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ボロ雑巾な伯爵夫人、やっと『家族』を手に入れました。〜世間知らずの夢の成就は、屋敷ではなく平民街で〜 第二話

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 多少のお金はあるにしても、この街の事などまったく知らない。
 思えば嫁いで来て以降、仕事で忙しかったザイスドート様から「一緒に街に降りよう」と言われた事はなかったし、私自身も特に街に対して興味を抱いた事が無かった。
 その程度の私だから、当然どこに行けば食べ物が買えるのかも知らない。結局二人に案内されるままにお店に入り、彼らが欲しいという物を三人分購入した。

 そうして連れて来られたのは、一軒の家。
 苦心して、重いドレスの水を絞ってから私が中へと入ると、中はほぼ全てが見渡されてしまうくらいの広さしかなかった。
 隙間風は吹き込むし、薪がパチパチと爆ぜる音にまじって雨漏りの下に置いた器を上から水がピチョンと打つ音がするけれど、それさえ許容すれば雨ざらしになる事はない。
 
 私はもちろんのことどうやら彼らにも着替えの服は無いらしく、濡れネズミのまま髪を拭く事もなく、二人は早々に温かな火の側へと座り、紙袋の中を漁って買ってきた丸い包みを取り出している。

 両手で包み込めるほどの大きさの包みを、まずノインが一つ取り、ディーダも一つ取って、すぐ近くの床にポスッと置いた。
 玄関からそれらをボーッと見ていると、暖炉の火だけしか光源の無い薄暗い室内の中で、ディーダが私を振り返る。

「んっ!」

 顎でしゃくるのは「こちらに来い」という意味だろうか。再び袋を、今よりも少し私に近い位置に置き直した彼に従って、恐る恐る部屋へと入る。
 
 暖炉にかなり近づいて、その温かさに思わずため息が漏れた。
 二人とも、入ってきた私に怒りはしなかった。少し安堵して、私も袋の中へと手を入れる。
 触れたものは、温かな熱を帯びていた。カサリと包みを開けてみると飾りっけのない薄茶色の部分が出てくる。球体状だ。まん丸ではなく、所々凸凹とした武骨な印象の野菜である。
 
 ふかしジャガイモ。

 看板に書かれていた文字を思い出して、なるほどと思う。
 しかし一体どうしたら。
 今まで私はジャガイモは、どれも一口大に切ったものをスプーンやフォークで食べた事しかない。それは、レイチェルさんに「役立たずの貴方が貴族の食事を取るのは勿体ない」と言われ、食事に関する制限が増えて以降も変わらなかった。

 こんな口よりずいぶんと大きな状態で、食器もなしに、どうやって食べるのが正解なのか。思わず眉尻を下げてしまう。
 パンのように、一口大に手でちぎって食べればいいのだろうか。しかし薄皮に包まれた表面からは湯気が立ち上っている。皮の中はもっと熱そうだ。
 
 一人途方に暮れていると、目の端にちょうどノインが入った。
 彼はまず、ジャガイモに両手の親指を突き立てた。真ん中から、ジャガイモがパカッと二つに割れて、その間から湯気が逃げていく。
 その断面に、彼はフーフーと息を吹きかけた。そうして少し湯気の出がマシになったところで、豪快にパクッと食いついた。

 なるほど、あぁして食べるものなのか。
 半ば感心しつつ、私も真似してみる事にする。しかし領の親指を突き立てた所で、何やら横からハフハフという荒い息遣いが聞こえた。

「ちょっとディーダ、だから毎回言ってるじゃん。そうじゃなくても猫舌なんだから、熱いものを食べる時はどれだけお腹が減ってても、かぶりつかない方が良いって」

 見れば、口を開けて必死に息をしている涙目のディーダがそこに居た。
 ノインが呆れ声を出すが、口の中の対処に精一杯ですぐには言葉が出てこない。

「……はー、死ぬかと思った」
「じゃぁ冷ましなよ」
「あ? お前みたいに一回割ってから食えってか? そんな面倒な事やってる暇があったら口に入れた方が早ぇだろ! そもそも熱いものにありつける事なんて滅多にあることじゃねぇんだから、普段は大して困ったりしねぇよ!」

