もとき理川【フランス編】

フリーのイラストレーター。ここでは大好きなフランスとの関わりや旅の思い出をのんびり綴っ…

もとき理川【フランス編】

フリーのイラストレーター。ここでは大好きなフランスとの関わりや旅の思い出をのんびり綴ってまいります。 https://www.motoqui.com/ 日々のどうでもいい事どもを綴った別アカもぜひ! https://note.com/motoqui_diary/

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  • フランスと私 第二章「最初のフランス」

    1994年12月。 初めてのフランス旅の記録。

  • フランスと私 第一章「出会い」

    フランスとまったく接点のない離島に生まれ育つも、なぜか人生の所々で出くわす小さなきっかけに導かれるまま、気がつけばいつしかフランス好きに。

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フランスと私 第二章 「最初のフランス」

フランスと縁があるはずなどない九州の離島で生まれ育ったにも関わらず、人生のところどころでフレンチ・カルチャーにひょんなきっかけで出くわし、30歳目前にしてこれまたひょんなきっかけでフランスへ旅することと相成った私。 ここまでのいきさつは、第一章「出会い」を: https://note.com/rica_motoqui/m/m98089bac0884 さて、初めてのフランス。 準備の段階から分からないことだらけで、ドキドキを楽しむ余裕もなかった。これまでの人生経験とありった

    • 第2章_#11 オルレアン旅 [1] 「本当の」クレープを食する

      1994年12月、初パリ旅行。 今日からパリを離れ、2泊3日でロワール地方のオルレアンを旅行中。 前回の記事は、パリ・オステルリッツ駅からの珍道中の末、オルレアン駅に迎えに来てくれた先生と会えたところで終わった。 最初に説明しておくが、私とB子さんの仏語能力はおそらく幼稚園児以下のレベル。先生の日本語は、ガールフレンドが日本人ということもあり、我々の仏語よりマシとはいえ、カタコトの域を脱してはいない。どうしても厳しい時は、先生は流暢な英語を発動するが、我々は英語もこれまた

      • 第2章_#10 いざ、オルレアンへ!!

        1994年12月、初パリ。 さて、今日から2泊3日で小旅行に出かける。 オルレアン(Orléans)というところへ行くのだ。 もともと今回の旅は、東京・飯田橋の東京日仏学院(現 アンスティチュ・フランセ東京)の授業をとっていた時の先生が「冬季休暇で里帰りをするから、それに合わせて誰か遊びに来ないか?」という呼びかけがきっかけで実現した旅。 オルレアンの駅には先生が迎えにきてくれることになっていて、ホテルも先生が手配してくれている。現地では車であちこち案内してくれるという恵

        • 第2章_#09_マリアージュ・フレールの紅茶と、再びの中華レストラン

          1994年12月、初パリ。 さて、パリ暮らしにすっかり馴染んでいるE子さんのお住まいにお招きいただき、私とB子さんはサンジェルマンデプレの裏手にあるアパルトマンへいそいそとお邪魔した。 あまりに昔のことなので、細かいことはまったく覚えておらず、写真もないが、シンプルな家具でスッキリと暮らしておられた記憶だけはある。よく女性誌などの写真で見かける「これだけの家具でどうやって暮らせるのか?」と思ってしまう、あの感じ。ほんとに暮らせるものなんだと妙に納得した。 聞けば、独り暮

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        フランスと私 第二章 「最初のフランス」

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        • フランスと私 第二章「最初のフランス」
          12本
        • フランスと私 第一章「出会い」
          9本

        記事

          第2章_#08_ドゥ・マゴとサンジェルマンのビストロのオニオングラタンスープ

          1994年12月。初めてのパリ。滞在3日目。午後。 私とB子さんは、サンジェルマン大通りを歩いている。 その前に、 B子さんの風邪は、やはり奇跡は起こらず、翌朝になって劇的に完治することはなかった。しかしながら幸い重症化もしておらず、咳と鼻水は出るものの普通に活動はできる低空飛行レベルにとどまっている。 おそらく私が日本から持ってきた抗生物質のおかげであろう。(しつこい。) その抗生物質はなぜかB子さんがパッケージごとあたかも私物のようにキープしており、昨夜も1錠ポイ

