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ものがおおいへや【ヒッチハイク紀行vol1】

ヒッチハイクをした。
東京から西宮まで。

3台の車に乗せてもらって帰ってきた。
1人目の方は用賀の東京ICから静岡SAまで、
2人目の方は静岡SAから岡崎SAまで、
3人目の方は岡崎SAから甲子園まで。
甲子園からは阪神電車で三宮まで帰ってきた。
1人目・2人目の方はスケッチブックを掲げて立って1分ほど、3人目の方は3分ほど歩きまわって乗せていただけることになった。
14時に東京を出て、22時ごろに神戸についた。

よく話した1日だった。

こと細かにレポートを書こう、面白い経験としてなにかにしよう、とかいう下心でやってみたところが正直あった。
だがこの1日が終わり、神戸まで帰ってきた今(←書き始めたとき)、そのような心持で生きている自分に対する恥のような気持ちを強く持つ。

そんなのは搾取であり、全くもって創造ではない。当たり前だけど。自分なりに生み出すものや提供するものがあってこそだ、と思う。
思い返すと私がこれまで自分のユニークさだと思ってきたことの殆どは結局、なにがしかの搾取の上に成り立っていて、自分自身のオリジナリティといえるようなものは全然ないような気がする。

記録は全て、他の誰かや他の何かによって成立している世界をただ描写しているに過ぎず、そう考えると経験なんてものもそうであるような気がしてくる。そう気づいたときに生じるこの自意識への疑心を、あらゆるものへのリスペクトの気持ちに昇華したいような気もするけれど。その搾取という言葉を、知恵の共有として感謝したいという想いもあるけれど。
そしてたとえ記録ではなく創造だ、と思ってつくったものであったとしても、それをつくる自分の思考や感覚はこれまでの経験、身を置く社会によって形成されてきたものであることを考えると、あらゆるものは全て、今の自分の知覚の記録である、ともいえる。

それにしても自分自身の行動や意識にはその本物さがあまりに欠如しているような気がする。落ち込まずにがんばっていきたいな。

ああほんとに、楽しかったが逐一自分の青さがつきつけられる一日だった。
恥だ。なんか。普段のうのうと普通に生きていることがばかばかしくなるような。
といっても普段ですらそんな恥ばっかり自覚してることに変わりはないんだけど。青さを青さとして恥じられるようなこの自分、それを可能にしてきてくれた環境に、感謝するしか道がない。

でもひとまず概ねの行程を述べてみる。

ーーーーーー

ヒッチハイクは実質今回が初めてだった。

2年ほど前、熊本で、乗るはずだった電車を逃し、次の電車は2~3時間後だったので駅前で軽い気持ちで親指を立てはじめた。
2回ほど場所を変えたがいずれも効果はなく、そのときは結局30分ほどして諦めた。

大学生活もいよいよ終わりを迎える局面となった今、いろんなきっかけが重なり、ヒッチハイクをやってみることにした。ジャック・ケルアックの『オン・ザ・ロード』を目下読んでいたこともその気持ちを高ぶらせることを手伝った。
前回とても難しかったという経験があるからこそ、私としては珍しくいろいろと事前に調べたりした。今回はスケッチブックとマーカーペンも準備した。

前々日の夜行バスで神戸から東京に来た。
着いたその日は日中用事を終えたあと、夜遅くに高校のときの友人の家にお邪魔し、翌日朝起きて一緒に少し先の駅にある喫茶店でモーニングを食べた。
私はもう殆ど何の物心もついていなかったような気がする10代に大阪のあの同じ空間で毎日を過ごしていたその子と、23歳の今、東京でのんびりモーニングを食べながら話しているなんてことがあまりに不思議で、現実がどこにあるのかを見失ってしまいそうな気がした。
でもとても楽しい時間だったな。真面目な話もしょうもない議論も。コーヒーがおかわり一杯無料でうれしかった。これからもずっと、人生を通してこの人と関わっていられるような自分でいるために頑張ろう、と思う。

その後、ヒッチハイカーの聖地と呼ばれているらしい用賀ICのマクドナルドまで行った。ひとまずトイレを借りたかったのでマクドナルドで本日早くも3杯目のコーヒーを飲みながらスケッチブックに大阪までのSAの一覧を書き写し、「海老名まで」という文面をでかでかと書いた。
連休中の土曜日のマクドナルドは周りに親子連ればかりが座っていた。数年ぶりくらいに入った気がするマクドナルドはハッピーセットのおもちゃが紙製のボードゲームになっていて、共に遊ぶ時間を促す工夫がなされるような大人の配慮を感じていいなと思った。
書き終えてトイレに行って店を出た。
数十分前にマクドナルドに着いた途端から、ここは乗せてもらうのに適している立地ではないということは一目瞭然だったので、ICの入り口からもっと源流のほうへ道路を辿り、ここなら停車してもらえそう、というところでスケッチブックをひろげた。

