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大友良英著『 #学校で教えてくれない音楽 』について


これは、大友良英さんのハンドサイン教材動画を見て、興味を持ち読んだ本です。大友良英と言えば、NHKの大ブレイクした朝ドラ「あまちゃん」の音楽が鮮烈で、私もそれをきっかけで知り、その後ノイズミュージックを手掛ける音楽家だと知りました。
この本では、あまちゃんの音楽が生まれた背景やハンドサインによる新しい音楽の試みであるワークショップ「アンサンブルズ東京」などを通して、タイトルにある通り「学校で教えてくれない音楽」について書かれています。
読みながら、私も、ここで語られる「学校で教えてくれない音楽」の方が本当の音楽であると感じてきたことに気づきました。もちろん、学校で教える音楽が音楽でないということでなく、それは音楽の一側面、一部分、一領域にすぎないということです。
中でも心に響いたのは、「トロンボーン奏者藤本くん」のエピソードです。
「トロンボーン奏者の藤本くん」とはワークショップの参加者で、そのワークショップは音楽スキルの有無、障がいの有無を超えてセッションする会なのですが、中でも藤本くんは、ひときわ異彩を放つ音を出す人でした。音によって、藤本くんが来ているか来ていないかわかるくらいの個性的な素晴らしい音を出す人だったのですが、いざそのトロンボーンがすごくいいとなって、正式にトロンボーンを習い出したら、藤本くんが出していたすごい音が消えてしまったという話しです。大友さんはその時の複雑な気持ちについて「先生は本当に、あの世界に唯一の彼の個性を分かっているのかな。それを消していいのかな」と言っています。
これは音楽の話であるけれど、人生や人間の話、幸せの話でもあるように感じました。
子供の頃、バッハのオルガン曲を聴いて、雷に打たれたみたいに音楽に惹かれたのを思い出します。あれは、なんか「上手いから」惹かれたのではなかったと直感的に思います。でも、多くの大人はオルガン奏者がすごく「上手いから」感動したのだと子供の私に説明するかもしれません。でも、藤本くんの話を読んだ時、あの子供の頃のバッハの稲妻のようなオルガンの音を思い出したのだから不思議です。
あと、「音痴はいない」という話も面白かったです。これは、「うたってみる」ワークショップに招かれたテニスコーツのさやさんの言葉です。それをピックアップして大友さんが次のように展開します。
「なんか「音痴はない」って感動的です。それって「音痴の人でもOK」、みたいな単純なことじゃなくて、そもそも「音痴」って概念を持ち出す音楽のあり方への、根本的な疑問というか。
もっと言っちゃえば、そういう音楽だけが存在してきたかのように見える、今の社会への革命というか……、オレがこの本で伝えたいなってあれやこれや思ってたことを、たった一言で言い表している。しかも、僕自身のコンプレックスも、笑いながら吹っ飛ぶような、素敵な言葉だなって思いました。」pp.71-72
大友さん自身が学校の音楽の授業が嫌いで、コンプレックスを植え付けられた体験からこの本が書かれていて、様々な革新的なミュージシャンとの対話を通して、音楽の根源にある、音楽の核心にどんどん近づいていくようなドキドキワクワクがありました。
「歌う」って、本当は自然発生的な心地よいことなのに、いつの間にか多くの人がコンプレックスの犠牲になってしまっていることが浮き彫りになります。これは、以前、私が仕事で素話(すばなし)についての講演会で聞いた話とも重なります。かつて、日本では日常の中に歌が溢れていて、老若男女がみな働きながら日常的に歌っていて、音痴という概念などなかったのだと講師の先生は言っていました。
やっぱり、こういうことは、音楽の話であると同時に、人間とか人生とか幸せの話でもあると感じます。
本の終わりの方で、海外では、(即興的な)音楽をやっている人達は社会的にも最もオープンで開かれた考え方をしており、「社会そのものを変えていく原動力」にもなっている。音楽の最先端と社会の最先端がストレートに結びついているようだと書かれていることもまたとても印象に残りました。

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