 どうにか咀嚼したディーダの語気が荒い言い訳は、下手をすれば八つ当たりだ。
 が、ノインは慣れているのだろう。特に気にした様子もなく、むしろバカにするようにフッと笑う。

「何言ってんの。現に今、かなり困ってたじゃん。泣きながら言われても説得力ないよ」
「うっせぇ、泣いてなんかないわっ!」

 言いながら目元をごしごしと擦っている時点で、最早強がりでしかない。しかしノインは興味を無くしたのか、それ以上の追撃はせず「ふぅん? まぁ別に、好きに食べたらいいけどさ」と会話を投げて自分のジャガイモに向き合う。

 あぁはならないように気を付けよう。
 ディーダの失敗を教訓に、私はちゃんとジャガイモをきちんと真ん中から割って、息を吹きかけ、思い切ってパクついた。

 冷えていた体に、程よい温かさがとても優しい。
 咀嚼すれば簡単に口内で砕けたそれは、おそらく調味料の類を使っていないのだろう。仄かな甘みの優しい味だった。

「……おいしい」

 ホッと息を吐くかのような小さな感想が口から洩れた。
 ディーダがフンッと鼻を鳴らし、ちょっと馬鹿にするように言う。

「大袈裟だな、お前。こんなの普通のジャガイモだろ」

 そう言うわりには、彼の手元には既に元の半分以下になったジャガイモがある。
 まるで説得力がない。彼の子供らしさを見て、思わずフフフッと笑ってしまうと、おそらくバカにされたと思ったのだろう。カッと頭に血を昇らせて、叫ぶように言い訳を重ねる。

「べっ、別にこれは、単に腹が減ってただけで!」
「あー、まぁ確かにさっきの腹の音、かなりすごかったもんね」
「うるせぇノイン、黙ってろ!」

 吠えたディーダに、ノインが楽しげな笑い声で答えた。

 きっと普段からこんな感じなのだろうな。彼らの仲良しな日常が透けて見えるようだな、と思った。
 二人とも同年代に見えるけれど、年子の兄弟か何かだろうか。いや、見た目にはあまり似ていないから、もしかして。

「お二人は、ご親戚か何かなのですか?」
「あぁ? 何でそんな話になるんだよ」
「何というか、雰囲気的にそうなのかな、と」

 私のそんな言及に、ディーダの眉間に皺が寄る。

「あぁ? こんなのと血が繋がってるわけないだろ」
「そうなのですか?」
「ボクもこんなガサツなのと同類だって言われてるみたいでやだなー」
「あぁ? 何だとっ?!」
「それだよそれ」

 ノインが言いながらジャガイモをかじる。

「っていうか、ただ寄せ集まってるだけだろうが。血なんて繋がってねぇよ。貧民同士じゃ一緒に住んでても普通はそうだろ」
「そうなのですか」
「何でそんな事も知らねぇんだよ」
「えぇと、それは……」

 まさか「貧民に、今日初めて会いました」とは言えない。
 実家の領地では、孤児院はあっても『貧民』は見た事が無かったし、この領地に嫁いで以降は、『そう呼ばれている人たちが居る』という事こそ知っていたけれど、進んで知ろうとはしなかった。

 その事が少し、後ろめたい。
 そう思う自分も申し訳なくて、思わず口を噤んでしまう。

「そういえばアンタ、さっきも随分と常識外れな事をしてたね。お陰でディーダの慌てようったら……フッ」
「ノインてめぇ笑うなよ! 大体あれはこの女が、ジャガイモ三つ如きに大金貨を5枚も出すからだろうが!」

