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支援活動に参加して:令和6年能登半島地震災害からの復興はまだまだこれから!!

ボランティア活動:令和6年能登半島地震での支援活動に参加して
8月16日の深夜10時に神戸を出発し、一路能登半島の珠洲へ向かいました。
四人で交代して運転して朝方5時頃に珠洲市に到着。
街並みを見て、最初に「…」、絶句状態でした。
最近の報道では、オリンピック、米国大統領選の状況、高校野球などが中心で「災害支援活動」「復興状況」などはほとんど扱われていないのですね。

そのまま、、、

実際は手付かず状態のところが大半であり、もちろん、更地や住居の補修をされたところもあるでしょうが、人が少なかったというのが現実でした。

路地

このお祭りで、少しでも笑顔を届けたい、喜んでもらいたい、みんなと頑張ろう、と勇み心を奮い立たせました!

市内のあちらこちらでこのポスターがありました!

私は、普段の三倍四倍の笑顔で接しました。

わくわく広場での夏祭り:屋台
焼きそばは常に長蛇の列でした!


焼きそば人気!!


かき氷


ある人が言ってくれました。
「あのな、2000年に一度の地震にあってな、皆心が折れてるんや。子供たちもそうや。楽しみがないんですわ。けど、ほんま、来てくれてありがとう。子供たちも楽しんでる。続けてや、あんたら、また来てな!」
と年配の方がおっしゃられました。心の中では(何回でも来ますから、頑張りましょう!)としか言えませんでした。

二日目の会場は目の前が全壊した家屋があるところでした。仮設住宅がある小学校の入り口で行いました。

二日目の会場;宝立小・中学校

子供たちはすくなかったのですが、全力で遊んでくれました!

スーパーボールすくい
子供や女性にも大人気の射的!(1日目のわくわく広場にて)

自分の支援活動のきっかけ:


1995年1月17日、阪神淡路の震災では親の実家が被災しました。翌18日に現地入りし、少しだけ救援活動に参加しました。横倒しになった巨大な阪神高速の橋桁を見た時、正直、体が凍りつきました。


横倒しになった阪神高速3号線

けっぱれ!

けっぱれ!頑張れ!けっぱりましょう!!



それから29年。来年で30年が経ちます。

コロンビアでは、軍隊とゲリラ、麻薬などで多くの若者が命を落としますが、日本では自然災害で多くの方が一瞬にして色々なものを失います。


諦めず、少しずつでもいい、復興のお手伝いを続けたいと切に願っています。

この海が明るく、青く、早く元気になりますように!

珠洲の皆さん!能登半島の皆さん!前を見ながら一緒に進んでいきましょう!
これぐらいしか言えませんが、、、時間を作り支援し続けます!

最後まで読んでいただきありがとうございます!

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