すると1分もしないうちに1人で乗っているおじさんが車を寄せてくれ、思いがけないスムーズさに拍子抜けしながらも軽い気持ちで乗り込んだ。

その方は美術をずっとされてきたという方で、今は若手の育成に軸足を移しているらしい。
コロナ前は世界各地を飛び回っていたらしいが、住んでいたわけではなく、友人たちが海外に住んでいて式典か何かにその都度呼ばれて行っていたらしい。自分も海外で活動しようかと思った時期もあったが、日本での活動とのタイミングが合わず結局それを為すことはなかったが、友人たちが自分にできなかったことをやってくれるから自分はそれで満足している、すべては役割だよ、とのこと。
卒業後の進路として海外に行くことも視野にあるが、自分の領域や強みみたいなものをこの日本でわかってから行くのがいいのか、それともいきなり行っちゃうのがいいのかまだ迷っている、ということを離していると、君は一刻も早くヨーロッパとかに行った方がいいね、と言われた。時間ってあんまりないからね。と。
福祉と関わるアートや、考え方としてのアートなど、みんなにとってのアートのようなものを身近に感じてきた私は、その方の発するアートというものの捉え方の排他性に、少し人類への希望が削がれたような心もちになった。
すべての人が同じ、境界のない世界の中で平等に生きることは、難しいのかもしれない。様々なことが、逐一異なるから。
一方でその方は、音楽やスポーツの敷居の低さ、貴賤を問わずに誰もが感動させられうるものとしてのそれらに対しての羨ましさを何度か口にしていて、それが少し印象に残っている。

それにしても、おじいちゃんたちにとっての東大生というのはやたらと絶大な効果を持っているものであるとつくづく感じる。東大生と話したときにね、という話は、田舎にいるおじいちゃんおばあちゃんたちにしても、都市で商売を行うおじいちゃんおばあちゃんたちにしても、なにかとでてくる。でもじゃあその人たちが東大生という看板のみに対して評価をしているのかというとそうではなく、そこには必ず何かしらの面白い知識が付随してくる。彼らはちゃんと、学生であっても語れるものを持っているのだ。

その1人目の方はその後日蓮大聖人の話をするようになった。まあ興味深いと思って話を聞いているとあれよあれよと本尊を見に行こうという流れになってしまい、後でSAまで送ってくれるとのことだし、もう社会見学ということでいいか、と諦めて見学。危険なことはなかったが2000円の分厚い本と数珠をプレゼントされた。
日蓮の話になってからもかなり根掘り葉掘り、果敢に疑問点を問うていったがなんだかわかるようでわからないような気持ちになった(もちろんのめり込むということはなく、客観性冷静さを保った状態での問いかけです)。
その人の話では、キリスト教とかは現代の科学に反することばかりだが、日蓮大聖人の教えは数千年前に作られたものであるにも関わらず現代科学から逸脱しないところに凄みがある、とのことだった。でも、現世の不条理を生き延びるための物語、知恵として宗教を考えたとき、その合理性や整合性の有無に果たしてどれほどまでの価値があるのか、私は少し疑問に思ってしまった。たしかに今人びとが生きているのは科学の中での真理を既にかなり内面化した人々によってつくられた社会であるため、そことその信じる物語との間に齟齬があることによる信仰心の揺らぎはあるのかもしれないが、それでも現実世界自体が、既にそれほどまでに納得感ばかりがあるようなものではないような気がする。科学だって、人間の知能というものの上にかろうじて成立しうるある種の物語に過ぎないような気がする。
なにはともあれ、途中”南妙法蓮華経”を長い時間唱えるというタイミングで完全なゲシュタルト崩壊を起こし、10回以上その言葉がうまく言えずに「な、なぎょ、なみょ、なほ」みたいな時間が1分以上つづいて笑いをこらえるのに必死になったりしながらも、無事に高速道路に帰還した。あのときはほんとうに、自分の口が自分のものではないような感覚になって、身体もろともナ行の海に放り出されたような気持ちになった。
なんだかんだで昼過ぎに東京を出たが、静岡SAに着いたころにはもう外はすっかり暗くなってしまっていた。海鮮丼をご馳走になり、トイレに行き、ヒッチハイクが拾ってもらいやすい場所を教えてもらって別れた。

その人越しに見る道路の向こうの紅葉が、綺麗だったなということを今しがた思い出した。

<つづく>

一回で終わらせるつもりが、なんだかんだながくなってしまったのでここで一旦投稿することにする。
あまり推敲できてません。とりあえず覚書として。
同じゼミの子が、卒論を4000字は書いた!と言っていておお~すごーいと思ってたけど、今回のここまでの文量で4000字ということを考えると私は案外すぐにそのくらいは書けるかもとまた元も子もない余裕を持つことになりそうです。

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