          第2章_#08_ドゥ・マゴとサンジェルマンのビストロのオニオングラタンスープ

          第2章_#07_パリのマクドナルド〜初人種差別〜セーヌ河クルーズ〜安物のブーツと抗生物質

          1994年12月。初めてのパリ。初日。 オルセー美術館で午前中から午後を過ごし、パリに留学中の2人の友人との待ち合わせ場所に向かう。マクドナルド、シャンゼリゼ通り店。そう、あのマクドナルドだ。 パリまで来てマクドナルド?まぁ確かにそうだが、分かりづらい場所で待ち合わせて巡り会えないと困るから、こういうベタな所がいいのだ。だって、当時は誰も携帯電話なんか持ってなかった。待ち合わせに失敗して永久に会えなかったとしても不思議ではなかった時代だ。 パリのマクドナルドは、黒を基調

          第2章_#07_パリのマクドナルド〜初人種差別〜セーヌ河クルーズ〜安物のブーツと抗生物質

          第2章_#06_オルセー美術館とムッシュー・ツジ

          1994年、初パリ。初日。 朝9時くらいになってようやく周囲が明るくなってくる。 この日は夕方に、パリに短期留学中の友だち2人とひさびさに会う約束をしていた。B子さんと私の共通の友人だ。 「夕方まで何をしましょうか?」 初パリだもの、行きたい場所は山ほどある。が、パリはもう何回目か覚えてないくらいに旅慣れたB子さんは恐らくほとんどのスポットを制覇しているはず。初日から別行動はちょっとプレッシャーだから一緒に行動したい。となればB子さんの希望に合わせるのが一番いいと思われ

          第2章_#06_オルセー美術館とムッシュー・ツジ

          第2章_#05_パリの朝は真夜中?

          さて、1994年の初パリ。 出国から数えて24時間以上寝ていないので到着日の夜は崩れるように就寝。しかしながら、体内時計はまだ日本なのか、夜中に何度も目を覚まし、ようやく寝入ったかと思った頃にもう朝7時のアラームが鳴る。 一人旅なら二度寝するところだがそうもいかぬ。 先に洗面所を使った方がいいだろうな。頭ボンヤリしたまま身体を起こす。 パリの朝。もうそれだけで感慨深い。 さあ、まずは朝日を浴びようと分厚いカーテンを開けた。 が、暗い。 なんと外はまだ真っ暗。星がキラキ

          第2章_#05_パリの朝は真夜中?

          第2章_#04_パリなのに中華(1軒目)

          さて、1994年パリ。ぎゅうぎゅうの地下鉄をオデオン駅で下車して、旅の先輩・B子さんの定宿『GRAND HOTEL DES BALCONS』にチェックイン。 GRANDって言うから巨大ホテルを想像しそうだが、二つ星の簡素なホテルである。生まれて初めてのパリのホテルの第一印象は「古くて地味」(笑)。 まぁ、幾度か訪れるうちにそれが味なんだと気づき、慣れてくると今度は日本のホテルの真っ白でツルンと無機質な感じが落ち着かなくなるから不思議。 ホテルについてはこの先でもう一回お話し

          第2章_#04_パリなのに中華(1軒目)

          第2章_#03_パリはラッシュアワー

          さて、1994年12月、パリ、シャルル・ド・ゴール空港に到着。 まずは空港からRER線(郊外とパリ市内を結ぶ鉄道網)に乗ってパリを目指す。初海外の私、旅慣れたB子さんに100%依存の旅だったので、正直、旅の細かいことは何も憶えていない。この時もRERのB線に乗ってどこで乗り換えたのか思い出せない。最終目的地がメトロ4番線のオデオン駅だったので、乗り換えは恐らく、北駅かシャトレ・レアール駅ではないかと想像している。かすかに記憶の片隅にあるのは、RERの改札を出られなかったか、

