんなことを言い合っていた。
――いやほんとその通り。
この日はあいにくの雨だった。
土砂降りの中、僕は満足して帰路に就いた。
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