いじめられっ子からの転生

こんにちはワイマニです。

今日からの3連休は、実家の長崎に帰っています。
もうなんて言うか、実家飯が美味しすぎて減量一旦ストップですね。
実家で減量を成功させている人がいたら、本当に尊敬します。
私は間違いなく無理ですね、、、。


明日、地元の大親友と久しぶりに会います。
今日はこの大親友と私の出会い方が少し変わっていましたので、それを思い出しながら、ブログに残したいと思います。

この記事を残すことで、特に何かを主張したいわけでは無いのですが、久々に長崎の空気を吸ってみて、久しぶりに幼少期の懐かしい記憶が戻って来たので、書き残すことにしました。

もちろん、トレーニングの話題は今日も一切出て来ませんので、その期待がある人はごめんなさい。
次回あたり、ちゃんとしたボディメイクに関する記事を書きますね。


では、いきます。


私は名前がとても特徴的で変わってるんですよね。

実は私の祖父と、その祖父も同じ名前なので私で3代目になります。
つまり初代の私と同じ名前の方は、江戸時代の方なんですよね。

恐らく私と同じ名前は、現代の日本には誰もいないと思います。
それほど変わった名前なんですが、この名前が原因で、幼少期はよくいじめられていました。


当時
私がいた学校では、週1回のペースで必ず全校集会が行われていたんですが、何故かそこで全児童の名前をフルネームで点呼するという風習がありました。

私はその集会がとにかく大嫌いでした。
集会で名前が呼ばれると、周りの児童達が一斉に大爆笑を始めるのです。
子供って残酷ですよね。
私は自分の名前が呼ばれる瞬間が毎回憂鬱で、何故こんな名前にしたんだと両親を恨んだこともありました。

そして中学に入ってからも、イジメられる習慣は変わりませんでした。
親が作ってくれた弁当に、牛乳を入れて振られるなど、今考えると子供のイジメは本当に残酷なもんだなと思います。
と、こんな感じで中学1年までは、大変辛い毎日を送っていました。


しかしそんな私にも、中学校2年生のクラス替えの時に、大きな転機が訪れるのでした。
これ以降は漫画みたいな話になるのですが、全て実話です。


中学2年生になり、クラス替えが行われました。
私の後ろの席は学校一のヤンキー。

彼は毎日学校の誰かと喧嘩をしまくってるような荒い性格の人物でした。
私はいじめられっ子のヲタク系男子。

クラス替えが終わった瞬間、もう俺の人生は詰んだと思いました。
なんてヒキが弱いんだろう。
同じ学年に300人は生徒がいるのに、よりによってこのヤンキーの前の席になるなんて、、、。
と思っていました。

ある日の休憩時間のことです。
いつも通り、私は名前のことでイジメを受けていました。
バカにしてきた同級生に囲まれて、私が下を向いていた時のこと、学校1の金髪ヤンキーが近寄ってきてこう言いました。

『おい、お前の名前は○○○って言うのか?』
と、本名と少し違う、むしろ半ばバカにされたような呼び方でした。
私は怖さと悔しさで、泣いてしまったんですよね。

当時は剣道をやっていましたから、体は大きい方でしたが、今までのいじめられた経験から、このヤンキーがいじめに加わることにより、さらに酷いいじめになるんだろうなと予想していました。

そんなある日、私は両親に向かって、泣きながら話をしました。
『何故俺にこんな名前を付けたのか?お陰で学校でいじめられてバカにされるし、耐えられない。酷すぎるよ。』

すると父親が私にこう言いました。
『おい。お前のその名前をバカにする奴がいたら、全員殴ってこい。そして、それで学校の先生に呼ばれたら、俺が学校に行って話をつけてやる。だからやってこい。お前は何のために剣道で心と体を鍛えてるんだ。』
その時の父の目つきは、今までにないような目つきでした。

父親からどんな気持ちでこの名前を付けたのかなど決意の話も1時間ほど聞き、私は覚悟を決めました。
次に私の名前をバカにしてくる人がいたら有無を言わせずに殴るつもりでいました。

当時私は剣道を7~8年していましたし、体つきは小さい方ではなかったので、殴り合うことに対しては、不思議と自信がありました。

そして翌日、そのヤンキーがいつも通り私の肩に腕を乗せてきて『おい○○○、、、、!
ん?お前なんやその目つき、、、、。
反抗的と言うか、良い目つきしとるな。なるほど分かった。お前もそんな目ができるんやな。よっしゃ!○○○の覚悟は分かったわ。お前と俺は今日から親友だ。分かったか。何があっても俺はお前を助けるし、お前も俺に何かあったら助けろよ。』
こんな感じだったと思います。
よく分からないのですが、私の覚悟が目つきに現れてたんでしょうかね。

その日から、私の学生生活は一変します。
私はヤンキーグループの仲間入りをしてしまいました。
いじめられっ子が、その日から打って変わってヤンキーになるわけですw
もう漫画みたいですよね。

元々ヤンキーグループの人達は、私のいじめには加担していない人ばかりでした。
女性と喧嘩以外のことは、興味なさそうな連中ばかり。
当時流行っていた違反学制服をそのヤンキー達から譲り受け、自分もその服を着て歩きました。
周りの仲間はヤンキーでガラの悪い連中ばかりでしたから、最初のうちは怖かったんですが、人間は環境の産物とよく言ったもので、すぐにその環境に慣れていきました。

しかし今考えても面白いのが、このメンバーは大人になってから、全員それなりの地位に着いて活躍しているんですよね。
大学の教授や、不動産会社の社長や、食品関係の経営者など、職種は様々ですが、会社の経営者やそれなりの役職を担っています。
学生時代は喧嘩三昧の血の気が多い連中が、大人になったらネクタイを締めて真面目にしてるなんて、なんだか面白いですよね。

今でもこのメンバーと3年に一度くらいのペースで会っています。
3年ですから、お互いに色んなことがありますよね。
それぞれ家庭がありますし、幸せなことや大変なことが、それぞれの人生で起きるわけです。
しかし、会うと一瞬で学生時代に戻れるんですよ。
まるで昨日まで一緒に遊んでたかのようなあの不思議な感覚に戻るんです。
この感覚は5年経とうが、10年経とうがきっと変わらないんでしょうね。

学生時代、お互いに何の忖度感情もない時期に、青春時代を切磋琢磨しながら過ごした思い出は、何事にも変え難い信頼を養えていたんだと思います。


私はいつも思うのですが、人付き合いは時間の長さではなく、密度が大切だと思っています。
大人になってから、新たに信頼感を得れるような人と出会うのは、確かに難しいかもしれません。
しかし、いつどのような形で出会えるか分からないのですから、その門は狭くせずに広くしておきたいですよね。
そうすることで、きっと色んな経験が増し、人として大いに成長するんだと思います。

久しぶりに長崎の空気を吸って、学生時代を思い出したので、こんな記事を書きました。
あいつらに明日会えるのが、めちゃくちゃ楽しみです。

今日は特に話題も無くて、皆さんにとって有益な情報は一つもありませんでした。
思い出話ばかりでごめんなさいw

今日のブログは以上になります。

いつも読んで頂き、ありがとうございます。
急に寒くなってきたので、体調管理には気を付けて下さいね。
それでは。

ワイマニ

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