 あんなの誰でも驚くわ、と吠えるディーダは私の内心になどきっと気付いていないのだろう。

「チッ、あんなに金があるなら、もっと良いもん強請《ねだ》るんだったぜ」

 そんな事をぼそっと言いながら、ディーダは最後の一口を口に放り込んだ。
 いじけたようなその物言いが、年相応を思わせる。

 私もジャガイモを食べながら、気が付けばまた微笑を浮かべていた。そんな自分に気が付いて、何だか不思議な気分になる。

 ――いつぶりだろうか。笑ったのは。

 日々の忙しさが、旦那様には相手にされず、息子にも第二夫人にも邪険にされる日々が、最後に笑った日を私に思い出せなくさせていた。
 だからこそ、こうして全てを失った今、笑えている自分がひどく奇妙だ。

 失ったのに笑えているのは、きっと彼らのお陰なのだろうな。そう思いながら二人を盗み見る。

 彼らがこうして一緒にご飯を食べてくれなければ、そもそもあの場で出会えていなければ、私はきっと今も尚、すべてを失い行くあてもなく、一体どうしていただろう。

 まだ外では雨がザーザーと降っている。温かな火の前でこうして雨宿りをさせてもらえる幸運を噛み締めるように目を伏せた。

 この場所はひどく心地よい。
 埃っぽいし、雨漏りもしている。隙間風だって吹いているけれど、ここはとても温かい。

 ――ここに、居たいな。

 心の中に生じた願いが、ポロリと口に出なくてよかった。

 彼らの中に入れてもらえるだなんて、そんなのは高望み過ぎる。
 彼らは単に、惨めな私に同情をしてくれただけだ。そう自覚していなければ、傷付くのは私自身だ。

 ザイスドート様に棄てられた痛みさえまだ忘れられていないこの心で、もしまた何かに失望したら。せっかく私を助けてくれた彼らに、要らぬ濡れ衣を着せたくはない。

 体と共に、心も雨宿りさせてもらった。だからもうこれで十分だ。
 彼らのような子供達が《《こういう日常》》を普通に生きているのだとしたら、大人の私が「できない」なんて、弱音は吐けないだろう。

 もう誰にも必要とされてはいない私だけど、出来る範囲で生きていこう。身を寄せる場所もないけれど、それでもどうにか、私なりに。

 そうと決まれば、早々にここを出なくては。
 まだ婚姻契約が有効である以上、伯爵家との縁は切れていない。もし万が一私の身に何かがあった時、彼らに迷惑をかけてしまうかもしれない。

 親切にしてくれた彼らだから、私の突然の提案を受け入れてくれた優しい彼らだから、余計な事に巻き込みたくない。
 だから食べたら、素性が知れる前に早く。
 そう思うのに、何故だろう。瞼が重い。上がってくれない。

 手のひらの、食べかけのジャガイモの熱がポカポカと温かい。パチパチ、ピチョンピチョンという音が、耳にとても心地よい。
 多分たくさん歩いたから、疲れてしまったのだろう。まるで体に掛かる重力が倍になったかのように重たくて、床に沈むような感覚を抱く。

 意識がゆっくり落ちていく。

「ねぇ良いの? なんか寝ちゃいそうなんだけど」
「はぁ……まぁしょうがねぇだろ。今日の宿代代わりは貰ったし、外で寝たら間違いなく朝には金を盗まれてるぞコイツ。なら置いといて、また恩返しにせびれば俺達は明日も飯が食える」
「確かに合理的だけど、本気で言ってないでしょソレ」
「うっせぇよ」

 どうしても抗う事の出来ない睡魔の端で、そんな二人の話し声が聞こえた気がした。

【各話リンク先】
第一話:https://note.com/rich_curlew460/n/n02b3af7df971
第二話:https://note.com/rich_curlew460/n/nc5a6a501aa1c(←Now!!)
第三話:https://note.com/rich_curlew460/n/nf657217e33a7
第四話:https://note.com/rich_curlew460/n/n0bcd36a46767
第五話:https://note.com/rich_curlew460/n/n76ef05998ecb
第六話:https://note.com/rich_curlew460/n/n1da0c89af729
第七話:https://note.com/rich_curlew460/n/nd2f55ce8792d


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