          第2章_#03_パリはラッシュアワー

          第2章_#02_胸いっぱい腹いっぱいの国際線

          さて、1994年12月某日。旅慣れたキャリアウーマンB子さんと共に、機上の人となる。12時間後にはパリだなんて、まだ信じられない。 九州出身なので飛行機には数え切れないほど乗ってきたが、12時間もの長時間のフライトはもちろん初めて。1日の半分だ。一体どうやって過ごすのかイメージできない。とりあえずコートを脱いで頭上の物入れに仕舞い、飛行中に使う身の回りのものや本などを座席ポケットに入れるが、ポケットは小さいのですぐにパンパンになった。なるほど、噂には聞いていたがエコノミーク

          第2章_#02_胸いっぱい腹いっぱいの国際線

          第2章_#01_初めての旅支度

          初の海外旅行。パスポートの申請から始まって準備段階から初めてのことばかり。外貨への両替もわくわく初体験。当時はまだユーロではなくフランスフラン(以後FF)。描こうと思い立つも今となっては手元にFF札など1枚もないから、ネットで画像検索して描いた。50FF札(¥1000位)肖像は「星の王子さま」の作者サン=テグジュペリ、100FF(¥2000位)肖像は画家のセザンヌ、200FF(¥4000位)肖像はエッフェル塔を設計したエッフェル、500FF(¥10000位)肖像はラジウムを発

          第2章_#01_初めての旅支度

          第1章_#08_きっかけはいつも何気ない

          さて、無期延期となったフランスへ絵の勉強をしに行く夢。 その後、結婚したり、会社の仕事も副業のイラストも忙しくなったりで、しばらく忘れていたが、ひと段落つくと思い出してしまう。ため息をつきながら、あ〜、フランス、行きたかったな~とウジウジ思い悩む日々。 日仏学院の早朝初級クラスはどうにか続いてはいたが、動詞の活用や時制はややこしくなるし、冠詞は今ひとつピンとこないし、覚える単語も増えて、なんとなく追いついてない感じ。 もうフランス語もやめちゃおうかな……フランスに行く当ても

          第1章_#08_きっかけはいつも何気ない

          第1章_#07_飯田橋のフランスと潰えそうな夢

          さて、続き。お茶の水のアテネ・フランセで入門科を終えた。入門科はABCから基礎的な文法までで終わるクラス。赤ん坊が3歳児になった程度のことだから、次の初級クラスからが本当のスタートである。なのに、アテネ・フランセには初級以上の早朝クラスがない。残業が多いから夜のクラスは無理だ。困っていたら、クラスの事情通に、飯田橋の学校に早朝クラスがあると教わった。おお、それは朗報。 その学校は、日仏学院(現 アンスティチュ・フランセ東京)。上の絵は、日仏学院の敷地内にある書店の外観。フラ

          第1章_#07_飯田橋のフランスと潰えそうな夢

          第1章_#06_お茶の水でフランス語を始める

          さて、引きこもってフランス映画ばかりを見ていた派遣事務員時代の20代半ば。そんな暮らしにもそろそろ飽きてきた頃、知人の紹介で、通訳の会社に正社員として就職をする。もちろん通訳などできるわけがない私の仕事は、クライアントと通訳の間でいろいろな調整をする仕事だった。 そこで初めて「帰国子女」と呼ばれる人達と出会う。普段は私たちと同じく日本語を喋る日本人なのに、仕事となると途端にネイティブ並みに流暢に外国語を操る。最初はそのさまにいちいち面食らったものだ。そしてそれは当然のことな

          第1章_#06_お茶の水でフランス語を始める

          第1章_#05_フランス映画を一生ぶん見た2年間

          高校卒業後に大学へ進学するため故郷を離れたものの、2年で中退。以後、服飾販売員~テレビ番組制作会社AD~モデルエージェンシーのマネージャー見習いなど、職を転々とする。つまり、フリーター。(当時はまだそんな言葉はなかった。でも最近もあまり聞かなくなったが。)あまり堅気でない仕事ばかり転々としていたので生活はめちゃくちゃ。25歳を過ぎたあたりでちょっと人間らしく暮らそうと人生の軌道修正を試み、人材派遣会社に登録をして事務員の職を得た。 朝9時に出社して、夕方5時には退社。最初は

          第1章_#05_フランス映画を一生ぶん見た2年間