聞こえるか 遠い空に映る君にも

春が嫌いだった。
学生の頃、春は常に変化の季節だった。やっと作ったクラス内のコミュニティから放り出されて、また新しい関係を構築しなきゃならない。新しいクラスに居場所がある保証なんてどこにもない。一人になりたくないがゆえに、大して仲良くもない子とお昼を一緒にとる約束を取り交わす、はみ出すまいと必死な自分のダサさや、あの子は今日はちゃんと登校してるだろうかとか、あの子の一番仲の良い子は別のクラスにいるんだとか、あんな狭い教室の檻の中で、そんなことばかりに囚われていた中高時代を一番強く思い出すから。
だから、空気が少しずつ生ぬるくなっていく春の兆しは、ただただ気分を落ち込ませるものでしかなかった。

*

私の両親は、二人とも教育熱心で、愚直なほどまじめな人だ。
彼らにとって、理由もないのに学校を休んだり、授業をサボったりするなんて考えもしないようなことだった。そういうもとに生まれ育ち、かつそこそこに健康だった私は、遅刻も欠席も早退もサボりもせず、小学校のころから学校に塾に通い続けた。会いたくないクラスメイトがいても、絶対出たくない授業があっても、どうしようもなく気分が沈んでいても、毎朝起きて制服を着て、電車に乗って、上履きに履き替えて、教室に入った。
休んだりサボったりできなかったのではなく、「行かない」という選択肢自体が私の中に存在しなかった。よくわかんないけど苦しいな、と思いながら、言葉にならないものは理由にはならないから、苦しいまま学校へ行った。

高校二年になったとき、同じグループにいたのは、他の子たちより少し大人びていて物静かで、そして時々保健室にいるような子だった。休みがちというほども休んでいないし、クラスで浮いているわけでもないけれど、休み時間にふと捜すといつのまにか姿を消しているような子だった。彼女のことは好きだったし、仲良くもしていたと思うけど、掴みどころがなくて、半透明で向こう側が透けて見えるような、私からはいつまでもあやふやな存在だった。
ある日、彼女を迎えにほとんど足を踏み入れたことのなかった保健室に行くと、何人かの女の子と白衣の先生が白いテーブルを囲んで雑談していた。そこは、粛々と授業が行われている外の教室からはまったく切り離された空間だった。それまで、怪我や明確な体調不良の時にしか用途がないと思っていた保健室が、そういう役割を持っているなんてその時まで知らなかった。

そこからだんだんと私は、生理が重くてしんどい時、薬を飲んで耐えなくても保健室で寝かせてもらうことを覚えたし、どうしようもなく気持ちが沈んだ朝、落ち着くまで通学路にあるコンビニで時間を潰したりして遅刻することができるようになった。
行動だけ見れば、明らかに悪影響を受けている。遅刻は急激に増えたし、高校の最後の方にもなると、気分がよくないからと授業中に突然立ち上がって教室を出て行くとか、漫画の新刊を発売日に買うために遅刻するようになっていた。我ながら行動が極端すぎて怖い。
それでも、あの時私にはそれが必要だったのだと思う。
当時、誰も私に「休んでもいいよ」と言ってはくれなかった。でも、彼女と一緒にいたことで、私は休んでもいいんだと知ることができて、「休んでもいいよ」と自分に許可することができるようになった。
私がそうやって、半ば自力でその考えを獲得できたのはラッキーなことだったと思う。あの頃逃げ方を学べなかったら、学校は遅刻せずに卒業したとしても、いつか別のところで潰れていったような気がする。

*

年を経て、自分の裁量で生きられるようになるにつれ、春は特別な意味を持たなくなった。そしてようやく、春のやわらかい風や緑の芽吹くにおいを純粋に心地よいと感じることができるようになった。
今はもう、春を怖いとは思わない。

*

大人になった今、ときどき夢想する。
もし自分に子どもができて、どうしても学校に行きたくない、と言われたら、「じゃあ今日は映画を観に行って、帰りにおいしいものを食べよう」と言ってあげたい。
いや、別に自分の子供にじゃなくてもいい。
今、「休んでいいよ」と言ってくれる人のいない小学生とか中学生とか高校生とかでいい。
誰も認めてくれなくても、私が代わりに許可を出す。
休んでいいよ。
どうにだって生きていけるから。
正しい大人の裏側で、悪い大人として君たちをそそのかしたい。


written by 満島エリオ

(二月共通テーマ:スピッツ「春の歌」)

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